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第27話 蘀や蘀や、風其れ汝を吹かん。枯れ葉が風に舞ってふきつけるように、貴方が誘ってくれれば私はあなたの元へ

 士匄しかい趙武ちょうぶたちの『モラトリアム』にはあまり関係無いのだが、出てきてしまったので一応解説しよう。

 晋公しんこうである。

 文字通り、しん国の君主であり、しゅう王室から爵位を受けた諸侯のことを言う。

 現晋公の名は州蒲しゅうほといい、思考が浅く政見狭く、享楽的でそそっかしい青年である。国君と思えば極めて頼りなく心もとない彼であるが、二十才そこそこの若者と思えば、遊び仲間にちょうどよい。彼の尊い血筋、代々の晋公については割愛する。まあ、ご先祖さまが頑張ったので、彼は中原ちゅうげん、つまりは黄河流域の盟主めいしゅとして君臨しながら、日々フラフラ遊び、楽しい人生を過ごしている。州蒲は別になんの苦労も努力もしていない。そのせいか、同じく軽佻浮薄なボンボンの欒黶らんえんと気が合っている。そして正卿である欒書らんしょ――欒黶の父は苦い顔をしている日々であった。

 重臣たち六卿りくけいという、うるさいオヤジどもに辟易しながらも、州蒲は小知恵を働かせ、若い女官を増やした。現状の人数で支障は無いため、民から見れば無駄遣いである。が、そんなことは州蒲も、声をかけられた欒黶もどうでもいい。

「昼に酒宴をすると、儀だなんだと、うるさいやつらがくる」

 州蒲が士匄や欒黶を見回しながら口を尖らせた。朝政が終わり、州蒲の私室である。といっても、彼の私室は宮殿の内側、膨大なそれぞれの堂ほとんどを示す。今、彼らはその一室、私的な応接間にいると思えば良い。

僕大夫ぼくたいふがすっ飛んで来るでしょうな」

 士匄は肩をすくめながら言う。『僕大夫』とは現代で言う侍従長のことで、韓無忌かんむきの父である。幾度か前述しているが、名を韓厥かんけつと言い、趙武の後見人でもあった。謹厳実直、冷静沈着、そして長らく軍に携わっていたため、壮年となっても威風あり。州蒲はうええ、と苦い顔で呻いた。まともな宴席というものは、出てくる料理ひとつひとつを祀りながら、決まった手順で決まった食べ方をする、極めて煩雑なものである。

「余はかたっくるしい宴席なんぞやりたくもない。何か考えろ」

 州蒲が脇息にもたれかかってため息をつく。欒黶が

范叔はんしゅく、何かあるだろう」

 と軽薄に投げた。士匄は考えるそぶりもしなかった。このようなこと、特別奇をてらっても仕方がない。

「日が傾くまで時間を潰すことですな。まあ、無難なところで弓か詩でしょう。我が君は体を動かすと、頭を動かすはどちらがお好みで?」

「頭は嫌だ」

 州蒲の消去法で、決まった。

 この、弓遊びに関して、詳細を記する意味はない。あえて言うなら、集中力の無い欒黶はよく的を外し、そそっかしく注意力の無い晋公州蒲も的を外しまくった。士匄の一人勝ちだった、ていどであろうか。

 射場にいても、高い青空を鱗のような雲が彩り、赤や金に染まった紅葉の木々と相まって目を楽しませる。菊も盛りであるといわんばかりに、爽やかな香りがただよっていた。

「今年はとみに菊の香りが良いことで。菊の世話に長けた女官でも入れましたか、君公くんこう

 そろそろ日も傾いたころ、士匄は州蒲に問うた。

「まあ、頭の良いものがきた。それやもしれん。そうだな、酒に菊でもいれるか」

 州蒲が感慨もなさげに答える。彼は細かいことまでいちいち覚えておらぬ。

「俺は酒が飲めん。菊茶きくちゃも用意してください」

 欒黶がもう終わり、と弓を投げだして言った。州蒲は、かまわん、と度量の広い君主づらをして言う。

「……菊茶といえば。韓伯かんはくが、女官にょかんから菊茶を馳走されたそうです。菊の残り香を隠しもせず、ふりまきながら出仕なされましたよ。あのカタブツも隅に置けない」

 士匄は侍っていた寺人たちに弓や矢を片付けるよう命じながら、州蒲に笑みを向けた。いじくそ悪い笑顔であった。州蒲が、吹きだし、腹を抱えて笑う。

「は!? 無忌むきが!? あ、の、僕大夫のコピーペーストみたいな! 無忌が!? かいよ、余を謀っているのではないだろうな? 嘘だろそれ、いや、あはは、あははははは! どの女官だ、絶対見つけ出してやる!」

