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第33話 叔や伯や、駕さば予ともに行かん。誰でもいいわ、迎えに来てくれたら私はあなたのものになる。

 日は中天を過ぎ、高い空が突き抜けるように蒼い。羊の群れを思わせる雲が少しずつ形を変えてゆっくりと流れていた。

 朝の議、学びの時間を終え、父を迎えて帰る。帰宅すれば家長を継ぐ者としての研鑽に務める。それが韓無忌かんむきの毎日である。

 しかし、この日は父への言づけをしたあと、足を庭に向けた。君主の庭に近い、菊のある場所である。

 戻らぬ趙武ちょうぶ、姿を見せぬ士匄しかいが心配だ、というのは本当である。彼は後輩たちが厄介な事件に巻き込まれていないかと、気を揉んでいる。だが、それなら堂々と取り次ぎを頼み、門の前でまず控えるべきである。君主の住む内宮へと入る、門の前で控え、趙武や士匄を待つべきであった。

 韓無忌は、菊の香りに満ちた庭へと足を踏み入れていた。

「事を荒げたくない……というのは欺瞞であるな」

 一言つぶやき吐息をついた。

 ぼんやりとした視界の中、杖を使いまっすぐと歩いて行く。

 冷たいながらも未だ柔らかい風、豊穣の香りは心地よい。ピィーピョロロと鳴いていたしぎはもう南に旅立ったのであろう。初夏に恋を語らうような鳴き声を韓無忌は嫌いではない。それが途切れ始めるころ、秋の深まりを強く感じるのだった。空を見ても山を見てもぼんやりとした変化しかわからぬ韓無忌にとって、風と香りと音が世界の入り口であった。

 海の向こうへ旅立つ鳥は祖霊が宿り、海に出れば魚となって世界の果てへ向かう。それは黄泉こうせんであろうか。――宮中に死者が出たという。その女官は、鳥に抱かれ黄泉に向かうことができるのか。

 凶事を告げてこれ以上来るなとした女官は、拒絶ではなく労りがあった。身分の断絶を自ら体現しながら、韓無忌への労りは忘れていなかった。

「良き……。そう、女官として良き働きをなされた方、私はそれをよみしていない」

 韓無忌は杖をつきながら、言い訳を吐いた。欺瞞を自覚しながらも、さらなる欺瞞を重ねている姿は全く彼らしくない。慎み深く謙譲を忘れず、常に真面目で正直であり公事に厳格で、しかし人情を忘れない。全て韓無忌を表す。

 が、今の彼にそれは無い。まぶたを閉じれば美しい女官が菊を差し出す姿が現れる。己はどうかしていると思いながら、足を進めていく。ゆっくり、杖をよすがに歩いて行く。

 菊の香りが強く漂いはじめた先に、ぼんやりと人影が見えてくる。――菊の女官であった。

 さて、視点を変える。ころころ変わって申し訳ないが、この話の主人公は士匄であり、準主人公は趙武であるため、ご了承いただきたい。

 洛午庚辰らくごこうしんの女が出ていったあと、士匄は寺人じじんに女を呼ぶよう命じた。趙武がひそかに怯えを見せる。

「あの、また大変なことになりませんか」

 士匄の言うとおり、女官が何やらおかしい動きをしているのであれば、また同じようなことがくり返される。細い首、薄い肩、柔らかくか弱さを感じさせる女性たちが圧迫とともににじり寄ってくるのは、怖ろしささえあった。

「もしそうならば、また追い払えば良い。まあ、今度はそうならぬであろうよ」

 自信をもって士匄は断言した。趙武がいぶかしげな顔をしたが、説明さえしなかった。

 はたして、呼ばれた女官は、はしたなく言い寄るようなことはしなかった。見目良く整った顔に、少々の嫌悪をうかべている。強い目の光は選民特有の知性が見えた。――士匄にこっぴどく振られた、賢しい女官である。

