「……銀狼さん」
「……遅くなって、すまんな」
私の目の前に現れた銀狼さんは、すでに彼らと何度も交戦したのか、至るところから血が流れていた。
「で、出やがったな、化け物め!」
銀狼さんは私に触れようとしていた一人を吹き飛ばしたものの、残る二人は離れていて無事だった。彼らはすぐさま銀狼さんに銃を向ける。
「銀狼さん、避けてください!」
私はティアナと一緒に地面に伏せながら叫ぶ。
「ぐうっ」
……その直後、二発の銃声と、苦しそうな銀狼さんの声がした。
見ると、彼はその場から逃げることなく、銃弾をその身に受けていた。
「ど、どうして避けなかったのですか? あれくらいなら、銀狼さんなら避けられていたはずです」
「……避けていれば、背後のお前たちに当たっていたかもしれぬからな」
「え?」
「命に変えても妻と子どもを守るのが、父親の務めなのだろう」
そんな銀狼さんの声からは、並々ならに覚悟が感じ取れた。
その声で冷静になった私は、彼の傷の具合を素早く確認する。
ギリギリのところで急所は外れているけれど、なるべく早く止血をしないといけない。
「なんだこいつ、まさか、女と子どもを守ったのか」
「それにあの女……銀狼と会話してなかったか」
「そんなわけねーだろ……それより、ヤツはだいぶ弱ってる。あと少しだ」
そんな彼らの会話が聞こえ、再び銃口が向けられた。
「……お父さんにひどいことするな!」
そんな彼らの前に、ティアナが両手を広げて立ちふさがった。
銀狼さんのことを初めて父と呼んだ彼女に驚きつつ、私もその隣に並び立つ。
「お前ら、どかないと一緒に撃っちまうぞ!」
「どきません! この人は、私の大切な人です!」
「……変わってやがる。そんな化け物を守ろうとするなんてな」
「化け物じゃありません!」
「化け物じゃない!」
私とティアナの声が重なった。
「彼は私たちにとって、大事な家族です。むしろ、今はあなたたちのほうが森を荒らす化け物に見えます!」
「言ってくれるじゃねーか。女だからって調子に乗るんじゃねーぞ」
私たちに銃口を向けたまま、彼らの口調は怒りに満ちていた。
今にも火を吹きそうなその銃口を見つめながら、私は大きく深呼吸をする。
「……聖女さまに何する気だ! こいつめ!」
その時、彼らの背後の茂みから一頭のオス鹿が飛び出してきた。それは先日父親になった、あのオス鹿だった。
彼は勢いそのままに、その立派な角で密猟者たちに背後から襲いかかった。
「ぎゃああ!?」
茂みの近くにいた一人は完全に虚を突かれ、その衝撃で銃を取り落とし、もんどり打って倒れた。見たところ、鹿の角がお尻に刺さってしまっているようだ。
「……へぇ、これが銃ですかい」
そんな彼が落とした銃を、オス鹿さんに続いて森から出てきたゴローさんが拾い上げた。
どうやら手負いの彼も来てくれたらしい。
「この筒のせいでオイラは! ふぅん!」
そして銃を両手に持つと、力任せに銃身をぐにゃりと曲げてしまった。
あれではもう、使い物にならないと思う。
「先生さんたち、大丈夫ですかい?」
「え、ええ。ありがとうございます」
呆けながらもお礼を言うと、ゴローさんは落ちていた別の銃も拾い上げ、同じように壊してしまう。
あれは銀狼さんに吹き飛ばされた密猟者が持っていた銃のようだ。
「し、鹿の次は熊だと!? しかもその額の傷、よく見たらこの前仕留め損なったやつか!」
一人残った彼は素早く距離を置き、ゴローさんに銃を向ける。
「ゴローのアニキを守れー!」
「皆の衆、一斉攻撃ですぞ!」
その直後、上空から鳥たちの声がした。
反射的に見上げると、彼らは空から次々と小石や木の実を落としていく。
「いてっ! いててっ! くっそ! やめろ鳥ども! 静かにしろ!」
彼はすかさず空に向けて発泡するも、鳥たちは素早く逃げ去り、当たりはしなかった。
「静かにするのはあんたのほうだよ」
彼が上空に気を取られたタイミングを見計らったように、背後からカエデさんが忍び寄り、太い丸太でその頭を叩いた。
「ぐぎゃあ」
その衝撃はすさまじく、彼は一撃で気絶してしまった。
