「コルネリア、お前には
二十歳の誕生日に長老さまから呼び出され、突然そう告げられた。
銀狼の花嫁とはこの村の習わしで、村の周囲を囲む『銀狼の森』の主である銀狼に生贄として若い娘を捧げるというもの。
私も話には聞いていたものの、まさか自分が選ばれるとは思ってもいなかった。
「わしも心苦しいが、村の皆で決めたことだ。受け入れてくれ」
そう言って長老さまは頭を下げるも、明らかに感情がこもっていない。
そんな! 私が何をしたっていうんですか! 習わしにかこつけた追放ですし、絶対に出て行きませんからね!
……そう叫びたくてたまらなかったけど、叫んだところで村の決定を覆すことはできない。
正直なところ、この習わしは口減らしの意味もある。
つまり、私はこの村にとっていらない人間だと判断されたらしい。
それを悟った私はただうなだれ、長老さまの屋敷をあとにした。
「コルネリア、銀狼の花嫁に選ばれたんだって? おめでとう」
「おめでとう。コルネリア」
自宅へと続く道を歩いていると、すれ違う村人たちが口々に祝福してくれる。
「ありがとうございます。光栄です」
愛想笑いを返すも、私には村人たちが笑顔の仮面を被っているようにしか見えなかった。
うちの娘でなくてよかった……なんて心の声が、今にも聞こえてきそうだった。
この村は周囲を森と山に囲まれ、村人たちは自然の恵みに頼って生きている。
狭い土地では作物も十分に実らず、常にギリギリの生活だ。
……その食い扶持が減るのだから、さぞ喜んでいることだろう。
◇
村を北に向かって歩いていると、一軒の小屋が見えてくる。
そこが私――コルネリア・ヘンドリックの家だ。
獣医をしていた母が亡くなってからは、私もそのあとを継ぎ、動物たちの世話をしながら一人で暮らしている。
「話は聞いたよ。コルネリア、大丈夫なの?」
「生贄って、人間でもなることがあるんだねぇ」
憂鬱な気持ちのまま扉を開けると、庭にいた牛とニワトリがそう声をかけてくれる。
「全然大丈夫じゃないです。それとニワトリさん、生贄って言葉はストレートすぎるので使わないように。一応、花嫁なんですから」
私は振り返り、動物たちとそんな会話をする。
……何を隠そう、私は生まれつき動物たちの言葉がわかる。
母もそうだったし、この能力は血筋なのだと思う。
そんな不思議な力もあって、私にとって獣医は天職だったのですが、村の皆は動物と話す私を気味悪がり、変人扱いしていた。
それが結果的に、今回の花嫁選定に繋がったと言っても過言ではない。
「あーもー、どうしてこんなことに……!」
扉を閉めるやいなや、私は思わず頭を抱える。
部屋の鏡には、死んだ魚の目をした自分の姿が映っていた。
腰ほどまである黒髪は母親譲りだが、日頃あまり手入れをしていないせいか、ところどころ飛び跳ねてしまっている。
「はぁ」
次に大きなため息をついて、ベッドに倒れ込む。
銀狼の花嫁に選ばれたということは、村からの追放は確定事項だ。
加えて銀狼は非常に足が速く、一夜で千里を駆けるという噂だ。まず逃げられない。
もし森の中で出会ってしまえば、間違いなく食べられてしまうと思う。
万が一銀狼の目を欺けたとしても、隣の村に行くには険しい山を越える必要があるし、クマやイノシシのような危険な動物もいるので、森から抜け出すこと自体が困難だ。
「何か、何かいい方法がないでしょうか……!」
ベッドの上を転がりながら、私は必死に考えを巡らせる。
「コル姉さん、どうしたのかねぇ」
「よくわからないけど、クルミをかじれば嫌なことなんて忘れられるよ?」
そんな私の姿を、リスの親子がテーブルの上から心配そうに見つめていた。
◇
それから数日後、私が銀狼の花嫁として森に送り出される日がやってきた。
私は用意された純白の花嫁衣装に身を包み、髪を大きな三つ編みに結って、早朝から村の中を引き回され……いや、練り歩く。
「コルネリア、お幸せに!」
「元気でね!」
村の皆がお祝いの言葉を口にしてくれるも、私の心には一切響かない。
なんとか打開策を見出そうと、ここ数日村の習わしについて調べてみたものの、わかったのはこれまで花嫁として差し出された女性は誰一人として戻ってきていないという事実だけだった。
「ミナサン、オセワニナリマシタ」
最後に抑揚のない声で皆に感謝の意を伝えると、村長さまや数人の男性たちとともに、私は銀狼の森へと向かった。
……無言で歩く彼らに連れられて、次第に森の奥へ奥へと進んでいく。
目隠しをされている上、かなり長い時間歩いたことで、自分が森のどこにいるのかもわからなくなっていた。
「……よし。この辺りでいいだろう」
やがて長老さまの声がして、目隠しが取り払われた。
続いて彼らは、わずかな食料と荷物が入ったバスケットを私に手渡すと、一礼して去っていった。
「はぁ……とうとう、追い出されてしまいました」
大きくて頑丈なバスケットを椅子代わりにして、私はその場に座り込む。
なんとなく見上げてみると、巨木の枝がいくつも伸びていて、空を覆い尽くしている。
その光景に圧倒されていると、どこからか鳥たちの声が聞こえた。
「人間が来たよ」
「変わった恰好をしてる。狩人じゃない」
「あれは銀狼さまの花嫁じゃない? 報告しないと!」
「いやいや、報告しないでいいですから!」
どこの鳥さんとも分からぬ相手に向け、私は声を張り上げる。バサバサと羽音が聞こえ、数羽の鳥が枝から飛び立った。
直後に言い知れぬ恐怖を感じた私は、すぐに視線を戻して立ち上がり、置いたばかりのバスケットを手にする。
その拍子に、土の中に半分埋もれた白い布が目に留まる。
それが私と同じような衣装を着た白骨だと気づくのに、時間はかからなかった。
「うわぁお」
私はこれまで出したことのないような声を出して後退したあと、体を反転させて速やかにその場を離れる。
「ど、どこか安全な場所に身を隠しましょう。荷物の中に食料もありますし、しばらくは大丈夫……!」
そう考えながら、慣れない森の中をひた走る。
そしていくつかの茂みを抜けた時、突然巨大な銀色の壁が目の前に現れた。
全速力で走っていた私は、それを避けきれずに正面衝突。謎の弾力によって弾き返され、腰を木の根にしこたま打ちつけた。
「あいたたた……こ、この壁はいったい?」
腰をさすりながら前を見ると、その銀色の壁がのっそりと向きを変えた。
「……誰かと思えば人間ではないか。こんな場所に何用だ」
木漏れ日に照らされた銀色の毛並み、それは紛れもなく、この森の主である銀狼だった。
自分の倍近い背丈の獣を見上げながら、私は悟る。
……終わった、と。