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第93話


「九野さん、私たちは九野さんの敵というわけではないんですよ。九野さんに対して不相応に厳しい処分を下そうとは、私や平賀だけでなく、今回九野さんに関わる誰もが思っていませんから。私たちはただ九野さんに対して適切な処遇を下そうと、こうして接しているだけなんです」

「でも、味方というわけでもないんですよね?」

 すぐにそう訊き返されて、雫は一瞬返事に詰まってしまう。ここで「はい、そうです」と認めてしまえば、いたずらに九野を傷つけるだけだろう。

 かといって話をはぐらかしたら、それは認めているのと同じことだ。

 どんな返答が好ましいのか。雫はわずかな時間に精いっぱい頭を回した。

「九野さん、それは少年審判で処遇が下って、時間が経ってから分かることですよ。私たちはそのときに、九野さんが『あの処遇が自分の役に立った。あの処遇のおかげで、自分は良い方向に向かうことができた』と思えるような鑑別をするだけです。私たちの意見も、九野さんの処遇には大いに影響してきますので」

 当然適切な処遇のために雫たちは心を砕くが、少年審判で下された処遇が本人のためになったかどうかは、それこそ何年も経った後でなければ分からない。雫が九野の味方かどうかは、結果論にすぎないのだ。

 九野も雫の説明に納得できる部分があったのか、それ以上この話題に食い下がるようなことはしなかった。

 雫も話題に一つ区切りをつけて、続いての質問に移る。

「それでは、九野さん。次の質問に移ってもよろしいでしょうか?」

 念のため確認すると、九野は小さく首を縦に振っていた。雫は面接の流れも加味して、今日話そうと考えていたいくつかの事柄のなかから、今話をするのに一番適切だと思われるものを選ぶ。

「では、九野さん。ここからは九野さん自身のことについてお訊きします。まず初めにですが、九野さんは一昨日医師である鎌本から自閉スペクトラム症、ASDの診断を受けましたよね。そのときにはどう感じましたか? 率直に答えていただけるとありがたいのですが」

 ASDと診断されて九野がショックを受けていたことは、雫も当日の態度やこぼされた言葉から、ある程度は分かっていた。

 それでも改めて尋ねたのは、そんな九野のショックを少しでも和らげたいと思ったからだ。発達障害と診断されたからといって、何もできなくなったり、人生が終わったりするわけではない。

 だけれど、九野は少し言いよどんでいて、それはあまり振り返りたくないと言っているかのようだった。

「……正直に言うと、診断されたときはすごく嫌でした。私は、自分のことを障害だとは思っていなかったので。私は障害者なんだと知って、絶望的な気分になりました。もしここから出て学校に戻れたとしても、うまくやっていける自信がないです」

 そう声のトーンを落とした九野は、おそらく障害者のことを目に分かりやすい身体的な障害がある人や、重度の知的障害があって会話もままならないような人のことを想像しているのだろうと、雫は察する。

 それでも、そういう人たちもその人なりのやり方で社会と関わったり、人生を楽しむことはできる。ASD当事者だって、自分の得意なことを生かして、充実した人生を送っている人はいくらでもいる。

 九野は単にそのことを知らないだけのように、雫には思えた。

「確かに九野さんがそう思うことも、私には理解できないわけではありません。でも、それは障害を持っている方に対して、少し失礼な言い方ですよ。たとえ、ASDのような発達障害の診断を受けていても、うまく自分の特性を生かして、また周囲からの理解も得て活躍している方はたくさんいます。九野さんはその人たちの目の前で、同じことが言えますか?」

「それって山谷さんは、発達障害じゃないからそういうことが言えるんですよね?」そういった反応をされたら、雫はまた返す言葉を考えなければならなかったが、九野はそういった態度は取っていなかった。

