その翌日の放課後もまた、図書室に向かっていた。
図書室へ向かう途中の廊下を歩いていると、隣の教室から不思議な機械音が聞こえてきた。
覗いてみると、そこでは白衣を着た生徒たちが、透明な容器に収められた人工培養された臓器をじっと観察していた。
教師は、臓器を指しながら『これが未来の医療を根底から変える技術です』と力説している。
このような光景は、普通の高校では決して目にすることはないだろうと、改めてこの学園の特異さを実感した。
「来てくれると思ってた」
図書室につくと、すでに彼女はいて、彼女の微笑みを見たとき、俺の心臓が高鳴るのを感じた。
「実は私も楽しみにしてたんだよ。あなたに会うのをね……」
「そ、そうなの? それは嬉しいな」
我ながら少し緊張してしまい、言葉がぎこちなくなってしまった。
しかし、彼女の笑顔を見ると、そのぎこちなさも少し和らいだ気がした。
……ところで、彼女の名前はなんというのだろうか。
「……そう言えば、名前を聞いていなかったと思うんだ」
「そう言われてみれば……」
「俺は
「私は
「綾辻さん……か」
「そう。よろしくね、高月君」
綾辻風音……。
風音……か。いい名前だな……。
「綾辻さんはいつも図書室にいるの?」
「そうね。高月君も?」
綾辻さんの言葉に頷く俺。
「いい場所よね……。静かで……落ち着く場所だと思うの」
「俺もそう思う」
俺の言葉ににこやかに笑う綾辻さん。
「高月君はどうして図書室に?」
「ここならいろんな本があるから……かな。興味のある本が多いし、こうやって綾辻さんとも会えたし」
フフッと笑う彼女。
「私みたいな女に興味を持って接する男の子は久しぶり」
「どうして?」
「私、あまり人と話すのが得意じゃないの。特に、普通の会話とか」
彼女の言葉に不思議な引っかかりを覚えたが、その時は彼女と話せる喜びに夢中で深く考える余裕がなかった。
しかし、彼女の「普通の会話」が何を意味するのか、その背後にある事情が気になり始めていた。
△▼△▼△▼
それから俺は放課後が待ち遠しくなり、そわついているのを仲の良いクラスメイトに、気味悪がられてしまう。
苦笑いでその場をしのぎ、毎日の日課になっている放課後の図書室に向かう。
その途中の掲示板には、『遺伝子カスタマイズ推進派』と『自然出産推進派』の対立を報じる新聞記事が貼られている。
学園内でも、この問題について熱い議論が交わされているらしい。
俺たちの世代が、この問題にどう向き合うべきなのか。答えは簡単には出せそうにない。
いつものように図書室に入ると、やはりすでに綾辻さんがいて、おいでと手を降っていたのだ。
「綾辻さん」
「――高月君さ」
「うん」
「私とここで会うの楽しみにしすぎじゃない?」
「ぅえ゙っ」
驚いた声がデカかったのか、図書室にいた学園生の視線が一斉に俺に向けられる。
俺はすまなさそうな仕草をした。
「うっ……そ、その……さ」
「うん」
「綾辻さんと話すの楽しみだからさ……ね?」
「あぁ、まあ、それは私も否定しないけど……」
「けどどうしてそれを?」
「気づいていないかもしれないけど、同じクラスにいたんだよ私」
「――!?」
声を上げそうになったかなんとか両手で口を抑えて驚く。
「それもそうよね。話しかけたりしないから」
「じゃあさ、その」
「……高月君がいいなら私は構わないわよ。どうせ誰も相手しないから」
昨日言った『私みたいな女』『誰も相手しない』という言葉が頭から離れない。
彼女は一体何者なのか。本当に遺伝子操作で生まれた特別な存在なのか、それとも単に孤独を感じている普通の女の子なのか。
△▼△▼△▼
下校途中、
『遺伝子カスタマイズベビー、今なら30%オフ!完璧な遺伝子設計で、あなたの理想の子供を』という文字が鮮やかに踊っている。
隣には、控えめなデザインの広告で『自然妊娠を選ぶ勇気、あなたの選択が未来を変える』と書かれていた。
二つの広告が並ぶ姿に、現代社会の複雑な問題が浮き彫りになっているのを感じた。
そのどちらがいいか悪いか、ということは俺にはわからない。
ただ、俺が断言できることは、遺伝子操作で生まれたにせよ、俺のように自然妊娠で生まれたにせよ、偏見や差別的な態度を持つことはしてはいけない。
望まれて生まれてきたのなら、祝福されるべきであり、生きていい理由になる。
そうでなければ、ただの狂気か、その生命を作ろうとした者たちのエゴになると思っている。
……そうだ。綾辻風音……。彼女はどうなんだろうかと思い出した。
綾辻さんが本を読んでいる姿を見たことがある。
彼女の瞳が異様な速さでページを追っているのに気づいた。
そのスピードは、人間の視覚処理能力をはるかに超えているように見えた。
彼女は一冊の厚い本を、まるでスキャナーのように数分で読み終えてしまう。
その光景に、俺は驚きを隠せなかった。
この異常な速度での読書は、彼女が普通の人間とは異なる何かを持っていることを示しているに違いないと直感した。
思っていた通り、彼女は遺伝子操作されて生まれてきたのだろうか……。
そんな事を考えていると、電車がホームに滑り込んできたので乗ることにした。
真相を知りたいという好奇心と、彼女の秘密に踏み込むことへの躊躇が、俺の中で葛藤していた。