「えー、お姉ちゃんはしてるのにー?」
「そもそもイチャイチャしてない……という前提で。ごめんね、私はもう戻れないし止められないぐらい手遅れなのよ」
「人の印象をスナック感覚で悪くしないで欲しいんだが?」
「悪いのは事実でしょう?」
「否定はしない」
「ほら、見なさい。すごいやましい事があると自覚してる」
気さくなからかいに対して「おっけい、話し合おう」と降参のポーズをすると、姉妹揃ってくすくすと笑ってくれた。
なんとも穏やかな夜だ。
明日もきっと夏本番とばかりに暑いのだろうが、この心地よさを糧にして元気に楽しく過ごせそうである。
そのうち、今度こそ天空回廊の天辺に到着した。
諦めるわけでも、あえて引き返すなんて行為に縛られることなく、自分の意志で。
オレ達は自由な気持ちのまま、行きたい場所に来れたのだ。
「真理那」
「ん」
「寄り道ついでに、余計なアドバイスだ」
「……?」
「お前が帰ったら、汐凪の家はきっとこう言うだろう。『無駄なことをしやがって。大人しく家にふさわしい振舞いをしろ。黙って言う事を聞いておけばいいのに何故わからないのか?』ってな」
あの家は、そんな連中がうようよいる。
大して人間もできていないのに余計な口ばかり挟む大人達の巣窟だ。
それを目の当たりにしたオレにはわかる。
あいつらはきっと叔母さんを飛び越えて、真理那を追い詰めにくるだろう。生意気な小娘が屈服させて見下すために。
だが、そんな頭がおかしい連中だからこそ効くものがある。
それは――。
「もし嫌がらせを受けたり、強引に言う事を聞かせようとしてきたらこう言ってやれ」
――『貴方たちは寄り道すらする余裕もなくて残念ですね。無駄なことをするから楽しいし、後悔なんて全くない。私は今、笑えていますよ』――
そう真理那に告げられた時の、親戚達のショックを受けて何も言えない面が脳裏にありありと浮かぶ。きっと最初から言う事を聞かなかったオレの時よりも、アホな顔になることだろう。
「そ、そんなの言っていいのかしら」
「いい。オレが許す。つーか、言う事になるから今の内に心構えだけしとけ。それから……」
「まだあるの?」
「……叔母さんと話す時は、好きなだけオレをダシにしていいから、上手くおさめろよ。出来るだろ?」
真理那の口が『本当にそれでいいのか?』と問おうとしたようだが、その声は外に出ることなく引き結んだ唇の中でかき消えた。
仲良し従妹はオレの真剣な眼差しを見ただけで、確認したところで意味がない事だと察してくれたのだ。
だから真理那はゆっくり、感謝を述べるようにこう応えた。
「……もちろんよ。せいぜい好きに使うから、覚悟してね」
「ああ。もう出来てるよ」
そんなやり取りを終えて、オレの寄り道も終わりだ。
軽薄な従兄様にとって真面目な話は肩がこるし、あまり得意なわけじゃない。
手持無沙汰気味になりながら、大きな窓の外に広がる美しい夜景を目に納める。
そうしていたら。
ふと。
夜景を眺めていた真理那が自然な動作で、オレの真横に貼りつくように接近してきた。美希ちゃんもその動きには気付かなかったようで、手すりから身体をのめりだしながら夜景に目を奪われたままである。
「どした」
小声で尋ねると、悪戯っぽい笑みが返ってきた。
「ありがと、すごか良か寄り道やった」
「偶には寄り道も悪くないだろ」
「ほんなこつね。……で、悪か子晴兎くんな、一体どこん誰ばココで口説いたりしたと」
「人聞きの悪い……」
「あー、田舎もんが背伸びしよーところが見てみたかったわー」
「いい、いい見んで。ただ、お前がそれで背中丸めずに帰れるなら見せんでもない」
「別にいいわよ。むしろお礼に、私が背伸びすると」
「は――?」
今更ながらではあるが、夜のスカイツリーの大変メジャーなデートスポットである。ちょっと周りを見回せば、いつのまにやらカップルさんばっかりとなっていた。
その甘い雰囲気に呑まれでもしたのか、はたまた悪戯したい衝動でも湧きあがって来たのか。……それとも、
ゆっくりと背伸びをしながら唇を近づけてくる真理那が、スローモーションでオレの瞳に映りこむ。
身体が動かず、後ろに下がることも、首を曲げることもできなかった。そのまま行けば、赤の他人からみても立派なカップルに見えてしまうだろう。
……まあ、真理那とならそうなっても――。
ぼんやりした曖昧な思考だけが頭を巡る中、無防備な口元に真理那のイイ匂いと一緒にやわらかな感触が飛び込んできて。
その瞬間が、訪れた。
「……んふっ」
よりにもよってこの家出娘は、その気にさせた従兄に対してギリギリの「寸どめ」を披露してみせたのだ。
「なんや、晴兎もけっこうあいらしかところがあるったい」
「お前なぁ……」
張り倒したろかい。
そう考えた矢先に、オレは後手に回ることになる。
「美希もいるから。代わりにこっちで……ね?」
美希ちゃんから見えないように後ろ手に回された真理那の手が、オレの手を包み込む。手に平同士が触れ合ういつものシークレットハンドシェイクだ。
ただ今回は秘密の握手は意図的に形を変えていた。さわさわと真理那の方からオレの手指をなでまわし複雑に絡めてから、親指をチュッチュと強めに押し込みあわせてくる。
ハッキリ言おう。
アホ程えっちだ。
子供が戯れにやる愛情表現のようで、実のところはとても妹様には見せられないヘビィーなキスみたいなもんである。ここぞとばかりに舐めくさったメスガキみたいな顔で見上げてくるのも破壊力が高い。
「おま……ッ」
「なーに? これじゃ物足りないって?」
「今度やったら手ぇ出すからな」
「あら、そんなつもりがあなたにあるなら私はとっくのとうにお手付きになってるわ」
「……ぶち犯すぞワレェ」
「はいはい。動揺すると口汚くなるのよね。知ってる知ってる」
そんなにオレをからかうのが楽しくて仕方がないのか。
オレの悪影響によって悪い子と化した真理那の小憎たらしい笑顔は、今回の家出中な中でもトップレベルで。
不覚にも、オレの好きな空に近い場所。
東京で一番高い場所から眺める地上の星より。
輝いてみえた。