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青春怪異譚〜傲岸不遜な公族大夫の日常
はに丸
歴史・時代外国歴史
2024年08月23日
公開日
192,879文字
連載中
 中国古代ファンタジー×オカルトコメディ、そして青春のモラトリアム。

 紀元前6世紀、春秋時代。中国は山西省に晋という大国があった。いずれ大臣として国を担う若い貴族たちは研鑽どころか、怪異に巻き込まれたり踏み入れたりとドタバタしていた。

 文武両道でイケメンだけど傲岸不遜かつ自信家すぎてざんねんな主人公・士匄と、美少女風美青年で生真面目ド根性な後輩・趙武がバディとなり、呪い、祟り、怪異を謎を解いたり対峙する、オカルト中華ファンタジー青春コメディ。

【一章】因果応報、春の祟り
 大貴族の後継ぎ、有能だが傲岸不遜な青年『士匄(しかい)』は、難癖をつけてきた狂人を返り討ちにする。
 しかし、それは怪異の始まり。
 雑多な霊に憑かれはじめ、果てには親子ともども処刑の危機へ。
 後輩で相棒の『趙武(ちょうぶ)』と共に怪異に立ち向かう。

【二章】夏は星狩りの季節
 『士匄(しかい)の友人、『荀偃(じゅんえん)』はお人好しにも出自のわからぬ巫女を引き取る。そこから異変が起こり、山神や四方に封じられた神さえ現れる騒ぎとなる。士匄と趙武は友人を助けられるのか。

【三章】恋は秋菊の香り
 士匄や趙武の先輩『韓無忌(かんむき)』は美しく誠実な女官に出会い、忘れられなくなる。そのころ、目が覚めた士匄の隣に惨殺された女官が死んでいた。連続する殺人事件、出られぬ後宮。
 惨状の中で男たちは女の神秘を見る。

【四章】冬が来たりて夢幻の旅路
 偶然と悪意の巡り合わせで、境界の神である道祖に閉じ込められた2人。脱出の算段をしながら果ての無い荒野を彷徨う。
 道祖の罠に気づいた時、始めて神を鎮めず滅亡を決意する。ただの人に神を倒せるのか。

春秋時代といえば、夢で祟られたり兎が二足歩行で踊っていたり、五日前に死んだ人が生き返ったり青い虹が出たり、まあそんな不思議な部分を拡大解釈して怪異を毎回解決する二十代の若者の、モラトリアム青春コメディとなっております。お気軽に深く考えずお読み下さい。歴史も時代考証もくそもございません。

第1話 始まりは肝心よ

 ――クッソめんどくせえ……

「いやあこれまた父上も面白いことを仰る。わたしに、わざわざ! 新たなゆうを受け取りに行け。と?」

 二十代半ば、整った顔にどこか野性味を漂わせた青年が、軽薄な声を上げた。

 黄砂を連れた強い風が外で舞っている。庭には桃の花がほころんでいたが、砂を避けるように主人の邸は扉を固く閉じていた。

 青年――士匄は大夫と呼ばれる貴族身分である。しかも、大国晋の大貴族の令息であった。すべらかな絹の衣を大仰に捌き、不遜にも父親にそう問い返す。若さゆえか、あるいはそれこそが士匄という青年の生来の気質であろうか。

 父親である士燮は目元をぴくりと動かしながら、低く唸るように改めて命じた。

しゅうの貴き大夫の方がぜひに、と強くおっしゃった。家格として卑しい我らを信頼してのこと、嗣子ししとして公族大夫として、ゆうを引き継ぐ儀を行うよう 」

 ゆうとは紀元前六世紀、春秋時代当時の集落の総称である。

 士爕ししょうの言葉に士匄は口を歪ませた。士氏ししに領地が増えるのは良い。公族大夫すなわち大臣令息としておおいに喜ばしい。しかし、

 自分が行くのはめんどくさい! 