「数ある女官の中でわざわざ私をお呼びいただき、恐悦至極に存じます。ご指名でございます、君公に仕えるものとして誠心誠意侍る所存でございます」

 見事な拝礼を見せ、かしずくと、士匄と趙武に酒を注いだ。その仕草ひとつもっても、外れた儀は無い。付け焼き刃の教育を受けたものどもとは違う、教養があった。

 趙武は女官の顔をそっと見た。彼女は、士匄に悪感情を抱いているようであるが、趙武にも冷たい。饗応はするが、心は添わせたくない、という態度がありありとある。この素晴らしい儀には礼という心が無い。それが、彼女は儀礼を知っている。

「浅い。わたしがお前を振ったからと言って、そのような態度をとるな。さて。お前は首飾りをつけていない、というわけか」

 士匄は嘲笑を隠さず言い、指さすように杯をつきだした。いまだ空になっていないそれに目を一瞬だけ向けたあと、女官も嘲りを隠さず笑む。

「あんなものを護符だと信じる愚かな奴婢ぬひと同じと思われれば業腹というものです。いえ、護符でございましょうね、生まれの地精と君公への忠を誓った日ですもの。そしてこの私が書いた文字です、加護があるでしょう」

「仕入れ元と仕入れた日も、ものは言いようだな。それがお前の素か。まあ、昨夜よりはマシというものだ」

 とげとげしい会話を繰り広げる様子に、趙武が困惑し口を開いた。

「あの、お知り合いなのですか」

 まさか、と士匄と女官は同時に言う。

「この女は君公の女官でありながら、昨夜の宴席でわたしに己を売り込んだ。お前に迫った女官と変わらん」

「他の女官と同じにしないでくださいまし。私、本来はきょうに嫁ぐはずの血を持っているのです、のろまな奴隷に混じって、あんな君公に侍って、一生を終える奴隷なんてふさわしくない。あなたを見込んで私は才を見せたというのに、芸などとバカになされる。期待はずれもよいところです」

 投げやりな態度の士匄に女官が蔑みを隠さずに言う。傲岸と高慢が同時に現れたと趙武はうんざりした。が、うんざりだけで終わらないのが趙武という青年である。彼は狄女てきにょ楚女そじょと二人の女官と話した。そしてこの女官ときて、すぐに気づいた。

「あなたは、しん人ですね。この晋の、貴き生まれのお方。言葉でわかります」

「……だからどうしたというのでしょうか、趙氏ちょうしおさ。憐れみでもわきましたか、いえ、わいたのは優越感でしょうか」

 趙武の言葉に、女官が棘のある声で返した。

 さて、他の女官にはどこかなまりもあり、儀もたどたどしい。しかし、この女官の発音は美しく、言葉遣いも堂に入っている。そして、晋のイントネーションはどこか無骨であり、彼女もその例に漏れない。周や東方の貴人であれば、もっと柔らかいアクセントであったろう。

 指摘された女官――例によって晋女しんにょとしよう――は趙武を睨み付けた。それは、憎々しさを隠さぬものであった。初対面の、しかも大貴族の長に向けるような目つきではない。趙武が怖じることなく、真っ直ぐに見返す。士匄は好奇心を隠さず、晋女と趙武を眺めた。

「……私は同病相憐れむという趣味はございませんし、あなたに共感も同調もいたしません。あなたは私に対して運が良かったとお思いではございませぬか」

 そうして、趙武は趙氏以外の、晋公に族滅された貴族の名を言った。晋女は唇を噛みしめた。図星だったらしい。その一族は士匄が物心つくころに亡んだ、それなりに歴史ある名門であった。はっきり言えば、趙氏や士氏より家格は高かった。確かに世が世であれば、他国の卿へ嫁ぐ女である。

 しかし、だからどうしたというのか。負ければ、家など亡ぶ。かつて、晋公の娘でさえ内乱に巻き込まれ他国の婢となったのである。たかが大夫の娘、君公の女官など破格の待遇であろう、と士匄は鼻で笑った。

