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番外一夜:子供の味、大人の味

※注意書き:『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』


「ん……」


 ふと、夜中に目が覚めた。

 すやすや安眠している妹を起こさないよう静かに身体を起こす。常夜灯に照らされた寝室には私と美希しかおらず、晴兎の布団はもぬけの空。


 耳に響く古いエアコンの唸り声を聞き流しながら、視線を居間の方へ移動させる。閉じられた襖の隙間からほんのり光が射しこんでいるようだ。

 狩りをする猫のように音を出さずに襖をわずかに開けると、掃出し窓の外側。ベランダの手すりに体を預けてぼんやりしている、寝巻き晴兎の後姿があった。


 この暑い夜になんでわざわざベランダに? あと『睡眠は裏切らない』って背中に書かれてるのはギャグのつもりなんだろうか。

 そんな私の疑問の片割れは、彼が口元にくわえた白くて小さな筒状のもので解消する。


「ふぅん……吸うのね」


 あえて聞こえやすいようにハッキリと声を出す。

 晴兎はちょっとだけ身体をビクッとさせて、振り向いた。もっと面白くオーバーリアクションをするかもという予想は半分ハズレ。


「誤解だ」

「何がよ。別にいいじゃない、タバコぐらい」

「煙草じゃねえよ。よく見てみ」


 ペタペタと晴兎の隣に歩み寄りながら、差し出されたものをじっと凝視する。

 タバコに見えたソレは、よく似た形のお菓子だった。


「虫歯になるわよ?」

「生憎と歯は丈夫なんでね」

「とても久しぶりに見た気がするわ。なんてお菓子だったかしら」

「ココアシガレット」


「そう。それで? そんなものをくわえながら、ベランダから何か面白い物が見えるのかしら?」

「夏の大三角とか。ま、見える見えないに限らず、身体が夏の夜の空気を求める事があるんだよ。散歩したり花火してーなーって思う時、あるだろ」

「……あるわね」


 星に関しては九州の実家の方が綺麗に見える気がするけれど。でも、今このベランダから眺める夜空は別の意味で悪くない。


 空は好き。青く澄み渡った空が特に。

 でも夜空も嫌いじゃない。晴兎に関しては、小さな頃から夜空の方が好きだ。私達は変な所で好きな物が被っている気がする。




「そんなわけで誤解だったわけだ」

「…………やせ我慢はしないで欲しいわね」

「なんだいきなり?」

「とぼけないで。私達がいるから、吸うのを我慢してるんでしょう?」


 私が問い詰めると、晴兎は「やれやれ……」と呟きながら正面を向いた。

 しまった、ちょっと責めてるように聴こえてしまったかもしれない。本当は我慢しなくていいのに、と伝えたかったのに。

 晴兎がタバコを吸うのは、この家に逃げてきた日に気づいていた。掃除していた時に、喫煙に必要な物は一通り目にしていたから。まあ、タバコはタバコでも電子タバコのようだから悪影響は少ないのでしょうけど。


 それでも吸い過ぎているのなら、少し心配にもなる。


「よく知らないけど、お菓子で代用できるものなの?」

「オレなら問題ないぞ。他の奴は知らん」

「なんでそんな自信満々なのよ……」

「そりゃアレだ。オレがスパスパとタバコを吸ってるタイプじゃないからだ」


「……どういう意味?」

「そのままさ。言うなればオレはファッション喫煙者みたいなもんだ」

「新たな晴兎語かしら」

「世の中にはタバコを吸ってる時しか話せないヤツもいるんだよ。あと、タバコを吸ってる人が好きってヤツもな」

「……女でしょ?」

「ああ」


 つまりモテるために吸う時がある。そういう事だと認識した。

 軽薄な従兄らしいといえばらしい。


「ダッサ……」

「辛辣だな。上手にタバコを吸えるとカッコいいんだぞ」

「晴兎には似合わないわ。背伸びしてる感がすごそうだもの」

「そういう年頃なんだよ。……どこもかしこも禁煙が進んでいる世の中の隅っこにある決められた小さなスペースで、齢を重ねてる大人が吸ってるだろ。それを見ちまうと思うわけさ。ああ、吸わなきゃやってらんないんだろうな。そんな大人になりたくねーって」