 我の強い若者である、ありありと顔に出てしまった。

 厳父と言って良い士爕は苦々しくにらむ。どうも、この息子は耐えると言うことを知らぬ。

「親に対する意をお許しを。わたしがわざわざ行うことでもありますまい。邑ひとつ、家宰にでも任せてしまえばよろしいではないですか。だいたい父上は、この邑の引き取りを断っておられた。周人のあからさまな賄賂でしょう。父上はそういったことが大嫌いではないですか」

 堪え忍ぶということをバカバカしいと思っている士匄は、ずけずけとストレートに言い切った。親に対する謙譲もくそもない言葉遣いである。なおかつ、場所が遠いからわざわざ行きたくないという本音がありありと見えた。

「匄。私は常に言っている。戒めを持て、常に慎みを思え、苦難に耐え、祖を尊べ。それがなんだ。親の命に頷かぬ。次に家長が決めたことにケチをつける。最後に親の真意を勝手に推測する。そのような振舞いは終わりよくない。………汝は我が家を滅ぼす気か」

「父上に付して具申の願いと、ご挨拶いたしましたまで」

 士匄が深々と、しかしわざとらしく拝礼する。常識家かつ厳父の士燮は怒りのあまりめまいを起こしかけたが、何とか、持ち直した。

 持ち前の忍耐力と自制心を発揮して士燮は怒声をおしこめる。静かに重い声で

なんじが知る必要はない」

 と返した。

 士匄の言うとおり、この邑は大国晋のけい、すなわち大臣である士爕に周の貴族が個人的な繋がりを求め渡された賄賂である。形骸化した周王朝の貴族が西方の軍事大国、晋によしみを結ぼうと近づいてきたわけだ。

 確かに、その経緯は責を持つ士爕が知ればよく、小僧ごときは知らぬで良いことではある。

「父上。わたしは嗣子ししとしてこのゆうを受け取りにいくのです。これが他意なきものか、賄賂かくらいはきちんと父上に伺うは必要ではございませんか」

 流れるような所作で拝礼する様も、顔を上げてまっすぐ視線を合わせる怜悧な表情も、士燮すら思わず見惚れるほどの完璧な嗣子ぶりだった。

 朗々と正論を語り、父に口を挟む隙を与えず、 

「わたしは無知蒙昧、出来の悪い嗣子だ。もしどなたかに尋ねられたなら『父上が弱腰にも周の貴族ごときの押し売りに負け、まぬけにも賄賂と気づかずしょうもない邑を喜んでいただきました』などと、妄言吐きかねません。不孝な息子をお許しください」

 などと、続けて嘯いた言葉は、父親に対するものとしてはあるまじきものと言って良い。殴られると分かっているがゆえの甘えた憎まれ口である。当然なされた士燮の殴打に、士匄は何事もなかったかのように姿勢を正した。

 士燮はため息を付いた。士匄の言う通りである。周の貴族からむりやり押し付けられた賄賂であった。

「私は断った。我らはに長じけいの家となったが、それ以上に法制の家である。このような些細なことでも歪みかねん」

 そう。士爕は敢然と断ったのである。慎み深く私欲の無さが有名な、いわば賢臣である。周の貴族が秘密裏に賄賂を送ってきたことも苦々しいというのに、それが晋公しんこうではなく卿の己にである。再三断ったのは言うまでもない。

「しかし、食いつかれた。というところでしょうか」

 士爕を揶揄することなく、口を出した士匄に、士爕は苦い顔を向けたが頷いた。問題の貴族は諦めなかった。 

 士の一族は正道を歩み欲が無い。しかし、きっちり領地は広げている。

 本当に無欲であれば大きな威勢など持ちようが無い、というわけだ。このあたり、周は衰えても王都であり、その貴族たちも老練さがある。晋は質実剛健な国でこの手のいやらしさがない。

 何度も粘られているうちに、士爕は折れた。

「食いつかれすぎた。これは父の不覚、浅さであった。かい、私の無様を教訓として汝は同じ過ちを犯すな。二度と来るなと最初に強く出るべきであった」

 士燮が首を振りながら嘆いた後、士匄をひたりと見据えて戒めの言葉を紡ぐ。

「無い腹を探られかねん。ようやく、我が君と卿たちは上手くいっているのだ。汝もこころえよ。針一本の穴が堤防を壊し氾濫を起こす。それがまつりごとというものだ。我らが無い腹探られて乱すことなどあってはならん」

 この時期、晋には大きな争いは無いが、君主と卿らの間で政治権の綱引きが静かに行われている。小さな傷が大きな乱を起こす可能性もおおいにあった。

 それをにおわせながら、士爕が深い声で再度、行け、と命じてきた。ただ賄賂を受け取るだけではなく、もっと重い物を背負え、と言われた気がして、士匄は承りました、と拝礼した。