 晋女は士匄の嘲弄に気づいていない。趙武の言葉に怒りをあらわに眉をつり上げる。

「あなたは運が良かったのでしょう。本来は捨て置かれ、放逐される孤児がたまたま助かった。それだけのこと。私はその運がございませんでした。父はしばらくは身を潜め復権の機会を窺っておりましたが、為せず果てました。残った私は手を差し伸べられる前に放たれ、売られた。我が一族が、祖が、晋公のためにつくした全ても、なんの助けになりませんでした。あなたが売られ奴隷となり、そうですね、去勢され君公に侍っておられぬのは、たまたまではございませんか」

 地を這うような声音に、趙武が笑みを返した。それは、どこか枯れた笑みであった。

「運ではございませんよ。いえ、ある意味運かもしれませんね。あなたが女で私は男でした。それだけです。私は女児であれば、生まれてすぐ殺される予定でしたから」

 晋女がうつむいた。己ら以外の一族郎党、男は殺されたと聞いている。己は女だから運が悪く奴隷になったのか、女のくせに運良く生きているのか。どちらにせよ、晋女のどうしようもない愚痴と八つ当たりを趙武は堂々と受け、一度も同情しなかった。

「辛気くさい、やめろ」

 場の空気の悪さに、士匄がさすがに怒鳴った。暗い言葉に雑霊ざつれいが寄ってきていた。宮中とはいえ二度も凶事が起きたのである。瘴気しょうきはわくし雑霊も漂う。趙武にいたっては不祥をひっかぶったのである、穢れがまとわりついていた。

趙孟ちょうもう。そういった、くさくさした話をするな。酒も不味いし、穢れが濃くなる」

 手で示しながら指摘すると、趙武が顔をこわばらせて、体を手で叩いた。ちょっとした雑霊が驚いたように逃げるが、その程度であり、穢れが消えるわけではない。

「その酒で消えぬのであれば、もうすこし良きものを。この菊酒は体が清々しくなると伺っております」

 晋女がなにごもとなかったかのように如才なく動き、趙武に酒を注いだ。菊の強い香りが部屋に漂う。刺々しい雰囲気は霧散し、そこには有能な女官と大貴族の青年がいるだけであった。家が亡んだものどもの気持ちはわからん、と士匄は思い、頬杖をついた。

 趙武が菊酒を口にしたとたん、まとわりついていた不祥、穢れ、雑霊が霧散した。士匄は持っていた杯をぽとりと床に落とした。あまりのことに、茫然としたのである。

「これは、その……先ほどの凶事のあとにいただいたものと同じ。清々しい気持ちとなりますね。ありがとうございます」

「いえ、職分として当然のことでございます」

 そらぞらしささえある二人のやりとりなど、どうでも良かった。士匄は、晋女を突き飛ばすようにして持っている酒器を奪う。倒れそうになる晋女を趙武が慌てて支え抱いた。

范叔はんしゅく、何を!」

 強い非難が込められた趙武の声を、士匄は無視して、菊酒を嗅ぐ。清々しく芳しいその香り、なされる生薬の調合に眉をしかめた。

「これだ。これ。おい、女。この菊酒は誰がこしらえた」

「誰とおっしゃられても……。きっと、酒の係のものです。食を作るは男、酒を作るは女と古来からのしきたりです。女官の誰か……。そうね、菊の香りが強いものがおりましたもの、そのものでしょう。誰だったかしら」

 士匄の勢いに押され、晋女が素直に答えるうちに、首をかしげた。士匄は酒器を床に置くと座り直し、

「それもだ、それ」

 と言う。それってなんだ、と趙武と晋女は首をかしげて士匄を注視する。そうなると美少女と美女がイケメンを凝視しているようであった。絵面だけなら、見応えのある風景である。

「おい女。まず、お前が片っ端から名付けをしてやったのは、なぜだ。女主人きどりか」

「……名付けというほどもございません。私が庭の美しさを愛で……そうね、詩を書いていたら『素敵な模様』などと言うのですもの。民に価値はわかりませんけど、その恩恵だけでも与えてやるのは貴き家を出た私の責務というもの、それだけです」

