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第12話 方の外に遊ぶ者なり。途中休憩。たまには世俗をわすれてぼんやりと。

范叔はんしゅくを多才な方と見込みまして、お願いしたい議がございます」

 元『山神がつきまとっていたゆう』で骨を休めていたときである。夕餉ゆうげも終わり、互いに苦菜にがなを煎じたものを飲み、一息ついたあたりで趙武ちょうぶが言った。苦菜とはタンポポ科の植物とされ、この習慣が後にツバキ科の茶に繋がっている。他、諸々豆知識はあるが、ここでは書かない。ともあれ、趙武の言葉に士匄しかいはいぶかしげな顔を見せ、顎をしゃくって促した。相変わらず、傲岸な態度であるが、趙武は気にせず言葉を続ける。

「実は、我が邑のひとつに不祥あり、民が苦しんでおります。巫覡ふげきのかたに毎回見ていただき祓うのですが、祓いきれず困っているのです。范叔に見て頂き、その識見を伺いたいのです」

 士匄はまず、いやだ、と返した。

「巫覡がたちうちできぬものを、わたしにどうしろというのだ」

「しかし、宮中で巫覡のかたはその場を祓うのみで范叔の祟りそのものを祓うことはいたしませんでした。いわゆる対症療法ですね。巫覡の方々は本来祖霊をお呼びする依り代、天からのお言葉を受けられるお役目で不祥を祓うのはついで、というところがございます。范叔は巫覡の方々とお考え違いますし、なにより教養深く邑を治める見識も深いでしょう。祓えという話では無いのです。ご覧いただきお考え伺いたい。私はまだ成人して浅い至らぬものです。ご教示いただけませんか」

 教養と見識深いという言葉に士匄は気を良くした。この青年は褒められると心が広くなるところがある。もっと言えば、浮かれる時がある。これで筋が通ってなければ撥ねのけるが、きちんと通っている。

「良いだろう。わたしは未熟であり邑を治めるも父の教導なければ満足に行えぬが、趙孟ちょうもうたっての願いだ、見るだけなら差し障りあるまい」

 言葉だけは慎ましく、態度は横柄に士匄は笑った。趙武が感謝を込めて拝礼した。本音で願い申し出た言葉であるが、それはそれとしてちょろい、とも思っていた。

 ちょう氏問題の邑は帰り道から少々ずれた場所でもあったが、大きく外れているわけではない。一行は悠々と邑に立ち寄った。

「この邑はきびあわ、あと麦を少々。不祥が無ければ、我が趙氏の倉となるのですが」

 趙武が招き入れながら、士匄に説明した。なるほど、支流と支流に挟まれ、地味はよさそうである。外から見るには、不祥の影は無い。士匄は門をくぐったあと、趙武にうながされるまま、馬車を降りた。

 当時の都市国家は邑を含め、外壁の内側に耕作地を作っている。人口が増えたり開墾すれば外壁が広がるのは東西変わりは無いであろう。耕作地の真ん中に男たちが寝泊まりする小屋がある。農奴に近い彼らは農繁期は耕作地の中で寝泊まりし、飯は別居中の妻が届ける、という生活をしている。

「民はよく働くのですが、このものを見て下さい。このように腹が膨れ顔色も悪い。発疹ができてからこうなっていきます。巫覡のかたに見て貰うのですが、助かるものあればそのまま治らず衰えるものあり。私の不徳であると思いますが、何を改めてよいのかわからぬのです」

 あらかじめ呼びつけていたのだろう。趙武が一人の男を示して言った。確かに顔色悪く、腹部も膨らみ、異常が一目で分かる。とてもではないが健康体とは言えぬ様相であった。

 士匄は、その男を見ていなかった。耕作地を見て顔を引きつらせていた。おぞましいものを見る目つきそのものであり、えぐ、と喉奥を慣らす。士匄はなんとか嘔吐物を飲み込み、胃液臭い息を吐いた。趙武がいぶかしげな顔を向けた。何を見たのか、という顔でもあった。

