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第6話 易簡にして天下の理得、シンプルに考えるのが一番

 しんという国は、元々大国だったわけではない。しゅうに内乱が起きた後、周辺国家を次々と併呑してゆき大きな領土を持つに至った。後世、時代を代表する軍事大国のひとつと数えられている。当時、国を攻め亡ぼしたとしてもまつりを絶やさぬよう差配することが常識であったようだ。ただ併呑されたなら降伏した人々が邑と祖霊の祀りを続け、完全に亡ぼしたなら改めて祀りの儀を手配する。それがいかに重要であったかというと、史書の中に、亡国で、ある河神かしんの祀りが絶えたことを問題とする記述があるほどである。

 そのため、晋も周辺国家を喰い平らげるも、各々のゆうが執り行っていた山川さんせんの祀りは引き継いでいる。そしてその祀りはその邑がいつ開かれたかによって変わるものであった。例えば、士匄しかいが貰い受けた問題の邑は舜帝しゅんてい統治の時に開かれ人が住み祀りが始まっている。ひるがえって、趙武ちょうぶが持つ原邑げんゆうしょう王朝――現代ではいんの名称が有名である――に開かれているため、問題の邑と祀りの対象や儀式が多少変わる。そのような細々したことを病的なほど大切にする時代でもあった。古代貴族政治時代の特色であろう。

 つまり、ひとつひとつの邑の祀りというものは微に入り細に入り記録されているということであった。現代のような紙ではなく、板状の竹や木に文字を書き入れ繋げた書簡である。邑の位置もその周辺にあるものも、全て文字と漢数字で説明されているのである。それがひとつふたつではない。趙武が念のため、とピックアップしたそれは、十を軽く越えている。士匄は頭は良く文字で説明された事柄を脳内で立体化させるのもたやすくできる。ただ、彼は根気と持続力が極めて欠けていた。何度も、もう嫌だめんどくさい! と叫び、そのたびに趙武にいなされている。

「えっと、この邑は山が背にあって、川は西でして、我が絳都こうとからの距離が……」

「四つ前に出した邑より二十六北東! ゆえさらに山が近くなり、黄河に流れゆく支流の間近だ。……ちょっと貸せ。……これも堯帝ぎょうてい時代の邑だな。そうなればこの山より流れる支流に近い三つの邑、堯帝の御世に始まった養蚕の場だろう。あー……。確かこの山には山桑やまぐわがあり、つまり、もしものときの保険としてこの山からの恵みを三邑で分け合うようお作りになられたのであろうよ。つまり、この三邑はいわゆる兄弟都市だ」

 書簡に記載されているのはそれぞれ独立した邑の記録と地勢、わかるだけの歴史と財源である。しかも、順番に並んでいるわけでもなく、地図があるわけでもない。が、士匄の頭は述べられた順など関係なく有機的に処理されていく。

「本当に、あなたは頭がいいですね……」

 素直に感心しながら、趙武が書庫の床の上に印を付けた。位置関係がわかりそうな手書きの地図であった。メモにできそうな布も板もないため、床を使っているのである。ま、怒られたら謝ればいいじゃないですか、と床に絵図を描き出したとき、士匄は唖然とした。貴族主義に染まった彼には無い、大雑把さであった。

「もういいだろう、趙孟ちょうもう。今の三邑のように共に開かれた邑は確かにあるが、問題の邑が他の邑と関係あるとは思えん」

 今まで列挙した邑の起源は堯帝時代を元にするところばかりである。その上、周人が氏に譲渡した邑は地勢としても繋がりがあるようには思えない。あとから、たまたま開いていた場所に入植した、という位置である。生活水準が高くなれば、不毛な地も良い地に変わる。時代が降れば、無用な場所が有用な土地になることなど珍しくもない。飛び地のその邑は、たまたま遅れて舜帝の時代に開かれただけだと士匄は思った。