 名付けではないと言いつつ、女主人きどりを否定しない晋女である。趙武から身を離し、美しく座りながら挑戦的な笑みを浮かべた。趙武はそんな晋女を見て、少々引きつった。

 てきの女、の女、そして晋の女。今日、いきなり一気に、たくさんの女性を見てしまった。趙武の中で女性というものは、ぼんやりとした霧の中にいる幻影に近かった。己よりかよわく守らなければならないらしい、存在。もしくは不貞の母である。が、可憐さとしたたかさを見せてきたり、肉の匂いでからめとろうとしてきたり、あでやかな高慢さを見せつけてきたり、している。その全てに、不思議な繊細さと怖ろしさがあった。こんなものどもを己は嫁にせねばならぬのか、とも思った。

 まあ、趙武の怯えはともかく、である。士匄は真っ直ぐと背筋を伸ばして答える晋女を睨み付けた。小賢しさよりも虚勢の色が濃いこの女は、侮蔑に値する、と目を細める。

「十有二州をはじめ、十有二山を封じ、川をふかくす。舜帝しゅんていの偉業のひとつだ。この意味がわかれば、恩恵などと軽々しく言えまい」

 士匄の言葉に、晋女が戸惑う顔をした。彼女は、士匄の言わんとしていることがわからなかった。士匄という青年はこのようなとき、相手を再起不能にするまで殴り続ける。虎が獲物を痛めつけるように嬲り続けるのだ。冷たい視線とともに、舌なめずりするような気配を趙武が察し、口を開いた。

舜典しゅんてんの第二ですね。舜帝の大いなる決めごとのひとつです。十二の州をとりきめ、十二の山を定められた。世の境界を決められ、治水を極められました。……とても、とても大切なことです」

 趙武が少し含みをもって言うが、晋女には分からず、二人の顔を見る。彼女は詩を諳んじることができ、字もわかり、書ける。かつて彼女は貴婦人たれと育てられたのである。

「趙孟。はっきり言ってやれ。そのように待ってやってもそこの女に意味はわからぬ。わかっておれば、賢しらに字を書きちらし、人にしゅなど振りまかぬ」

 咒!? と晋女が叫んだ。趙武が少しため息をついたあと、口を開いた。

「十二の州と山を定められたということは、名を与え役目をお決めになられたということ。州は人の住む場所、治める土地となりました。山は形を持ち、祀れるようになりました。名を与えるということは、字を刻むということは、極めて重い行いです。物に役割を与え、人を縛り支配します。あなたは、名付けと言わなかった。それは責を放棄、いいえ、わかっていない者の言葉です。知恵に溺れ、ただ己を誇示したいという理由で人に名を与え、それを字として残した。これは、咒となります。私は二人の女官に出会いました。二人とも、様子がおかしかった、あなたに名を与えられた者です。あなたが、無自覚に、名を付け、支配していた。あなたは誇りを教えられ気高くたれと育てられたのでしょうが、他者を見下さないと保てぬものは矜持ではございません。卑屈というものです。……いえ、これは私の私見ですから、卑しいとは限りませんね、本題ではない」

 趙武の声はぞっとするほど暗い。鋭さはないが、地下から這い上がってくるような冷たさがあった。晋女が怯えた顔を、趙武に向ける。趙武の言葉は続いた。

「あなたは名を与えていた。范叔が仰るに、女官の行いが異常なのだそうです。あなたは、彼女たちに恩恵と称して何を仰ったのですか。名を与え、形を定め、そして何を吹き込んだのです。あなたの咒が、女官たちの死と無関係とは思えません」

 晋女が少し考える顔をしたあと、顔を青くしていく。何か、思い当たるところがあったらしい。首を小さく振った後、士匄を縋るように見た。

「名を、付けよう、などとは」

 震える唇は、品良く柔らかそうな紅色であった。

「女に責は問わぬ。言え、お前は名を付けたものどもに何を言った。仕入れ先と仕入れ日で戯れに名をつけ、何をふきこんだ」

 罪を問い刑を量る声音で士匄が静かに言った。そこに嬲る気配は無くなり、厳正な法制家の姿がある。強欲で傲岸不遜な士匄のもう一つの顔であった。

「……みな、鈍くて頭の悪い娘ばかりだった、私に仕えたはしために比べると酷いほど。だから、道を示してあげたのです。――この宮の中にいるものは、全て役に立たなければならないのよって」