「趙孟。邑の中を案内しろ。話はそれからだ」

 士匄の強すぎる口調に押され、趙武は頷き、それでは馬車へ、といざなった。が、

「徒歩でいい。たいした広さでは無かろう、あ、の、耕地を順に……うぇ……、耕地から、順に案内しろ」

 吐き気を堪えるようなしぐさをしながら、士匄が言う。いったい何なのか、と問いたかったが、元々見てくれと頼んだのは趙武である。不祥で病んだ民をねぎらったあと、邑宰ゆうさいに案内を命じる。質朴従順な邑宰は士匄の様子に少々怯えたが、誠実な主人に拝礼し従った。

 倉、つまりは税が多くとれる地を目指すだけに、丁寧に耕され作られた田畑が広がっている。常に率先して前を行こうとする士匄が、そっと趙武の後ろを手勢と共について歩いていた。どんどん、顔が蒼白になっていく。が、霊障というわけではないらしい。趙武もそのていどは感じられる。

「あの、何かお加減悪いのでしょうか。それなら邑宰の邸でお休みの差配をいたしますが」

 趙武のいたわりの言葉であったが、士匄は、いらん、と払いのけた。

「わたしのことは気にするな。不祥に当てられているわけではない。あとで言う。それより、あの耕地の水は川から引いているのか?」

 そのような細かいことを趙武が知るわけがない。邑宰に答えを促す。むろん、邑宰が直接士匄と口を聞くわけにはいかぬ。

「我が主につつしんでお答えいたします。すでに地に川の水が沁みておりますから、そうそう乾きません。川の水を引けば逆に穀物が腐ります。土が乾きすぎましたら、井戸の水を使う程度でございます」

 趙武はその言葉をくり返すことなく、このようです、とだけ言った。士匄が頷き

「その井戸を見せろ。井戸は耕地だけで使っているのか」

 と言った。邑宰は、農民の飲食にも使っております、とやはり趙武に向けて言った。

 邑には農民が耕作込みで使う井戸と、邑宰など支配階級が使う井戸で分かれていた。まあ、順当であろう。その、農耕兼用で使う井戸にたどりついたとき、士匄の顔色は最高潮に悪くなった。この青年は体中に鳥肌を立てていた。総毛立つ、というのはこのことである。

「お、あ」

 呻き、一歩下がる士匄に、趙武が首をかしげる。

「范叔? あの、あなたは、何を見て――」

「今は、聞くな!」

 趙武の言葉を遮って、士匄が叫んだ。

「お前がわたしの見識、教養、そして才を信じ頼んだのが本心であれば、これから言うことを全て聞け。理由など聞くな、とにかく頷け」

 まるで趙武に脅しをかけるように乗り出し、士匄がむちゃくちゃを言う。趙武は首を振った。

「あなたを信じて頼みましたが、とにかく頷けとおっしゃられても承伏できかねます。私はこの邑の主です。邑に害なすことかどうか、見きわめないと頷けません」

 ゆえに、わけをおっしゃってください。趙武は当然の言葉でしめて、士匄を見上げた。士匄が目をそらして、くそ、と小さく呟いた。が、首を振って身をかがめると趙武の耳元に口を寄せる。

「いや、今は言えん。お前は理由を聞いて納得するであろうが、そこの邑宰は耐えられん。下手すれば乱心する。お前がわたしに見ろといい助言を求めた。わたしが責を持つ、とにかく頷け」

 小さく、こそこそと耳打ちしてくるその声は、士匄には珍しくいたわりがあり、そして切羽詰まっていた。趙武は即断をするタイプではない。やはり迷った。しかし、一旦断った士匄に頼み込んだのは己である。

「わかりました。あなたに従いますが、少しでも害なすものと思えば、趙氏の長として、訴えること、肝に銘じて下さい」

 ここでは邪魔をしないが、ことと次第によっては公事にする、という宣言である。士匄はうろたえる様子なく、よかろう、と頷いた。

「では、趙孟の言葉を信じよう。まず先に言っておく。保障はする。士氏の領以外に、わたし個人として邑を持っている。その邑の財、穀で全て補填する。また、人も貸して協力する。口約束だと思うなら誓ってもいい」

