雫の父親の車に乗った二人は、雫の運転のもと目的地を目指す。道は雫が予想していたよりもいくぶん空いていて、また信号にもさほど引っかからずに、すいすいと進むことができた。
その間も有沙は「ねぇ、雫は去年どんな一年だった?」とか「長野で美味しいものって何がある?」とかしきりに話しかけてきて、雫はそれに答えることに終始する形になる。
それでも、雫には嫌な感じや腹立たしい思いはまったくしない。もしかしたら、人によっては運転に集中したいから、あまり話しかけないでほしいという人もいるかもしれない。
でも、雫は仕事でも運転することがある分、車の運転には去年よりもずっと慣れていたし、車内が沈黙して気まずい間が生まれてしまうことの方が嫌だった。
だから、飽きずに話しかけてくれる有沙の存在を、ありがたいと感じる。会話をしていると、運転している時間もあっという間に過ぎていくようだった。
雫たちが車を一〇分ほど走らせて辿り着いたのは、JRの駅と私鉄の駅のちょうど中間ほどにある、スーパー銭湯だった。都内でも有数の規模を誇り、市民の憩いの場所となっているこの施設に、雫たちは去年も一昨年も訪れている。
近づくにつれて道は少しずつ混雑し始め、辿り着いた駐車場はいくら施設の倍以上の敷地があったとしても、すぐには空き場所を見つけるのが難しいほど、車で埋まっていた。今までも混んでいたけれど、今年は輪をかけて人が多く来ている気が雫にはする。
やはり正月に大きな風呂に入ってゆっくりしたいと考えるのは、皆同じようだった。
雫たちは空いている場所を見つけて車を停めると、改めてスーパー銭湯に向かった。
正面玄関に正月らしく門松が飾られたその施設は、中に入ると天井の高い開放的なロビーが雫たちを迎える。ガラス窓となった天井から日の光が降り注いでいて、館内に利いている暖房とともに、雫はまったりとした暖かさを感じる。
靴からスリッパに履き替えて、券売機で大人二人分の入浴券を買って受付を通ると、雫たちはそのまままっすぐ女湯へと向かった。
脱衣所もまた空いているロッカーを見つけるのに少し苦労するほどで、それだけ多くの人が来ていることが雫には改めて感じられる。本当は有沙と隣のロッカーがよかったのだが、この分だとそうはいかなさそうだ。
それぞれ空いているロッカーを見つけ、脱いだ衣服を入れる。改めて自分の身体を見ると、少し瘦せたような気が雫にはする。
そして、風呂に入れる状態になった二人は大浴場へと向かった。
このスーパー銭湯の大浴場は、それこそテニスコートが何面も入るような広さを備えている。湯船も二種の大浴槽から、寝湯、打たせ湯、花の湯、露天風呂などよりどりみどりだ。
大浴場の中は何十人もの人がいて、誰もがリラックスした姿で、入浴を楽しんでいる。あちらこちらで会話の花が咲いているほどだ。
当然、雫たちもすぐに浴槽に入りたい気分はある。でも、マナーとしてまずは身体を洗わなければならない。
だから、雫たちは洗い場に向かった。持参したタオルで念入りに身体を洗う。ふと横目で見ると、身体を洗っている有沙の背が最後に会ったときよりも、ほんの少しだけ伸びたように雫には感じられた。
それから先に身体を洗い終えた有沙に少し急かされるようにしながらも、同じように身体を洗い終えて、雫たちはまずは洗い場から近い方にある大浴槽に向かった。
ゆっくりと足を浸してみても、熱さに雫の肌はびくりと反応してしまう。このスーパー銭湯は、湯温が少し高めなのだ。
それでも、ゆっくりと慣らすように身体を入れていくと、家の風呂以上の開放感が雫を包み込んだ。他にも人がいることが関係なくなるほどの心地よさだ。
有沙とともに窓際に寄り、肩まで浸かる。全身の力が抜けていくようで、日頃の仕事で自分の身体が少し強張っていたことを、雫は知った。
横では有沙が「気持ちいいね」と、至極リラックスした様子で言っている。雫も同じことを言って頷いた。広い湯船に浸かる気持ちよさを知ると、他の正月の過ごし方は雫には考えられなくなるほどだった。
「ねぇ、雫。長野って温泉いっぱいあるんでしょ? どっか行った?」
「うーん、あまり行けてないかな。どこもちょっと郊外で、車がないとなかなか行けないようなところにあるから」
「えー、そう。もったいない。ほら、長野といえばあそこ有名じゃん。あの、お猿さんが入ってる」
「ああ、地獄谷ね。そういえば行ったことないなぁ。バスが出てるのは知ってるんだけど、なかなかね」
「えー、でも今、シーズンじゃない? 行った方がいいよ。ほら、そこ外国人観光客にも人気だって聞くよ」
「あー、確かに駅前のバス停に、外国人っぽい人がいっぱい並んでるのは見たことあるかも。まあ、今度気が向いたら行ってみるよ」
「うん。行ったら温泉に入ってるお猿さんの写真撮って、私に送ってね。私も見たいから」
「分かった分かった。いつかね」
そんな会話を交わしながら、雫たちは様々な湯船を堪能する。
寝湯では気持ちよすぎて本当にウトウトしかけてしまったし、花の湯は一面にバラの花びらが浮かんでいて、かぐわしい香りのもとリラックスできた。電気湯は肌に感じるピリピリとした感じが独特だったし、檜風呂となっていた露天風呂はまるでマイナスイオンに包まれるかのようだった。
どの湯船もそれぞれ違った心地よさがあり、雫たちはつい長居をしてしまい、気づいたときには大浴場に入ってから一時間以上が経っていた。雫としてはもう少しゆっくり入ってもよかったのだが、それでも有沙に「そろそろ上がろうよ」と言われると、頷くしかなくなる。身体も十分に温まったから、雫たちは大浴場を後にすることにした。
脱衣所で再び服を着ると、自分の身体が入る前よりも、大分ぽかぽかしていることを雫は感じる。天井に向かって一つ大きく息を吐いていた有沙も、それは同様のようだった。
ドライヤーで髪を十分に乾かしてから、雫たちは脱衣所を後にし、ロビーの近くにある大広間へと向かった。
そこは、何脚も用意されたテーブルの側で大勢の人が座ったり寝そべったりしてくつろいでいて、畳の雰囲気もあって、この街で一番空気が緩んでいる場所と言っても差し支えなかった。テレビからは、駅伝が続いている模様が聴こえてくる。
大広間は一目では空いているテーブルを見つけられないほどの人がいたが、それでも目を凝らしてみると、空いているテーブルはぽつぽつとあって、雫たちは座布団を持ってそのうちの一つに座った。
そして、二人はテーブルの上にあったメニューを手に取る。このスーパー銭湯では食事も食べることができたし、実際いくつかのテーブルでは、昼食を味わっている人も見受けられた。
雫が醤油ラーメン、有沙がカレーライスというどちらも定番のメニューに決め、二人はいったん大広間から出た。券売機でメニューを購入し、配膳口のスタッフに渡す。
代わりに手のひらサイズの報知機を受け取ると、二人は大広間に戻った。座った雫は、思いっきり足を伸ばす。それも、この大広間でなければできないことだった。