 とまあ、その時は父上ごもっとも、と思ってしまったんだよなあ

 と、士匄は国都より離れた邑を見た。受け取りの邑である。空が黄砂で汚れ、強い風が衣をはためかせ、士匄はうんざりした。

「このようなこと、家宰かさいにでもまかせればよいのだ。父上は律儀すぎる」

 邑の門を抜け、士匄は舌打ちをした。

 が、考え直す。士爕は受け渡しだけを命じたが、これは周の貴族と士匄が個人的に繋がるチャンスでもあった。

 士爕が心底嫌がった発想である。

 力を失ったとはいえ周の余光は使い勝手が良い。士匄は俄然機嫌がよくなった。

 付き従っている家臣たちは特に驚かない。この若者は頭の回転が速く勘が鋭すぎるせいか、感情が生のままで出る場合が多い。しかも、極めて楽観的であり、己の良い方向へ物事を解釈する。きっと今回もそれであろうと思ったのだ。

 歓待と引き渡しのに待ち受けていたのは、邑宰ゆうさいと持ち主の貴族本人であった。

「この度は我がゆうまつりをお引き受けいただくことお許しいただき、光栄でございます。この地は虞舜ぐしゅんの前は開かれておらず、の世から商殷しょういんまで氏が治めておりました。我らしゅう建国の際に同族の武王に献じられ、私どもの家にはその後下賜されたもの。常に姫性きせい統治のものでございましたが、士氏ししへお世話をお願いしたい所存でございます」

 貴族が儀に則って生け贄である羊の血を唇に塗って言った。そうして、同じ文言が書かれた竹簡を渡してくる。

 士匄しかいも同じように唇に血を塗って口を開く。

「この度、邑の祀りを承り恐悦至極に存じます。わたしの祖はぎょうにて王の同族、祁姓きせい|陶唐《とうとう氏であり、の世をそのまま、夏の世には御龍ぎょりょう氏となり、商にて豕韋しい氏、周にて唐杜とうと氏でございました。周より晋へ渡り士氏を名乗り范邑はんゆうを頂いておりますのではん家を称しております。祁姓の我らに大切な姫姓の邑を治めること祀ることお任せいただき我が祖と共に喜びとし務めて参ります」

 互いの祖を文字と言葉で確かめ合い、天へ約定をちかう。竹簡を渡し、互いに儀に則った動作で礼をすると、証の玉璧を生け贄と共に埋めようとした。

 その時である。

「ここは、我が地である!」

 みすぼらしく、襤褸ぼろのような衣服を纏った男が分け入ってきて、叫んだ。

 よくよく見れば染めていない麻衣あさころもで断ち切りのみの素衣素冠そいそかんであり、葬式帰りに路頭にでも迷ったのか、といいたくなるような風体であった。

 年の頃はわからない。老人のようにも見え、疲れ果てた壮年のようにも思えた。

「このものは」

 士匄はするどい声で聞いた。周の貴族は困惑した顔をする。

「時々来てはこのようなことを叫ぶ狂人です。我らもほとほと困っている。邑人どもも、迷惑をしているのだ」

 軽く目配せすると、士匄は傍に控えている己の家臣に

「斬れ」

 と端的に言った。家臣どもは逡巡せずにみなでなで斬った。

 士匄がしなかったのは、帯剣していないからである。この当時、剣は匹夫ひっぷや大夫以下の武器であり、士匄のような大貴族は戦争でないかぎり常備しない。

 男はあっさりと斬られた。薄汚れた麻衣に血が広がっていく。

 そこからの士匄は常軌を逸していた。その死骸を邑の外へ持ちだそうとした家臣どもに

「生け贄と一緒に放り込め」

 と言ったのである。神聖な儀に不浄不祥な狂人の死体など、と家臣たちもさすがに抗弁し、周人たちも息を飲んだ。

 業を煮やした士匄は、その汚らしい死体を奪い引きずりながら運ぶと、坑の中に蹴り落とした。どう、と底に落ちた死体の上に生け贄を降ろさせ、玉璧を置く。

「古来、人の贄こそが最もちかい確かになり祖への祀りとなる。この男は己が地と叫んでいた。つまりわたしが治める地を差し出しに来たと言うことだ。吉兆となるであろうよ」

 鼻を鳴らし、埋められていく地を見ながら士匄は嘯いた。その声音は自信と傲岸に満ちている。この男は頭の回転早く、弁が立つ。その自信により前に踏み出す力は強い。

 が、どうしようもないほどの我の強さがあり、結果、傲岸としかいえない態度をとる。家臣どもは蒼白になりその様子を伺った。これはさすがに、主である士爕に言上せねばならぬであろう、とも思った。