「しかし、お前は奴隷が嫌だとわたしに媚びて抜けようとした、と」

 士匄の言葉に、晋女が、媚びていない、と叫んだ。

「君公はまつりごとにご興味なく……ええ、はっきり申し上げましょう、人として器の小さな方です。亡びた家を再びなど私だって思いません。でも、自分よりバカに仕えるなんて、耐えられない。ええ、奴隷というものはそうだとあなた方は思うでしょう、私だって幼いころは思っておりました。……卑しいものどもがバカなのは、耐えられました。父の顔も忘れかけ、何度も売られ、耐えていることも忘れそうになっておりました。でも、私は晋に戻って、我が家を滅ぼした男の息子に仕えることとなった」

 時折、ガチガチと歯が鳴った。激情の現れであった。

「せめて、貴い血筋に見合ったおつむでしたなら、私も覚悟ができたというもの。私は、他の女官とは違う。みな、ここにいるなら役に立つべきです。それが職分ですもの。私もここにいる間は尽力しましょう。でも、私はここにいるような者ではございません。あんな、どこの馬の骨とも知らぬ女たちと一緒にされたくはない。……君公から逃れるためには、相応の方に買われるしかない。そして私にはその価値がありましょう。字が読めて書けて、古詩を知り、大夫の音曲を奏でることができる女官が他におりましょうや」

 一気に吐き出すと、晋女が趙武と士匄を伺うように睨み付けた。品の良い顔が歪んでいた。士匄はそれをはじき返すように、醒めた目を向ける。

「だいたい、わかった。その勢いで他のものを圧していたなら、その願望も漏れ垂れ流しであったろうよ。知らず、口に出していたかもしれん。趙孟、女官らは、この女の我欲に当てられたわけだ。名を付けられ、外に出るべきという欲に支配され、そのためにお役に立ちますと縋る。古今東西、女というものは考えなし、特に知恵のついた女はどうしようもない。淫祠いんし以下ではないか」

 士匄は、しょうもない気持ちを込めて、言った。宮中に淫祠ははびこっていなかったが、バカが咒を振りまいていた。指向性が無いだけに、始末に負えない。後で殺してしまった方が早い、とも思った。

「でも范叔。女官がどこかおかしかったことはわかります。しかし、それだけでは説明できません。二人、惨たらしい最期を迎えました。そして、私たちがここを出ることあたわず。彼女が女官たちに名付けをして咒で縛っていたこととこれは、繋がらない」

 趙武の言葉に、士匄が、そうそれだ、とまた言った。だからそれはなんだと、趙武が再び士匄を見る。晋女はうつむいていた。

「おい女。お前の持ってきた菊酒だ。それを仕込んだのが誰か、お前はわからんときた。その酒の清らかさは強すぎる。趙孟の穢れが一気に消えた。わたしはそれを飲んで昏倒した。清浄が強すぎて、当てられたのだ。巫覡でさえそのようなものは作れまい。誰が、こんなものを仕込んだ」

 菊の香りが強すぎる酒を指す。強い薬が毒になるように、あまりに強い祓いは人の気を食う。士匄は敏感すぎて、一気に食われた。趙武も飲み過ぎれば昏倒したかもしれない。晋女は、必死に考えた後、頭を抱えるような仕草をした。

「誰……。あの娘は、誰だったのかしら。この生薬が良いのです、と言っていた。みなさまのお役に立つ酒になります、と言っておりました。……そういえば、誰だったのかしら」

 呻くような声に、趙武は戸惑いを隠せず、士匄は厳しい顔をした。

 そうして、三人の若者が困惑しているその時分。韓無忌は菊の咲き乱れる庭で女官に迎え入れられた。

「また、菊茶でございましょうか」

 うやうやしくかしずく、菊の女官は、やはり花のような形であった。韓無忌はその姿に目を向け、静かに口を開いた。

「――あなたは、どなたでしょうか」

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