それからも雫たちは面接を続ける。ASDの診断を受けたことを、少し時間が経った今どう感じているのかや、九野の家庭環境について、今一度雫は質問を重ねた。
それでも、九野が発する言葉の数は面接が進むにつれて、徐々に減っていってしまう。九野は自分がASDであることをまだ完全に受け入れられている様子ではなかったし、家庭環境についても先の二回の面接で聞いた以上の情報は、雫には得られなかった。
それでも、九野は図書室にある本を読んでASDに対する理解を深めようとしていたし、その口ぶりから家庭環境に大きな問題があるわけではないことは、雫にも理解できた。
きっと両親も今頃、ASDについては勉強していることだろう。だから、雫は鑑別所を退所した九野が自宅に戻ることには、何の支障もないように思えた。九野に帰る場所があることが、好ましく感じられていた。
「それでは、九野さん。そろそろ今日の面接を終わりにしたいと思います」
家庭環境についての質問が一段落したところで、雫は九野にそう声をかけていた。
その瞬間、九野の表情はほんの一瞬だけ緩んだ。一時間ほどに及んだ面接の間気を張っていた様子だったから、少し疲れている部分もあるのだろう。
だから、雫も今回の面接で最後の質問をする。
「それでは、最後に九野さんの方から、何か訊いておきたいことはありますか?」
あくまで九野の主体性に任せる形を取りながら、それでも雫は九野が自分から話してくれることを望む。入所時のオリエンテーションで九野が言いかけていたことを、雫はまだ聞けていなかったし、聞けるとしたらこれが最後のチャンスになるだろう。
雫はじっと見つめないように、それでも九野から目を離さない。
すると、九野はおずおずと「あの、こんなこと訊いていいのか分からないんですけど……」と言う。来た! という心境を隠しながら、雫は落ち着いた声で「はい。何でしょうか?」とさらに水を向けた。
九野は少し迷う様子を見せながらも、それでも顔を上げて続ける。
「私に課される刑って、どのようなものになりそうなんですか……?」
それが、九野がオリエンテーションの際に訊こうとしたことなのか。雫には判断がつかなかったが、それでも九野が不安に思うのも無理はないと感じる。自分にどんな処遇が下るのかは、言葉にするにせよしないにせよ、ここにやって来た少年の最大の関心事だろう。
だから、知識が足りないのか少し誤解している様子の九野にも、雫は穏やかな表情を保ったまま答える。
「九野さん、刑罰という言い方は、少年審判には少しふさわしくないものなんですよ。少年審判でなされるのは処遇の決定、これは言い換えれば保護処分ということですから。九野さんをどのように保護しようかということが、少年審判における処遇の目的なんですよ」
「……それは仮に少年院に行くことになったとしてもですか?」
「はい。少年院では矯正教育を行っていて、これも今後九野さんがより良い人生を送るためには、必要なものなんです。でも、まだ少年院に行くと決まったわけではないですよ。もちろんその可能性も否定できませんが、少年院送致も含めて、私たちはもっとも九野さんのためになる処遇を下したいと思って、今こうして面接をし、日々の行動を観察しているんです」
「じゃ、じゃあ、私に下る処遇って、どういったものになりそうなんですか……?」
「正直に言うと、それはまだ分かりません。少年審判が開かれるのは、これからですから。でも、どのような処遇がなされたとしても、それは九野さんの今の様子と、この先の未来を最大限考慮したものであることは、ご理解いただきたいです。私たちも九野さんにとって一番ふさわしい処遇が下るよう、力を尽くしますから」
「……分かりました」そう答えた九野は、ある程度の納得がいったような表情をしていた。
目の前に九野がいることで、雫も改めて適切な鑑別をしなければと思う。そのための判断材料は、徐々に揃いつつあった。
「では、九野さん。他にも何かこの機会に訊いておきたいことはありますか? なければ、これで今回の面接を終了させていただきますが」
「い、いえ、もう大丈夫です。訊きたいことは訊けたので」
「そうですか。では、これにて今回の面接を終了させていただきます。九野さん、お疲れ様でした」
「は、はい、ありがとうございました」雫たちは、小さくお辞儀をし合う。九野の表情はいくらかすっきりしていて、本当にもう訊きたいことはないと言っているかのようだ。
それを確認してから、雫たちは席を立ち、第一面接室を後にする。居室に戻る間も、九野はやはり右足から階段を上っていて、雫は改めて九野のパーソナリティに思い至っていた。
三回目にして最後の鑑別面接を終えると、雫が九野に接する機会はほとんどなくなる。ここからは二日後に迫った判定会議に向けて、面接や心理検査の結果をもとに、雫自身の意見をまとめる作業だ。
雫はこれまで九野と接した機会を参照しながら、判定会議で平賀や那須川に配る資料を作成し始める。九野が十分に反省する様子を見せていて、そこまで重大な処遇を課す必要はないと、雫は資料をまとめながら感じ始めていた。
そんな雫の考えがさらに深まったのは、翌日のことだった。昼食休憩も終えた午後、雫がデスクワークに取り組んでいると、一件のメールが届いたのだ。
それは九野の付添人を担当している弁護士の
高麗のメールの内容は、要約するとこうだった。被害者である安住や大星と加害者である九野との間に、総計一〇〇万円の示談金を支払うことで示談が成立した。今後九野はいかなるSNSにおいても、安住たちになりすますことは禁止され、もしそれが履行されない場合は、今度は民事で訴えることも視野に入れている。
数十行にもわたる高麗からのメールを読み終えたとき、雫は小さく息を吐いていた。それは、示談が成立して安堵したこともある。
高麗が何度も九野のもとを訪れて示談に向けたやりとりを重ねていたことも、高麗の同席のもと九野や安住や大星の両親が話し合いの場を持っていたことも、雫は知っている。だから、それが無事実を結んだことに、ほっとする思いがあった。
示談が成立したからと言って、変わらず九野への少年審判は開かれる。でも、被害者側が宥恕、許す態度を見せていることは少年審判にも確実に影響する。
雫は高麗から送られたメールを平賀や那須川のパソコンにも転送し、追って説明に向かった。
平賀は今は席を外していたけれど、示談が成立したことを伝えると、那須川は「よかったですね」と言うように、目を細めていた。