 しかし、趙武といえば、首をかしげて唸っている。そうして、床に書いた図を指さした。

「このあたり一帯は、きびを主に耕作してはいますが、それぞれ山の恵みに合わせて作られた邑が多いと思われます。先ほど、范叔はんしゅくがおっしゃった三邑は桑ですね。こちらの並びは銅です。このうちひとつをお持ちはげき氏です。先代正卿せいけい郤献子げきけんしはこちらの銅を持ち込み君公くんこうに公室の銅工場で祭器を作りたいと願い出た、と聞いております。つまり、このあたりの邑も兄弟都市でしょう。さて、問題はこちらです。山に近接したこの邑はうるしを扱っております」

 ここに出た郤氏は現在も威勢強く、卿に名を連ねている。それはともかく、趙武の言葉に士匄は頷いた。

「ああ、その山に漆が群生しているからな。それを邑でも栽培している。そちらも堯帝が開いた地、山の漆を民に与え、栽培をお教えされたのであろう」

 這いつくばって地図を書いて示す趙武に視線を合わせるように、士匄も膝を床につけ、顔をつきあわせる。

「范叔のおっしゃること、もっともだと思います。でも、山の大きさに比べて邑の規模が小さい。いえ、小さいというより、桑、銅に比べ、漆が一邑というのがどうも解せない。なので、ちょっと考えたのです。このあたりに私なら邑を作るなあ、と。そうしたら」

 趙武が空白の場所に筆を置き、印をつけた。そうして一旦筆を浮かせて、移動させる。士匄はその動き、筆先の行く先に眉をひそめた。

「私だったらここに邑を作りますが、無い。でもその山から東へ少し動かすと、邑があります。このあたりで唯一、舜帝のお作りになった邑。あなたが引き継いだ例の邑です。邑の産むもの、黍はございましょう。あわはもちろん、家畜も。――漆は?」

「……あった。漆園が自慢の邑だと周人は言っていた」

「単に、漆の山に近いからでしょうか、他の邑から譲られた可能性もありますが」

 趙武はここまで指摘しておきながら、おずおずと消極的な意見を静かに言った。趙武が示した場所に邑は無く、晋の記録にも無い。士匄が譲られた邑は現実のものとしてあり、舜帝、虞王朝の時代からあったと主張している。士匄は己のこめかみに手を置いたあと、指でとんとんと叩いた。――もうひとつなにかピースがいる。屈辱も怒りも忘れ、空白の邑のことだけを考える。

「……趙孟。素衣素冠そいそかんといえばまず喪服だ。その葬式にあやかろうとする葬儀乞食が着ているもの。他に何が思い浮かぶ?」

 邑からいきなりかけ離れた質問に驚きながらも、趙武が

「えっと……亡命、でしょうか。祖国と永遠の別れをするときの儀で着ます」

 と返す。士匄はその答えにそうだな、と生返事をしたあと、また考え込んだ。はっきりいって、失礼極まりない態度であったが、趙武はただ黙って士匄を見た。このような、沈み込むように考えている士匄など、初めて見たからである。趙武にとって士匄は頭の回転がよく、弁が立ち、立ちすぎて口が回りすぎ、舌禍ぜっかで損をしている先達である。一歩立ち止まってから動けばよいのではないか、と考えることしばしばであった。が、その彼が一歩どころではない熟考をしているのである。しかも趙武を壁打ちにしてまで、深く潜り考えているのだ。

 士匄はもちろん、趙武が驚きの目で見ていることなど気づかぬ。あの邑の問題は、邑そのものと、贄にした素衣素冠の男である。死したものへの喪服か。死を食い物にする喪服もどきか。祖国への別れか――。祖国への別れ、祖国との別れ。

