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  第4話(Ⅳ):誰にも咎められることのない自由すぎる一日

「……私ね、前よりテストの点が良くなかったのよ。順調に上がっていたのだけど、すとーんってね。そしたらお母さんがすごい怒りだして……夏休みん間に学力ば前より上げんしゃい。ずっと勉強ば頑張りんしゃいってまくしたてられたってわけ」

「いつにも増して鬱陶しい様子がありありと浮かぶな。叔母さん、なんかイヤなことでもあったのか?」


「知らないわよ、お母さん自分に何かあっても私達に話さないもの。でも、きっと親戚連中から嫌味を言われたんじゃないかしら。結婚してからずっとそういうところあったし、この前亡くなった親戚のお葬式でけっこうな人が集まったみたいだから」

「つまんない話だな」

「ほんとね……つまらんで、しろしか話ばい」


 真理那の従兄であるオレは、多少なりともその辺の事情を知ってはいる。

 叔母さん――真理那の母・麻衣子さんは経済的な理由もあって大学には進学せず、高校を卒業してからは社会人として働いていた人だった。その後、オレの叔父さんと出会いがあってめでたく結婚。

 ただ、そのまま平穏に暮らそうとしていた麻衣子さんに、やけにつっかかる親戚が多かったのだという。汐凪家は割と由緒ある家系で、古くて頭の固い考えをしている者が「ロクな学校も出てない女が当主をたぶらかした」なんて、やっかんだ。コレは叔父さんが勧められたいいとこの見合いを断りまくったのが関係してたり、長男であるオレの親父が婿養子に行ってしまったのもあるとかかんとか。


 だが、どれも子供として生まれたオレ達には知ったことじゃない。

 そう。

 知ったことじゃない、はずなのだ。


 しかし、やっかみが直撃した叔母さんは精神的にまいってしまった影響もあって、子供達には厳しい教育ママと化した。精神的に不安定なゾーンに入った叔母さんは割とキツめに子供に当たってしまう悪癖を身につけてしまった。


 真理那達だけではなく、子供の頃はオレもよくビビらされたもんだ。

 ある程度成長してからは簡単に泣くようなことはなくなったが、それは涙を流さなくなっただけで悲しくないわけではない。


 耐えきれなくなったら飛び出したくなる時だってある。今回みたいに。


「…………晴兎は、あまり訊かないのね」

「ん?」

「どうして家出したんだーとか、今の話だったら成績が落ちた原因は? とか。普通なら気になることばかりじゃない? でも自分からは追求せずに、私から話すまで待ってくれてるでしょう。……そういうの、わかるものよ」


「オレがそうしたいからな。話を訊いて欲しいならいくらでも訊く。そんで、お前が話したいことがあるなら幾らでも相談に乗ってやる。ただ――」


「『オレからあーしろ、こーしろなんて言いたくない』?」

「ああ、そんな感じ」

「なして?」

「そらお前、アレだよ」


 この時のオレは冗談や茶目っ気抜きで、その理由を口にした。






「それが、真理那にとって一番苦しいことだってわかってるから」






 だってコイツは、そういった類の言葉を喰らいまくったたからこそ、今オレの前にいるのだ。九州から東京なんて気軽に移動できる距離じゃないのに、それでもオレを尋ねてきた。


 つまり、頼りにしてくれたんだ。遊び人でとおってるオレなんかをな。

 そんな可愛い従姉妹に『家に帰れ』なんて言えるはずがない。少なくともオレが真理那の立場だったら御免だ!


 当の叔母さんから「娘を出せ」なんて電話がかかってきたって、誰が「はい、わかりました」なんて言ってやるものか。時間稼ぎの嘘なんて幾らでも吐いてやる。


「……あの、今私さ、ナチュラルに『オレが一番お前のことをわかってる』って告白されたのかしら? ……顔、あっつい……いきなりなによもう」

「おいおい、訊いてきたお前がそんなんでどうする。あと顔が暑いのは夕陽がガンガンに照らしてきてるからだ」


「そ、そう、そうよね……。あっぶない、情緒がグチャグチャになるとこだった。女の心をかき乱すのが得意なのは昔からかしら」

「人の純粋な気持ちを黒歴史みたいに言うなってのッ」


「うん……ごめんなさい。ほんとに……ちょっとビックリしただけなの。胸がふわって軽くなって……それで……」

「……泣くことないだろ」


 最初はじわりと。時間が経てばポロポロと。

 きっと誰にも見せられなかったであろう溜まっていた心の雫が、薄い涙ぼくろの上から顎の方へと伝っていた。


「だって……嬉しかったけん……。ほんなこつ、嬉しかったと…………」

「……タオルいるか?」


 真理那がふるふると首を振る。

 その手には昼飯後に渡したタオルが握られていた。


 そういえば既に渡していたんだった。こんなことすら思い出せないほどに、オレも慌ててしまっていたのか。

 ……ほんとにオレって奴は、昔から誰かが泣いたら動揺しっぱなしだし慰めるのも下手くそだ。


「繰り返しになるけどな。好きなだけコッチに居ていいからな」

「……うん」


「したいことや行きたいトコあったら言えよ。観光でも遊びでも付いてって、悲しむ暇なんて与えてやんねーぞ」

「……うんっ」


「でも、勉強だけは勘弁な。真理那の方がずっと頭はいいんだから」

「それは知ってるから大丈夫」

「へいへい、そーですかっと。ココで可愛げがあれば、学校や塾では教えてくれない人生のいけない豆知識を伝授してやってもよかったのになー」

「ちょっと、後だしで出してこないでよ。気になるじゃない」


「残念ながら時間切れだ。また今度な」


 夕日が湖の向こうへと沈んでいき、近くの電灯が次々と点いていく。これからは反対に夜が昇ってくるのだ。


「落ち着いたら帰ろう。そろそろ夏の風物詩・蚊が出てくる頃だ」

「嫌な風物詩……気温が高すぎると出てこないんだっけ? だからある程度下がると吸いに来るのよね」

「そうそう。都会に比べて緑が多いし、ここら一帯でかい公園だから油断するとすぐ喰われるぞー」


「やめてよ、私けっこう蚊に刺されやすい性質なんだから」

「さぞ美味しそうに見えるんだろうな。蚊ならまだしも、変な虫に付き纏われないか心配になるぞ」

「その時は晴兎が盾になってね。その代わり――」


 堤防を並んで歩いていた真理那がぐいっとオレの肩を引っ張って身長差を失くして、耳元でこしょっと囁く。


「もし晴兎に変な虫がわいたら、私が追い払っちゃる」

「そりゃ、頼りになりそうだ」


 こそばゆさが先に来る言葉に呆れながら返すと、真理那が「任せなさい」と胸を張った。オレの意志とは関係なく勝手に追い払ってしまいそうなのは、気のせいだと思いたい。


「ところで晴兎は付き合ってる人はいないの? 上京したら都会のいい女を物にしたいとか息巻いてたんじゃなかったかしら」

「中々長続きしなくてなぁ……」

「暗に女をとっかえひっかえしてるクソ野郎に落ちぶれたわけね。すっかり良くない大学生になっちゃってまあ」

「アホか違うわ。単にオレに釣りあういい女は中々簡単には見つからないってだけだ」


「そん言い草が長続きしぇん理由なんじゃ……?」


 ドスッと心に刺さる真理那の呆れ気味な呟きは、聞かなかったことにした。


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