「銀狼さま、聖女さま、おかえりなさい」
「ご無事で何よりでした」
翌日の早朝、森に戻った私たちを鳥たちが出迎えてくれた。
「我らが留守の間、特に変わったことはなかったか」
「ええ、特に何も。一度だけ村人たちが森へ入ってきましたが、被害はありません」
「あいつらすぐに諦めて、悔しそうに帰っていきましたよ。いやー、聖女さまの作戦勝ちですな」
銀狼さんが尋ねると、彼らは口々にそう教えてくれる。
その説明からして、そろそろ猟期の終わりが近いのかもしれない。
◇
……それから数日後。
村人たちの動きから、もう猟期が終わったと判断した私たちは、動物たちに森の奥から出てくるように伝える。
「森の奥はジメジメしてたし、もう少しで体にきのこが生えるところだった。無事に猟期が終わって、何よりだ」
「よく言うよ。溜め込んだ食料を抱えて、子どもたちと一緒にずーっと食っちゃ寝してたくせにさ」
「か、母ちゃん、それは言わないでくれ……」
近くのねぐらまで戻ってきたゴローさんとカエデさんは、久々の陽光を浴びながらそんな会話をしていた。どちらも嬉しそうだった。
その背後では、彼らの子どもらしい二匹の子グマが元気にじゃれ合っている。
その様子を見て、ようやく森の日常が戻ってきたのだと実感し、私は胸をなでおろしていた。
「ああ、聖女さま! よかった! ここにいた!」
その時、一頭のオス鹿がひどく慌てた様子でこちらに駆けてきた。
「お、落ち着いてください。どうしたのですか」
その理由を聞いてみると、どうやら彼の妻が産気づいているとのことだった。
どちらも初めての経験ということで、彼はお産に挑む彼女を見ていられなかったのだろうか。
「妻を安心させてやってください! お願いします!」
そう言ってから、私の服の裾をくわえて引っ張るも、おそらく安心したいのは彼のほうなのだろう。
「コルネリアよ、行ってやってくれないか。一大事には違いあるまい?」
それを見ていた銀狼さんが、心配顔で言う。
動物のお産に立ち会ったことは何度もありますが、実際は私が行ったところでできることは多くない。よほどのことがない限り、母子の力に委ねるしかないのだ。
「わかりました。案内してもらっていいですか?」
「はい! こっちです! どうぞ、背中に乗ってください!」
それでも銀狼さんが望んでいるならと、私は現場へと向かったのだった。
「……無事に生まれましたね。元気な男の子のようです」
「本当にありがとうございました。聖女さまの加護のおかげで、元気な子を産めました」
「いえいえ、私は本当に何もしていませんので」
それから出産の一部始終を見守ったあと、シカの夫婦にたいそう感謝されつつ、私は帰路につく。
出産自体は安産だったものの、心配性な旦那さんを落ち着かせようと、かなり気疲れをしてしまった。
軽い食事をとったら、少し横になりましょう……なんて考えながら家に帰り着くと、狼の姿に戻った銀狼さんが庭先で昼寝をしているのが見えた。
……さすが森の主。私は仕事をしていたというのに、のんきに日向ぼっこですか。
一瞬、呆れに近い感情が湧き上がってきますが、それはすぐに立ち消えた。
陽だまりの中、ぐうぐうと眠る彼がとても気持ちよさそうだったからです。
「……お仕事をしてきたのですし、これくらい当然の権利ですよね」
そう呟いてから、私は静かに彼の傍らに向かい、その体毛の中へ顔を埋める。
……ああ、相変わらずのもふもふ具合です。
理由はわかりませんが、リンゴのようないい香りもする。
時折風に揺れる木々の葉音も耳に心地よく、このまますぐに眠ってしまいそうだった。
「……む、コルネリア、戻ったのか」
「はい……シカの赤ちゃんは無事に生まれましたよ」
その時、銀狼さんが目を覚ましたようだ。私は半分まどろんだまま返事をする。
「彼らは喜んでいたか?」
「ええ。初めての子だそうで、嬉しそうでしたよ……」
「そうか。我らも子を授かることができれば良いのだがな」
「そうですね……って、へっ!?」
銀狼さんの口から出た言葉に、私は一気に目が覚めた。
「さ、さすがに子どもは無理なので!」
そのまま跳ねるように起き上がると、私は家の中へと飛び込む。
そして扉を閉めると、妙に早くなった胸の鼓動を落ち着かせるため、深呼吸を……。
「わああ!?」
その瞬間に見たのは、予想もしていなかった室内の光景だった。
床の上にひっくり返った鍋に、散乱した食器、床から壁まで、至るところに飛び散った食材の数々……まるで嵐が過ぎ去った後のようだ。
「こ、これはいったい、何があったんですか?」
一瞬、野生動物でも侵入したのかと考えましたが、この森にそんな悪いことをする動物はいません。
だとすれば、原因はなんでしょうか。
「……すまない。食事を用意しようと思ったのだ」
困惑しながら室内を見渡していると……扉が開き、人の姿になった銀狼さんがやってきた。
「これ、銀狼さんがやったのですか?」
「そうだ。仕事から帰ってくるお前を、料理で労おうと思ったのだが」
申し訳ないことをしたという気持ちはあるのか、言葉に元気がなかった。
よく見ると、床には半分潰れたリンゴや砕かれた栗が転がっている。
……先ほど銀狼さんをモフった時に感じた匂いの正体は、このリンゴだったようです。
「つまり、料理に挑戦したもののどうにもならなくなり、外でふて寝していたということですか?」
「そういうことだ。お前は簡単にやっているようだったが、料理とは難しいものだな」
銀狼さんはなんとも言えない表情で、床に散らばった食材を見る。
結果は散々だったようですが、その気持ちだけで十分嬉しいと感じる私がいた。
「こうなっては仕方ありません。料理はそのうち教えてあげますから、それまで台所に立つのは禁止です」
「わかった。我が学ぶべきは、文字と料理だな」
「その前に、掃除を教えないといけませんね。手伝ってください」
言うが早いか、私は壁に立てかけてあったほうきを彼に手渡す。
銀狼さんは一瞬驚いた顔をしたあと、朗らかな笑みでそれを受け取ってくれたのだった。