 そう言うと、士匄が身につけていた小さな玉璧ぎょくへきを趙武に示した。玉璧を使う誓いは、極めて重い。趙武は喉を鳴らした。

「河になされますか?」

「……いや、今すぐとりかかりたい。地に埋める。地だけでは足りぬと思われては癪だ、わたしの血も使う」

 河に玉璧を捧げるか、という趙武の問いを即座に断り、士匄は己の親指を歯で噛み切った。淡く流れる血を玉璧に塗りつけると、地に穴を掘り、埋める。

「少々浅い穴だが、わたしはさっさと終わらせたい。誓いは地に成された。魂も体も地がつくりたもうたもの」

「違えれば、范叔の終わりはよくないでしょう。では、我が領地をお守りくださるというお言葉を信じましょう。何をされるので?」

 趙武が静かに促すと、士匄は井戸を睨み付け、怒鳴った。

「その井戸を潰せ! 完全に封じ、潰して地に埋めろ。そして、全ての耕地に火を放て」

 気でも狂ったのか、と趙武も邑宰も士匄を見た。が、士匄の目は理性の光がしっかりとある。嫌悪感に彩られた顔をしているが、狂人じみた様子は無い。

「だまって頷けとわたしは言ったはずだ。そして、保障はする、と。井戸はあらたに我が手勢で作ろう。耕地が戻るまでは、我が邑から財、穀で飢えぬよう、税が滞ることなきよう、補填するとも言った。すでに不祥に冒されたものは諦めろ、隔離して軽作業でもさせておくんだな。生かしておくのが邪魔であれば贄にでもしろ」

 最後の一言は現代から見れば極めて非人道であるが、当時の貴族的価値観からすれば、常識の範囲内である。それはともかく士匄の顔は舌打ちでもせんばかりのであった。これは趙武への苛立ちではなく不祥への嫌悪らしい。趙武はよほど、何を見ているのか、と問いただしたかったが、今は言えぬと言い切られたのである。追求はやめた。

「……わかりました。士氏は法制のお家柄、そしてあなたは血とぎょくを以て地の神に誓った。そのお覚悟を信じましょう。邑宰。差配をお願いします。民は不安がるでしょうが、生活は保障すると仰ってかまいません」

 邑宰は、それはできかねる、と抗弁したが、趙武は主としての絶対権で押し通し、

「……古くは、田畑を焼いて作物を実らせたと言います。耕地は無くなるわけではございません。火を放って下さい」

 と命じた。士匄がそれに頷きながら

「井戸は我が手勢で新たに作ると言った。今からすぐに呼び寄せる」

 と言って、傍らに控えていた手勢に命じ、走らせた。そこまでされれば、邑宰も命令に服すしかない。彼は邑を背負う長であり、心情は民に寄っていたが、主には逆らえなかった。

 こうして、ひとつの井戸が完全に潰され、民が茫然とする中、耕地は丁寧に焼き尽くされた。終われば、戦の後のようだ、と趙武は思った。彼は戦争など出たことがないため、想像である。士匄がふかく息を吐いた。まるでようやく息がつけた、という様子であった。彼を擁護するなら、まさに、そのとおりでもあった。

「わが手勢が来るまで、邑宰どのは不安だろう。それまでここで待つ。邸に案内しろ」

 今度こそは、馬車に乗り込みながら、士匄は言った。趙武が呆れた顔をし、邑宰がひきつったが、理屈は正しい。恐怖に怯える邑宰が先導し、士匄と趙武の乗る馬車は邑の中心地へと向かった。

「……結局、何を見ていたのです? ここにはあなたと私だけです」

「お前……それが聞きたくて、わたしの馬車に乗り込んだのか」

 今度は士匄が呆れる番であった。趙武が、好奇心ではなく義務です、と返す。己の領地に火を放ち、井戸を潰したのである。当然であった。士匄は苦い顔をした。思い出しただけで、吐き気をもよおしそうである。が、趙武の言うことは全く正しい。理に適っている。知らねばならぬのが道理である。