「亡命ではない。あれは追放だ。あの、素衣素冠のものは追放された」

「邑より追放されたものが、どこにもいけず、さかいのものとして現れたのですか?」

 士匄の言葉に趙武が驚きの声をあげた。東西古代、どちらも『追放』は重い罰である。つまり、文明社会からの締め出しであり、どこかの集落に受け入れられねば人間以下の存在として生きるしかない。趙武の言う境はそういう意味である。だが、士匄は首を振った。その顔に迷いはない。

「あれは、邑そのものだ。理由など知らんが、人が邑を追放し、捨て、場を移したのだ。祀られぬものとされた邑が人を追いかけ、新たな邑を己の地だと叫んだわけだ。捨てられ移られたわけではなく、邑が広がったと主張して、祀れと取り憑いた。地雷女のストーカーだな」

 堂々と断言した士匄を、趙武が唖然とし、ぽかんとし、アホですか? という顔で凝視した。

「いやいやいや、あの、人の贄だったんでしょ、邑て。邑が人間の形をとって歩き回っているってさすがに聞いたことがございませぬが!? 范叔、あれですか、脳みそ焼けちゃいましたか、死んじゃいましたか……」

「誰が脳みそ焼けてるか! お前、時々本当に腹立つからいつか泣かす。まあ、私も間が抜けていた。今思い出そうとしても、あの男の顔も年齢もわからぬ。思い出せぬのではない、わからんのだ。便宜上『邑』と言ったが、厳密に言えば邑で祀られていた山の祭神であろう、祖霊は人々が持ち越したであろうから。山神の本体はもうひとつの邑が祀り続けているであろうが、消えた邑に移された端末のほうは恨みがましいストーカーになったわけだ」

 立ち上がり、やれやれ、というように手を上げ首を振る士匄を、趙武がこちらも立ち上がり、見上げた。

「范叔。しかし、空白の邑が、本当にあったかどうか、が証明できておりません。あなたのお言葉は、私の示した空白に邑があるということが前提。しかし、そのような記録はございませんし、范叔の推論をもってしても、断言できないでしょう」

 趙武の言葉に、士匄はその通り、と素直に返した。結論は正しいと本能がつげるが、理は不確かであると己でもわかっている。

「この書簡の記録以上のことなど、この晋ではわかりません。たとえば周都しゅうとにある法制地勢を全て調べるとか、まあそういった、膨大な記録を確かめた方ならご存じかもしれませんが、しかし、そのような人はおりませんし、いたとしても細かいことまで覚えてらっしゃらないでしょう」

 趙武が書庫を見回しながら言った。書庫にある全ての書をひっくり返しても、こんな小さな邑の詳細な記録があるとも思えない。邑の直接の書でもここまでしか分からぬのだ。

「まあ、ウチのじいさんなら知ってるだろうけどなあ。じいさん、周の記録めちゃくちゃ取り寄せて調べて、法制整えたから」

 士匄は己の首を掻きながらため息をついた。士匄の祖父は晋には正しい儀礼が伝わっていないと気づき、正しい情報を精査して法制を作り直した名宰相である。政治、外交、軍事全てに優れ、特に情報の収集力と精査能力は晋どころか春秋時代随一といえる。士匄の自慢の祖父であった。むろん、故人であり、諡号しごう、他者が呼ぶとなれば――。

范武子はんぶしは本当に素晴らしいですね。もし、ご存命であれば伺うこともできたのですが。特に士氏に不吉が起きるかもしれないのです。黄泉こうせんでご心配でしょうね」

「あー……。まあ、うん。聞いたら答えると思うが……。でもじいさん、怒ると怖いからなあ」

 腕を組み、体をゆらしながら目を泳がせる士匄を見て、趙武は少しほほえましさとうらやましさを感じた。幼少のころ、いたずらでもして怒られることもあったのであろう。趙武に父の記憶も祖父の記憶もない。孫の顔をする士匄は少し幼い表情をしていた。