 州蒲は早口でわめきたてながら、笑い続けた。士匄はよもやここまでとは思わず、どれだけ韓厥でストレス溜めてるんだ、と君主を哀れんだ。誤解の無いように記すが、州蒲は韓厥を嫌っているわけではない。ただ、謹厳で重厚なおじさんがお目付役なのだ。軽薄な若者としては圧倒され縮こまってしまうものであった。そのおじさんそっくりの息子の、色っぽいネタである。州蒲はどうもツボにはまってしまったらしい。笑いをおさめても、すぐに笑い出す。

「しかし、君公の財産です、いかがなされます?」

 士匄は内心哀れみながら小馬鹿にしつつ、指摘した。

「余は吝嗇りんしょくではない。無忌がどうしてもその女官を欲しいと言うなら、元値の三倍で許してやろう。晋公の女官だ、少々価値があがってしまうものだ」

 再び、度量の広い君主づらをして州蒲が得意げにのたまった。欒黶が、せこい、我が君せこい、と手を打って笑った。この、とんでもない不敬な態度を咎められないのは、やはり欒黶の不思議な愛嬌なのだろう。

 さて。この韓無忌のネタは、宴席をおおいに盛り上げた。しかし、第一義は女官のお披露目、否、自慢である。

「先代からの数少ない女官ばかり、ぶっちゃけ年増ばかりが余の世話をする。しかし! 新たな女官は若い! 目の保養だぞ」

 十代後半から二十才そこそこの女官たちに宴席を設けさせ、侍らせ、まずは州蒲が勢いよく酒を呑んだ。

 この当時の酒は、香草や生薬と混ぜて呑んでいる。儀礼的な意味が大いにあったのであろうが、原始的で雑菌の多い酒であり、食中毒も防止していたようだ。この時も香草をふんだんにいれた酒であった。宣言通り、菊も入れた。菊の花も、薬草のひとつであった。

 さて。生薬独特のツンとした刺激臭と、酒精の甘さが入り交じったそれを士匄は一息に飲み干し、空の杯を見せた。州蒲が頷き、同じように飲み干して杯を見せる。飲むときは一息に、主客同等に飲む。まあ、そういった価値観が形になり、このような習慣になっていると思えば良い。儀礼というほどでもない。大学生のビール一気飲み大会と変わらない。もちろん、下戸の欒黶は菊茶である。が、手拍子で囃したり、景気の良い合いの手を打つなど、ほとんど酔っ払いである。雰囲気酔いであろうが、かすかに漂う酒精にやられるほどの下戸なのかもしれない。

「東国は良き商人が多い。女官に相応しい奴隷を頼んだら、ほらこの通り」

 州蒲は手を広げ、部屋内の女たちを自慢する。統一性より、多様性を求めたらしい。背の高い女、低い女、色素の薄い女、濃い女。東西南北、と士匄は思った。欒黶に侍り、茶や料理の世話をする女は、肉感的で顔も濃い。所作がまだ馴染んでいないらしく、どこかたどたどしかった。元々宮中などではなく、ちょっとした富裕層に売る予定だったのかもしれなかった。

「……牛かよ」

 動くたびに欒黶の腕にあたる豊かな胸を見て、士匄は呟く。なにやらバカバカしくなっていた。

 まず、宴席において酒を注ぐのは介添えか主人である。女が酒を注ぐなど、私的で内輪な場を想像してしまう。つまり、州蒲の家庭にお邪魔しているようないたたまれなさがあった。もしくは、品性の無い酒乱の行い。たとえば、はるか昔にいん紂王ちゅうおう妲己だっきと共に行ったハイテンションな酒池肉林フェスティバル。士匄は傲岸不遜のゆとり世代で、少々型破りな価値観を持っている。年相応に下劣な話も楽しむ。が、趣味は豪勢かつ品の良いものを好んでいる。教養人を自負している彼は、プライベートキャバクラ接待にさっさと飽きた。

「恐れ入り奉ります。御酒ごしゅをお注ぎいたします」

 傍らに侍る女官が美しい拝礼と共に言った。こちらは、典雅さが板についている。この女は、士匄が微妙に興ざめしていることに気づいたらしい。

「晋公さまは良き大夫たいふさまに恵まれ、素晴らしいことです。あなたさまの、お座りになる姿、お飲みになる時の仕草、どれをとっても威儀を感じます」

 そっと小声で言祝ぎし、さらに、


 孑孑げつげつたる干旄かんぼう しゅんこう

 素糸そしこれう 良馬りょうばこれにす

 しゅたるの 何を以てこれあたえん


 と、士匄にだけ聞こえるような声で、静かに吟じた。国君が賢臣を求め訪ねる古詩こしである。女官は、州蒲が士匄を賢臣として好んでいるのだと讃え、そして場を盛り上げようとしたらしい。所作といい機転をきかせえた古詩といい、教養ある生まれのものが奴隷になったのであろう。当時、貴族でさえ政変や戦争、困窮で身を売ることはある。かつて晋公の娘が他国の下女になりはてたこともある。この女官も、元はどこかの貴族であったのだろう。

 士匄は女の顔を見た。意志の強そうな眉と、知的な瞳が印象に残る、整った顔であった。

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