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第102話


「それでは、ただ今より九野珠梨さんに対する判定会議を行いたいと思います。お二人ともよろしくお願いします」

 那須川が簡潔に開始の挨拶を述べると、雫と平賀も座ったまま「よろしくお願いします」と応じた。

 三人が座る第一面接室には、今回も改まった雰囲気が流れている。一人の少年の人生を左右する場面だから妥当ではあるけれど、雫は何回か出席してもまだ判定会議特有の空気には、完全に慣れない。背筋も自然と伸びる。

「それでは、まずは担当技官である山谷さんから、九野さんについての所見の報告をお願いします」

 那須川に指名されて、雫は座ったまま、はきはきと返事をした。「それでは、お二人とも手元の資料をご覧ください」と、平賀たちに促す。

 平賀たちがあらかじめ配られていたプリントを手に取ったことを確認してから、雫はもう一度はきとした声を意識して話し出す。

「では、まずは私の方から九野さんについての所見を報告させていただきます。九野さんはSNSでクラスメイトになりすまし、誹謗中傷など不適切な投稿をしたことで検挙され、鑑別所にやってきました。ですが、ここで生活をしていくなかで、自分がしたことを深く反省をしている様子が、私には見受けられました。それは面接の中で語られた『もしその時に戻れたら、そういう投稿は絶対にしないでと自分に言いたい』という言葉に顕著に表れています。また、九野さんが言うにはクラスメイトから無視をされていて、他のクラスメイトからの証言もある以上、その可能性も少年審判においては考慮すべきだと思われます。さらに、九野さん側と今回被害を受けた安住さんや大星さんの側との間で、示談が成立していること。加えて、九野さんにはASDの特性が見られますが、心理検査で推測できるパーソナリティは良好で、決して攻撃的なものではないこと。以上のことから、九野さんは真摯に反省をしていて、周囲の適切な対応があれば、再非行に及ぶ可能性も決して高くはないと、私は考えます。よって私の意見としては、九野さんは不処分とするのがもっともふさわしいと。そう考える次第です」

「以上で、私の報告を終わります」話している間は息継ぎも忘れるほど集中していたこともあって、雫はそこまで言い切ると、一つ息を吸って吐いていた。自分なりに九野のことを考えて出した処遇意見に、少し自信のようなものも感じる。

 那須川に「山谷さん、報告ありがとうございます」と言われると、雫はかすかに安堵する。でも、まだ平賀の報告が済んでいない。だから、雫は少し緩みかけていた気を引き締め直した。

「それでは、続いて平賀さん。担当教官の立場から見た、九野さんへの所見の報告をお願いします」

 那須川にそう指名されて、平賀も歯切れの良い返事をしていた。雫のときと同様に、手元の資料を見るように促している。

 言われた通りに雫も資料を手に取ると、平賀は雫たちの顔を今一度確認してから、報告を始めた。

「では、僕からの報告をさせていただきます。まず生活態度についてですが、これはASDの明確に示されて納得したルールを守ることは得意という特性が関係しているのか、九野さんは鑑別所でのルールを遵守して、良好な生活態度を見せていました。ASDをはじめとした発達障害に関する本を図書室から借りて読んでいたことからも、今回の非行に繋がったかもしれない自分の特性を、理解しようという姿勢が見られます。加えて、日々の日誌からも『被害を与えた安住さんや大星さんたちに、面と向かって謝りたい』という記述等から察せられるように、自らの行いについて反省が深まっている様子が見受けられます。また、両親との面会の様子からも、家庭環境は良好な印象を私は受けました。よって、鑑別所を退所した後も九野さんには帰る場所があり、両親のもとで適切な監護が期待できる。山谷さんの言う通り、僕も周囲の適切な対応があれば、本人の反省も深まっていることもあり、再非行のおそれは低いと考えます。よって、僕も九野さんに対する処遇意見は、不処分が相当であると考えます」

「僕からは以上です」平賀がそう報告を結んだとき、雫は不覚にもほっとする心地さえ抱いていた。担当教官である平賀は雫と同じ処遇意見を述べており、それが雫に自分は間違ったことを言っていないと思わせる。ここでもしおいの処遇意見に相違があったら、また話し合わなければならないが、それも回避できそうだ。

 雫としても、平賀と対立するような事態は避けたいというのが本音だったので、意見の一致を見たことに内心で胸をなでおろした。

「平賀さん、ありがとうございます。お二人の処遇意見は、九野さんには不処分が相当であると一致していますね。では、お二人の意見を尊重して、通知書に記載する処遇意見は不処分とするということで、お二人ともよろしいでしょうか?」

「はい」と頷く平賀に続いて、雫も声に出して同意を示した。

 雫はもう「本当にこれでいいんでしょうか?」と、疑義を示すようなことはしない。自分の意見には責任を持たねばならなかったし、それができるだけの自信も雫には確かにあった。

「分かりました。では、通知書に記載する処遇意見は不処分とすることとして、ここからはさらに細かい内容を一つずつ詰めていきましょうか。まずは九野さんのASD特性やパーソナリティについてですが……」

 那須川の進行のもと、判定会議は続いていく。雫も緊張を抱きつつも、それでも求められれば自分の意見を述べて応じる。それは平賀の所見とは少し一致しないときもあったものの、それでも三人で建設的に話し合うことで、一つずつ通知書に記載する内容は決まっていく。

 自分が行った面接や心理検査が九野の鑑別に役立っていることに、雫は手ごたえさえ感じる。まだ少年審判が終わったわけでもないのに、自分が九野のためになれていると、少しずつ思えていた。



 九野に対する判定会議は、一時間もせずに終わった。これほどスムーズに進んだ判定会議は雫にも覚えがなく、それだけ自分たちが精度の高い鑑別ができていたのかもしれないと思う。担当技官である雫の意見も多く取り入れられて、雫は感慨さえ覚えてしまいそうになっていた。

 那須川が鑑別結果通知書を認めて家庭裁判所に提出すると、雫が九野にできることは、もうほとんどなくなってしまう。二日後に開かれる少年審判で、少しでも九野のためになる処遇が下ることを願うのが関の山だ。

 それでも、雫には他にも担当している少年がいるから、九野のことばかりを考えているわけにはいかない。九野に対する判定会議が行われた翌日も、雫は他の少年と面接をしなければならなかった。


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