「父上には言うな。あの方は少々心配性。めんどくさい」

 士匄はだれた仕草をしながら家臣たちを睨み付ける。この嗣子ししは彼なりのルールを持っている。それは常識的にも法制としても正しいこともあれば、意味のわからぬこともある。ただ、彼のルールから逸脱した者は

 法を犯した

 と責められ、下手すれば罰をくらう。

 結局、この自儘な嗣子の前に、家臣たちは黙るしかなかった。その様子を見た士匄が傲慢な仕草をしたかといえば、そうでもない。

「しかし、お前たちの働きは良き。素早く、鮮やかであった。今日は邑にて宴席であるが、おまえ達も侍って良い。思う存分肉を食え」

 心底労る顔で、士匄は家臣どもへ無邪気に笑んだ。彼らは下役であり、肉などめったにありつけぬ。お心遣いありがとうございます、と丁寧に、喜色を隠さず拝礼した。

 士匄は傲岸であるが、傲慢ではない。このようなところで、妙なかわいげがあった。

 さて、宴席もその際の儀礼も省略する。士匄はこの周の貴族に個人的な友誼を結ぶと――半ば強引にせまったのである――無事役目を終えて帰った。

 帰る最中、襤褸の男を斬った家臣どもが川に落ちたり落石で潰されたり食中毒で死んだりとしたが、士匄は運が悪い奴らだなあ、という程度で何も思わなかった。

 士匄にとって、まあめんどくさい仕事が終わって一段落、であったが、数日経って体が重い、頭が痛い、などの症状が出だした。理由は明白であった。

「今日も、祓え」

 士氏に仕える巫覡ふげきが頷き、夜明け前から祝詞のりとをあげる。士匄に憑いていた――現代語で言わば幽霊である――が祓われた。

「このところ、毎日ではございませぬか。体質とはいえ、何か不祥なことをなされたのでは」

 言われ、士匄は考えるが心当たりがない。

「わからん。続くようなら先達に相談もしよう。とりあえず出る。父より後に出仕すれば、殴られかねん」

 年功序列、謙譲と孝、そして己への戒めに厳しい父親である。

 子は親より先に宮城に出て控えることが肝要。

 士匄は、それは正しいながらも少々堅苦しいと思いながら、首をコキコキと鳴らしたあと、うんざりした顔で家を出た。

 若い大夫たいふの控え室に来た士匄を見て、憐れみ少々蔑んだ顔をしたのは、後輩の趙武ちょうぶである。その姿は美しい少女のようにたおやかで衣に潰されそうな細さであったが、きっちり成人男性であり、趙氏ちょうしおさでもあった。父が早世しているのである。

 今、士匄は趙武を教導する立場となり、二人で行動することが多い。

「ちょっと。范叔はんしゅく、あまり寄ってほしくないんですが。今日もですか? なんですか、そのぼやっとしたを背負って。その、とても不浄で凶のかたまりのような状況なのですが」

 范叔とは士匄の字である。それはともかく、士匄は憑いた雑霊を手で祓う仕草をしながら、

「祓っては憑いてくる。これでも道すがらかなりどけたのだ。宮城に入ればさすがに増えぬが、これ以上落ちん」

 最も早く控えていたかん氏の嗣子、韓無忌かんむきが、すっと立ち上がると、入口に控えている寺人じじんに声をかける。寺人は巫覡を呼ぶためすっ飛んでいった。

 ここ数日、士匄は雑多な幽霊に取り憑かれる毎日である。元々、憑かれやすい体質であるため、いつものことと当初は軽く見ていたが、こうも多く寄ってくるのは異常であった。

「何か心当たりは無いのですか? 対処療法に祓うだけでは意味がありません。きちんと原因を究明したほうが良いです。私も見ていて不快です」

 見た目によらず、趙武ははっきりと言った。これは趙武が非礼無遠慮というわけではない。そのくらい、士匄の状況が周囲にも迷惑なのである。

 凶に触れれば凶になる。それが古代の考え方でもある。

「知らん。はっきり言おう。呪われる心当たりなど、多すぎてわからん。呪うようなものどもは卑しく逆恨みをする。我が家、わたし含めそのようなことはあるであろう」

 士匄は苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。


 さて。読者のかたはお察しであろう。原因は先日の、冒涜的ともいえる儀式である。が、この真相に彼らが気づくまで、しばしお待ち頂きたい。

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