「言うが、叫ぶな、吐くな、そして何故教えたなど八つ当たりするなよ」

 今回の士匄はやたら前置きが多い。

「そうやって先に了承を得ようとするのは、少々卑しくありませんか」

 とうとう、趙武は言ってしまった。先達の言葉に頷け、であれば趙武は道理として受け入れる。それは責任を先達が負うという宣言でもある。が、士匄の言いぐさは、趙武に責をなすりつけるようなものであった。

 士匄は手の甲で己の口を一瞬だけふせぐと、確かに卑しいな、と呟く。

「わたしとしたことが、保身に走った。しかし、一応お前を慮ったのも事実だ。言い方が悪かったが、許せ」

 本人としては謝っているつもりらしい。趙武がそれで? と目で促し、士匄は頷いた。

「不祥に取り憑かれた民は口やら腹やらから、蟲が見えた」

「蟲?」

「砂虫や蚯蚓みみずのような、手足なき長くにょろっとした蟲だ。あと、その幼虫らしき蟲だな」

 言っているうちに気持ち悪くなってきたのか、士匄が苦々しい顔をした。趙武もあまり気持ちの良い不祥ではないな、と少し眉をしかめたが、しかしそこまで嫌悪があるかといえば、そうでもない。趙武は見た目は繊細であるが中身はけっこうタフである。士匄の言葉は続く。

「まあ、民に関しては良い。耕地と井戸だ。特に井戸が酷かった……」

 そこまで言うと、士匄は一旦息をついた。そして、意を決したように、口を開いた。

「蟲と貝の交尾がびっしりと、だな。大量の砂虫と巻き貝が絡み合って、不祥をまき散らしながら、交尾していた。お前、見えなくて幸せだったな、いや本っ当に幸せだ、不祥どころではない、気持ち悪い、この世の地獄だった、あんなところで働き、過ごし、そして水を使い飲む。考えただけで吐き気がくるわ、いや気が狂う」

 士匄の吐きそうな顔を見ながら、趙武も嘔吐感を覚えていた。想像を絶する気持ち悪さである。生理的嫌悪で鳥肌が立つ。そして、そんなものを見ながら耐え、誓いまでした士匄を讃えたくなった。趙武はさすがに、士匄の妄想とは思わなかった。山神と共に対峙したのである、本当であると信じた。

「井戸と共に蟲も貝も埋められ、地には出てこなかった。火を放っている間、蟲と貝は消えていったようだ。次に湧いたら知らんが、とりあえずは大丈夫だろう。井戸は卜占、巫覡総動員で場所を選べ。わたしはそこまで面倒見ぬ、良き井戸を作る手勢だけは貸す」

 ため息をつきながら言う士匄に、趙武はありがとうございます、と心から感謝の意を表し、拝礼した。馬車が邑の中央、邑宰の邸についたとき、趙武はうやうやしく士匄を先導し、後輩、格下、そして恩人に対する趙氏の長として完璧に接待した。士匄は当然、という傲岸な態度で終始受け入れていた。

 さて。士匄の見たものと同じかどうか、わからぬが、ひとつの豆知識を記しておく。

 定住民族特有の風土病に住血吸虫症じゅうけつきゅうちゅうしょうがある。寄生虫による疾病で、人体への侵入後、血管内に寄生し、最終的に肝臓付近に生息することが多い。慢性疾患であるが、消化器官、肝臓の疾病を併発させ、放置すれば衰弱死する。ほとんどの寄生虫感染は宿主がおり、そこから人間などに感染していく。この寄生虫の宿主は淡水性小型巻き貝である。この風土病は紀元前二世紀の漢王朝時代にはすでに確認されている。趙武が悩んだ邑の不祥とこの疾病が関係あるかはともかく、まあ、一つのオチとして筆者は付け加えた。

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