 とはいっても、九野の表情はまだ晴れているとは言い難く、ASDであることをまだ受け入れられていない様子が、雫には見受けられた。

「山谷さん、私ASDや発達障害のことが知りたくて、図書室にある発達障害についての本を読んでみたんです」

「そうなんですか。どのように感じましたか?」

「はい。そこに書いてあるASDの特徴、三つ組みの障害。つまり社会性の障害、コミュニケーションの障害、常同的・限定的な行動。これらは全て私に当てはまるなと思ったんです。私も他の人がどうして楽しかったり面白いと感じているのが分からなかったり、他の人との会話があまり続きませんから。それに毎日朝食は同じものを食べないと落ち着きませんでしたし、私のtiny dancersへの興味も、もしかしたらASDの『こだわりの強さ』という特性から来るものなのかもしれない。そう思うと、すごく悲しくなったんです」

「九野さん、診断された日にも言いましたが、ASDであることを悲観的に思う必要は、少しもないんですよ。ただ単に、発達の特性の一つという意味なんですから」

「できることなら、私もそう思いたいです。でも、本を読んでいるうちに、やっぱり自分はASDなんだってことがはっきりと分かってきて。もしかしたら、私がクラスメイトからいじめられていたのも、ASDが原因だったのかもしれない。私がASDじゃなかったら、クラスメイトとは良好な関係を築けていたかもしれないと思ってしまうんです」

 それは意味のない仮定の話だ。そう雫は、九野を咎めることをしなかった。本人のことを考えれば、九野の気持ちも理解できなくはなかったからだ。

 ASDや発達障害のことをネガティブに捉えてしまっていたら、それを受容することには少なくない時間がかかるだろう。それがここにいる期間でなされない可能性も、大いにあるのだ。

「そうですね。九野さんがそう思うのも、仕方のないことなのかもしれません。ですが、九野さん。この機会にASDの長所についてや、自分の得意なことに目を向けてもいいのではないでしょうか?」

「……そんなものありますか? ASDは障害ですし、私に得意なことなんて一つもないんですけど」

「そんなことはないですよ。都留先生から、私は九野さんは学年でも優秀な成績を収めていると聞いていますよ。得意な数学だけでなく、比較的苦手な日本史や公民にも尻込みせずに取り組んでいると。そういった人に影響されずに勉強に取り組めたり、高い記憶力を持っていることは、紛れもない九野さんの長所じゃないですか」

「でも、勉強が役に立つのは学校だけですよね……。大人になったら社会性やコミュニケーション能力の方が、よほど大切になるんじゃないんですか……?」

「いえ、そんなことはありません。九野さんが将来どんな職業に就くにせよ、大人になっても勉強は必要なものですから。勉強する習慣が身についているということは、それだけで大きな強みになるんですよ」

「いえ、それでもやっぱり友達はいた方がいいですよね……? 友達がいない人は、それだけで惨めですし」

「九野さん、それは思いこみですよ。友達がいなければならないなんていうルールや法律は、どこにもありません。世の中には一人でいるのが好きな人もいますし、むしろ人に流されず一人で行動できる力は誰でも持っているわけではないです。一人が惨めなんて、そんなことはまったくありませんから、大丈夫ですよ」

「それでも、私は友達がほしいんですけど……」

「そうですね……。どうしてもというのなら、高校の外にも目を向けてみるのはいかがでしょうか? 例えば趣味の繋がりだったり。九野さんは『tiny dancers』というアイドルグループが好きなんですよね? 同じようにそのグループを好きな人で、やり取りするような人はいませんか?」

「それは、はい……。いなくもなかったですけど……」

「だったらそれで十分じゃないですか。大丈夫ですよ。高校の外に目を向ければ、九野さんの世界はぐっと広がりますから。今のクラスは突き詰めてしまえば、同じ高校に通う同じ年齢の、何の接点もない人間を集めただけです。そこでうまく人間関係が結べなかったからといって、悲観的になる必要は少しもないんですよ」

 雫は、そう実感を込めるように口にした。

 とかく学生時代は、どうしても学校が世界の全てだと思ってしまいがちだ。だけれど実際は、学校の外には広大な世界が広がっている。九野が九野らしく生きられる場所もきっとあるはずだ。

 雫が言ったことに理解できる部分もあったのか、九野はそれ以上反論をしてこなかった。声に出して返事をすることもなかったけれど、その表情から九野が自分の言葉を頭に入れようとしていることは、雫にも察せられた。

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