 晴兎が何やら不思議なことを口走り始めるが、私の興味は薄い。

 多分それ、単なるニコチン依存症でしょうし。ただ、やってらんないの部分は共感できてしまう。

 私もまた実家の事情でやってらんない状態なのだから。


「やってらんねー! そんな時に、タバコで楽になれるならソレはソレでありさ」

「……それなら、他の手段でもいいじゃない」

「もちろんだ。遊んだり、家出したり、方法なら無数にある」

「私は、唐突にケンカを売られてるのかしら?」


「ちっげえよ。大事なのは、人それぞれ自分に合う気晴らしがあるって事で、別に真理那をディスってるわけじゃねえ」

「……ふぅん」


 中々疑わしいけれど、晴兎が適当な話で誤魔化しているわけじゃない。

 少なくとも、付き合いの長い私からすれば、実際にそう考えていることをそのまま口にしているようにしか思えない。


「まぁいいけど。……ねえ、私にも一本ちょうだい」

「虫歯になるぞ」

「平気よ、丈夫だから」


 ひったくるようにタバコに似たお菓子の一本を受け取って、口にくわえる。

 とても久しぶりに食べたせいか、事前に思い出していた記憶の味よりも、ハッカの香りが強かった。砂糖の甘味が強いから子供のおやつとしても良い――と言われてた気がするけど、どちらかというと子供の味なのかも。


 とりあえず言えることは、コレはあまり私に合うものではないみたいだ。


「微妙だわ。ほんとにタバコの代用品になるのかしらコレ」

「どうなんだろな」

「…………ねえ、晴兎。ちょっとお願いがあるんだけど」

「あん?」


「かっこよくタバコを吸ってみせてよ」


 ◇◇◇


 今、私のお願いに二つ返事で答えた晴兎がタバコを吸ってくれている。

 なにやらカートリッジなるものを使っている姿は、洋画に登場するおっさんが吹かすのとは似ても似つかない。正直あまり大抵の人からはカッコよくは写らないんじゃないだろうか。

 私的には……まあ、嫌いではないけれど。


「……なんだよ。何か言いたそうだな」

「別にぃ」

「さいですか。ま、こんなもん吸う必要がなきゃ吸わなきゃいいだけさ」

「周りからは煙たがられるだけだものね? それでも晴兎にとっては、気晴らしになるからいいのかしら」

「何言ってんだ? タバコよりもオレに合ってる物があるから、関係ねえよ」

「合ってる物って……女遊びとか?」


 そんなはずねえだろう。

 などという返事がくるのを予想しながら冗談めかしてみると。



真理那お前と過ごしてる方が、百万倍オレには合ってるからな」



 考えもしなかったカウンターがとんできて、無防備な私を直撃した。

 ただでさえベランダは冷房の効いた寝室よりずっと暑いのに、瞬間的にもっと暑くなってしまう。


 ばかちん。ばかちん晴兎。

 不意打ちとは卑怯なり。


 ――情緒の乱れを悟られないようにするため、私は晴兎の吸っていた電子タバコを奪い取るようにして自分の口でくわえる。

 絶対に実家と世間では許されない行ないを、あえてする。それでこの動揺を誤魔化そうとしたのだ。


「あっ、おいッ」

「…………なーんてね。本気で吸うと思った? 年齢的にマズイってお説教かしら」

「いや、別にオレ個人としては説教する気はないぞ。なんなら未成年で吸ってるヤツなんて、身近に一人や二人いたって珍しくもないだろ」


 さすが晴兎。

 怒るどころか大して気にした様子すらない。


「ただ体に悪いかもしれないし」

「し?」

「濃厚な間接キスになるし」

「……げほっげほっ!?」


「何より真理那が言ってたように、不味いぞ」

「もっとけほっ! 早うけほん、言いんしゃい!!」


「わりぃわりぃ。真理那にはまだ早かったよな。よし、半歩踏み込んで子供のお菓子で練習でもするか?」

「はぁ? ……けほ」


 二本のココアシガレットを取り出した晴兎が、お菓子の先端をレクチャーするようにくっつきあわせる。その後ニッと笑ったら、一本を自分がくわえて、もう一本を私にくわえさせた。


 何がしたいのか。

 意図がわかってしまった子供の私。大人になりたくない晴兎。

 それぞれの顔がゆっくりと近づき、お菓子の先端が、夜空の下でくっつきあう。


 お互いの火を分け合うように。熱とぬくもりが繋がるように。


 私はまたひとつ、晴兎と共に初体験の夜を過ごしたのだった。

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