風音の両親との話を終えた後、彼女は自分の部屋に俺を招き入れた。
「……ありがとう、リク」
「もしかすると、なんて思ったけど、こういう手段しか俺は思い浮かばなかったんだ。許してくれ」
「いいよ。気にしないで……」
風音は言う。
「それにな、風音。俺は風音に何があっても支えようと思う。君の両親にも同じようなことを言った。
だから俺や陽夏、両親を頼ってほしい。風音は一人じゃないんだよ」
俺の言葉に、風音は一瞬驚いたような顔をした。
そして、次の瞬間、彼女の目から涙が溢れ出し、俺に抱きついてきた。
彼女の体が小さく震えているのが伝わってくる。
「もう……リクのバカ……。今日だけで何回泣かせる気……?」
彼女の声は涙でかすれていた。
「すまない。……でも、これが俺の本心だ。あの時から風音を支えていくことを決めたんだ」
「あの時……?」
「深草明理とかいうマッドサイエンティストと対面したときからだよ」
風音をゆっくりと離しながら、俺は言う。
「……昔、風音みたいな経緯で生まれた子と友達だったんだ。彼は勉強でも運動でもなんでもできた。
人付き合いも良くて彼の周りには友だちがいっぱいいたけど、ある時、その周りが彼に対して違和感を覚え始めたんだ」
「……私と同じだ」
「そうか……」
「リクのその友達は、周りから遠ざけられて……」
「その通り。……俺はそうであっても、彼と友達であり続けたけど、自分がいじめの対象になってしまった。
その対象に俺が含まれることを良くないと思った心優しい彼は、
「じゃあ、リクが図書室で遺伝子に関する本を熱心に読んでいたのは……」
「それが理由のひとつ。もう一つは、俺の妹の陽夏だ」
「ハルちゃんのこと?」
「あぁ。俺の母さんは、俺を生んだ後の検査で、次に赤ちゃんを生み出せるかどうかわからないって言われたらしいんだ」
風音は黙って聞いていた。
「それでも可能性に賭けたらしいんだ。どうしても子供は二人ほしいからって」
「もし、その賭けに負けたら……」
「陽夏は人工的な手段で生まれてきたかもしれない。……結果としては、自然妊娠で生まれることができた」
「その二つが理由で、リクは真剣に遺伝子に関することを学ぶようになった……ってこと?」
風音の言葉に肯定する。
「私を偏見なく見ていたのはそういう理由だったんだね」
「あぁ。……綾辻風音」
「はい」
今度は俺が風音を抱きしめる番だった。
「俺は綾辻風音を愛している。君さえ良ければ一緒にいてほしい」
「……子供が産めない肉体であっても?」
「なんとかするさ」
「………。陸斗……」
「風音……」
――夕暮れ時。
俺と風音は絆を強く確かめるように唇を重ねた。
△▼△▼△▼
その日から、風音の心を覆い隠していた灰色の雲は晴れ渡り、彼女の瞳には不安の影が消え、代わりに深い信頼と愛が宿っていた。
まるで、彼女の心の中に光が差し込んだようだった。
周りが不思議そうに見ているのを感じたが、俺と風音が共に学力を発揮するようになると、やっかむ者もいなくなった。
俺たちの関係は日々深まり、風音の笑顔を見るたびに、俺は彼女を守りたいという思いが一層強くなっていく。
お互いを深く愛し合い、俺たちの絆は揺るぎないものとなっていった。
「ねえ、陸斗」
「なんだ、風音?」
同じベッドの中で、風音が柔らかく言った。彼女の声には、以前の不安は微塵も感じられなかった。
「最近、陸斗と一緒にいると、気持ちが高ぶる時があるの」
「それは俺も同じだよ、風音」
「……こうなるのも、自然な流れだったのかな」
「そうかもな。……嫌だったか?」
「嫌だったらこんなことしないでしょ。もうっ……」
風音は少しすねたように言いながらも、俺に抱きついてきた。
「悪い悪い」
「んもぅ……」
風音の体が俺の体にぴったりと寄り添う。
彼女の温もりが心地よく、俺も彼女を強く抱きしめ返す。
「風音……?」
「ねえ、陸斗。私、もう少し欲張りになってもいいのかな」
「なんで?」
「陸斗をもっと欲しくなるの」
「いいよ」
風音は俺の唇にそっと触れ、そのまま深いキスを交わす。
「わかった。……じゃあ、もう一回……しよう……?」
「………。ったく……」
俺は微笑みながら風音を抱きしめ、再び彼女の唇に触れる。
部屋の中には、二人の愛と信頼が満ち溢れていた。
△▼△▼△▼
――それから数年後。
俺は今、「ライフコード探求センター」の研究員として毎日を過ごしている。
学園卒業前に、淳さんが俺の才能に目をつけてくれ、センターに引き入れてくれたのだ。
彼は『高月陸斗を自分の下で働かせることを条件に採用してほしい』と上層部に直談判してくれたらしい。
センターの研究室は最新鋭の設備で満たされている。
壁一面に並ぶホログラムディスプレイ、冷たい光を放つバイオラボ、絶え間なく動き続けるロボットアーム……まるで未来の世界にいるようだ。
しかし、俺の目の前には現実がある。風音の生殖能力を改善するためのデータが映し出されたディスプレイだ。
「陸斗君、今日のデータ解析はどうだ?」
淳さんの声に振り返ると、彼の目には以前と変わらぬ熱意が宿っていた。
上司でありながら、同じ志を持つ仲間。
愛する風音のために、そして深草明理の残した課題に立ち向かうために、俺たちは日々研究に没頭している。
「はい、予想以上の結果が出ています。風音の卵細胞の活性化が確認できました」
俺の言葉に、淳さんの表情が明るくなる。
満足気に頷くと、「この調子なら、なんとかなりそうだな。頼んだよ、陸斗君」とだけ言って、去っていった。
彼の期待がプレッシャーにならないわけではないが、俺は風音のために全力を尽くす覚悟だ。
数週間後、俺たちの努力が実を結び始めた。
風音の治療が効果を示し始め、彼女の生殖能力が改善されている兆候が現れたのだ。
風音は俺と一緒にセンターの医師の診断を受けていた。
「風音さん、良いニュースがあります。自然妊娠が可能な状態に戻ってきていますよ」
医師の言葉に、風音の目が輝いた。
「本当ですか?」
彼女の声は震えていた。俺は彼女の手を握りしめた。
彼女の手の温もりが俺の心に染み渡った。
「本当だ、風音」
俺は微笑んだ。
「俺たち、やったんだ」
そして数カ月後、風音の自然妊娠が確認された時は、研究室中が歓喜に包まれた。
淳さんは俺の肩を叩いて言った。
「よくやったよ、陸斗君。明理の夢は、お前によって正しい形で実現したんだ」
俺は深く息を吐いた。
深草明理の「狂気」は、確かに多くの犠牲を生んだ。
でも、その根底にあった想いは間違っていなかった。
それを科学の力で、そして何より愛する人への思いで乗り越えられたんだ。
風音のお腹が大きくなっていく。俺たちの未来が、そこにある。
これからも研究は続く。でも、もう後戻りはしない。
俺たちは正しい道を歩んでいる。そう信じている。