「ふふ、かわいい孫の危機じゃあないですか、范武子もきっと力になりますよ」

「そうかもしれぬが、じいさんは怒るとガチだ。何故わからぬきちんと調べろ考えろ、って絶対に言う。そこから教えてくださいって持っていくまで、考えただけでもめんどくさい」

 稚気めいた士匄の言葉に笑おうとして、趙武の表情が固まった。会話にずれがあることに気づいたのである。ずれ、齟齬、勘違い。士匄の言葉の全ては過去形ではない。

「范叔。ひとつ伺いしますが、范武子はお亡くなりになられてますよね。諡号ございますしね」

「当然だろう。何をアホなことを聞いている」

「…………もうひとつ伺いますが、お亡くなりになられているかたに、今、ご教導賜りたいって言っても意味はございませんよね?」

「呼んで教えを請う話か? 祖の方々のご迷惑でない程度にお呼びすること、意味があるであろう。あまり長居できぬから、きちんと要点を伺うのが肝要だ。趙孟はちまちま考えるのは良いが、話がもたつきやすい。教えを請うときはスパっとせぬと、お答えいただく前にお帰りになられる。では、この騒動が終わればそのあたりの要領を教えてやろうか。たいしたコツでは無いが――」

「私は祖霊をお呼びすることできませぬ。そして他の方々みな、絶対に、祖霊をお呼びしてご教導お願いしますってできませぬ。いや范叔って多才な方だとは思ってましたが、ここまで多才とは思いませんでした」

 趙武の言葉に、士匄は思わず、え、とまぬけな声を出した。

「え? 呼べるだろ」

「呼べないです」

 士匄はさらに、何度も、え、え、え、と呟き、

「あ!」

 と叫んだ。あまりの大きな叫びに、趙武が半歩、飛び退いた。そんな趙武など目に入らず、士匄は頭を抱えて口早に言葉を垂れ流していく。

「子供のころ、父上がなぜか、他言するなと命じてきたのはこれか! いやこれ、あれだ、自慰みたいに一人でするからおおっぴらに言うなとかそういった意味だと思っていたが! あ、そういう、そういうこと」

 士爕は迷いなどないので呼んでいない、憚るのは祖に直接問うのは恥ずかしいことだから、と士匄は勝手に思い込んでいたのである。まさか、誰もできぬから黙っていろ、の意味とは思わなかったのだ。巫覡ふげきのような祓ったり天や祖の意を聞くものどもがいる。それ以外の者はせいぜい己の祖としか話せぬ。これが今までの士匄の常識であったが、一気に崩れ去った。士匄は己が際立った霊感体質とまでは思っていなかったのである。

 立ったまま燃え尽きた顔をする士匄に趙武が掴みかかる。

「勝手に恥ずかしがって終わってますが、私たちの戦いはこれからなんですよ! 呼べるんですね!? 范武子を呼べるんですね!? 早く呼びましょう、その含蓄深い豊かな知識に感動しながらご教導願い、万事解決しましょう、早く呼んで! 范武子とお話できるなんてナニコレ夢なの私は明日死んでもいい気がしてきました! ああもう早く知ってたら、毎日でもお呼びしていただいたのに! 范叔は問題解決! 私は推しに会う! なんという利害の一致! いいえ、これあれですよねWin-Winていうやつですねっ」

 常の柔和な瞳にきちがいじみた光を宿し、悦楽めいた笑みを浮かべた趙武が、士匄を何度も強く揺さぶった。その様子は狂態じみており、我を忘れているようでもあった。

「あ、はい、呼ぶ、呼ぶから、落ち着け趙孟、ほんと落ち着いてくれ」

 趙武は、一度も会ったことなどない士匄の祖父をとてもとても尊敬しており、はっきりいえば范武子強火担当のファンである。史書にもそのような発言が見受けられる。我の強い士匄であったが、二十数年以上の常識が崩れかけたところに、早口のオタクが強火で迫ってくるのである。我に返るまで三十秒ほど立ち尽くしていた。

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