「それにしても、うちの旦那を怪我させたのはコイツだったのかい。こんなヒョロガリにやられるなんて、情けないね」
カエデさんは呆れた声で言うと、倒れた彼の傍らに落ちていた最後の銃を拾い上げ、いとも簡単にへし曲げてしまった。
「いっちょあがりだよ」
それを乱暴に地面に放り投げると同時に、動物たちから歓声が巻き起こる。
森の動物たちの助太刀によって、形勢は完全に逆転したのだった。
「ひ、ひぃぃ……」
「あわ、わわわわ……」
その後、捕まった密猟者たちは動物たちに囲まれて震えていた。
先ほどまでの威勢はどこに行ってしまったのでしょう。
「アンタたち、銀狼さまにまで怪我をさせて、ただで済むと思ってんだろうね」
「オイラだってそうさ。ハチミツをいくら積まれたって、この怒りは消えねぇ」
そんな中、カエデさんとゴローさんが怒りをあらわにしながら三人へと近づいていく。
「待ってください。そこで暴力に出ては、彼らと同じですよ」
そんな彼らを、私は押し留める。
「こ、この女、熊を従えてるのか……?」
明らかに私の言葉に反応したクマたちを見て、密猟者たちは困惑していた。
そこで私は、自分は銀狼の花嫁で、この森の聖女であると告げる。
「銀狼の花嫁……?」
「森の聖女……?」
村の者でない彼らにとって、どちらも初めて聞く言葉なのだろう。意味がわからないといった様子で、顔を見合わせていた。
「つまり、私は動物たちと意思疎通ができるのです。私のさじ加減一つで、次はあなたたちがその銃のようになるかもしれませんよ。ねえ、皆さん」
私が動物たちの顔を見渡すように言うと、彼らは一斉に反応した。
動物の言葉がわからない密猟者たちには、さぞかし異様な光景に見えていることだろう。
「……暴力は駄目だけど、脅すのはいいの? お母さん、そんなことしないよね?」
「時と場合によっては必要なのですよ」
私の服を引っ張りながら小声で言うティアナにそうささやいて、その頭を撫でてあげる。
「せ、聖女さま、命だけはお助けください!」
「どうかお願いします! どうか! この通りです!」
すると案の定、密猟者たちは涙ながらに命乞いをしてくる。揃って土下座までしていた。
「仕方ないですね。今回だけは見逃してあげますので、二度とこの森には来ないでください。わかりましたか?」
「は、はい! 聖女さま! ありがとうございます! お前ら、いくぞ!」
「うわああーー!」
「お助けー!」
私が笑顔で言うと、それがより一層不気味に思えたのか、三人の密猟者たちは泣きながら逃げていった。
「……ところでお前たち、森の奥に隠れていろと言ったはずだが?」
そんな彼らの姿が完全に見えなくなったあと、銀狼さんは動物たちに対し語気を強める。
「す、すみません。この傷を負わせてきた連中に、目にもの見せてやりたかったんですわ」
「お、俺だってそうです。聖女さまに酷いことをしようとする連中は許せません」
そう言いつつも、森の主たる銀狼さんを前に、ゴローさんたちは頭を垂れる。
特にオス鹿さんはよほど勢いよく突撃したのか、角が折れてしまっていた。
「お母さん、あのシカさんの角、直してあげられないの?」
そんな彼を見つめていると、ティアナがそう聞いてくる。
「鹿の角は年に一度生え変わるので大丈夫ですよ。春には抜け落ちて、また新しい角が生えてきます」
そう説明してあげると、ティアナはその大きな目を丸くしていた。
「それより優先すべきは……銀狼さんの治療ですね」
そう言いながら、私は地面に横たわる銀狼さんへ近づいていく。
「酷くやられたものだ」
「まったくです。命に別状はなさそうですが、体の中に何発銃弾が残っているかもわかりません。きつい治療になりますよ」
「ま、麻酔とやらはないのか」
「ありません。森の主なのですから、我慢してください。森の仲間たちも、あなたの娘も、その妻も、皆が見守っているのですよ」
「……そうだな。父親として、夫として、情けない姿は見せられんな」
そう呟いたあと、彼は静かに目を閉じた。
そんな銀狼さんの言葉を噛み締めながら、私は医療器具を手にして、彼の治療を始めたのだった。