目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第90話


「そうですね。九野さんの学業面での様子は分かりました。では、それ以外ではいかがでしたか? 例えば教室や部活動での様子など、何か思い当たることがあれば、教えていただきたいのですが」

「そうですね……。教室ではどちらかというと、大人しい子でした。休み時間はいつも音楽を聴いていて。一人で過ごしていることが多かったですね」

「そうですか。では、教室以外ではどうでしたか? 例えば部活動など。久野さんはどんな部活動に入られていましたか?」

「いえ、部活動には入っていませんでした。一年生のときからどの部にも所属していなくて。いわゆる帰宅部でしたね」

 都留たちの答えは、雫にもある程度想定ができたものだった。先の鑑別面接でも、友人や部活の話題はほとんど出てこなかった。

 話すのも嫌だという可能性も雫は考慮していたのだが、都留たちの返事によって、話すことがなかったのだと分かる。

「なるほど。九野さんは一人で過ごすことが多かったんですね。となると、九野さんには友人や、普段話す相手はいたのでしょうか? 都留先生、担任から見ていかが思われますか?」

「そうですね。先ほども申した通り、九野さんは教室ではよく音楽を聴いていたので、他の生徒たちはなかなか話しかけづらかったのではないでしょうか。もちろん全ての瞬間を見られているわけではないのですが、私が見る限り九野さんは他の生徒とは、あまり話していませんでしたね」

 都留から直接聞いたことで、雫は久野が先日の初回面接で話したことに、確証が得られた気がした。やはり九野には、友人と呼べるような間柄の人間はいなかったのだ。一人自分の机に座って、音楽を聴くことでしか時間をやり過ごせなくて。

 そんな九野の心中はいかほどだっただろうかと、雫は察する。訊きづらいことも訊かなければならないと思えた。

「あの、お二方とも少しよろしいですか? こんなことを訊くのは大変心苦しいのですが、もしかして九野さんは誰とも話せないから、仕方なく音楽を聴いていたということはないでしょうか?」

「それはどういうことでしょうか?」

「例えば。例えば、ですよ。九野さんがうまくコミュニケーションを取れないあまりに、他の生徒から避けられていたということはないでしょうか?」

 そう訊いた瞬間、都留たちの眉間にはかすかに皺が寄った。都留が何を言っているのか分からないという風に、目を瞬かせている。

「山谷さん。それは要するに、他の生徒が九野さんのことを避けていたと、そう言いたいんですか?」

「いえ、そういうわけではありませんが、より適切な鑑別のためには一応訊いておかなければならないので」

「山谷さん、そのようなことはありませんよ。確かに私が受け持っている二年四組は、皆がみんな仲良しというわけではありませんが、それでも理由もなく誰かを避けたり仲間外れにしたり、そういうことをする生徒は一人もいないと断言できます」

 都留の目は確信を帯びていて、心からそう思っていることが、雫にも伝わってくる。

 それでも雫は、まだ九野がクラスメイトから避けられていたのではないかという疑いを捨てきれない。当然だが、教師の前で見せる姿がその生徒の全てではないのだ。

 教師をはじめとした大人の目が及ばないところで、生徒たちが何をしていたのか。それを邪推することはあまり気分が良いとは言えなかったが、それでも盲目的に都留が言ったことを信じるわけには、雫にはいかなかった。

「そうですか。それは大変失礼しました。ですが、都留先生に御子柴先生も。もう一つ訊いてもよろしいでしょうか?」

「何でしょうか?」

「九野さんに、他の生徒とは違う特徴は、何か見られませんでしたか? 例えば対人関係が苦手でしたりとか、こうしなければ気が済まないというこだわりがあったりですとか。何か思い当たることがあれば、教えていただきたいのですが」

「そうですね……。確かに対人関係や他の生徒とのコミュニケーションは、あまり得意な方だとは言えないかもしれません。九野さんは授業やホームルームが終わると、すぐにイヤフォンをしてしまっていましたから。それがどうかされたのですか?」

「いえ、私どもで入所時に発達障害のスクリーニング検査を行った際に、九野さんには自閉スペクトラム症の傾向が見られたので。もしかして、先生方も何かご存知なのではないかなと思いまして」

 雫の言葉に、二人は一瞬目を瞬かせていた。教職についていて、発達障害について無知なわけがないだろう。

 二人の反応は思い当たる節があることを示していて、雫はさらに掘り下げて訊きたくなる。

「いえ、確かに九野さんは対人関係が得意ではありませんが、それでも勉強や運動と同じように、対人関係が得意な生徒もいれば、そうでない生徒もいるので。九野さんの個性の一つだと、私どもは考えていました」

「そうですか。ご両親から何か聞かされてはいないのですか?」

「いえ、僕たちは今のところ何も聞かされていないですね。きっとご両親も、九野さんが対人関係を得意としていないことは分かっていても、自閉スペクトラム症かもしれないということには、思い至っていないのではないでしょうか」

 御子柴の言葉を聞きながら、そんなことがあるのかと、雫はつい思ってしまう。子供の発達は親の最大の関心事ではないのだろうか、と。

 でも、もしかしたら九野の両親は色々なことをあまり気にしない、大らかなタイプなのかもしれない。いくら支援法をはじめとした法律が整備されてきても、まだまだ発達障害について十分な知識がない人もいるのだと、雫は思い知る気分だった。

「そうなんですか。自閉スペクトラム症をはじめとした発達障害は、見た目では分からないですからね」

「あの、山谷さん。九野さんが自閉スペクトラム症かもしれないというのは、もう確定的な診断がなされているのでしょうか?」

「いえ、近々鑑別所に児童精神科医の先生に来ていただいて、そこでより詳しい検査や診察をして、その上で判断していただく予定になっています」

「そうなんですか。もし九野さんが自閉スペクトラム症だったら、僕たちも九野さんに応じた支援を検討しなければなりませんね」

「はい。九野さんの得意な部分、今聞いた限りですと勉強でしたりとかを伸ばして、苦手な部分を軽減できるような支援を、もし学校に復帰した際には、都留先生や御子柴先生たちにはお願いしたいと考えています。もちろん、まだ少年審判の結果は出ていないので、今は何とも言えないのですが」

「分かりました。正確な診断が出たら、さっそく自閉スペクトラム症に対する勉強会や、九野さんへの支援を検討する会議等を開くことにします」

「はい、何卒よろしくお願いします」そう答えながら、高校側が再び九野を受け入れる意思があることに、雫は少し安堵した。もちろんそれが九野にとって良いことなのかは分からないけれど、それでも退学にならずに戻れる場所があるということは、九野にもいくらか安心感を与えるだろう。

 それからも雫は、都留や御子柴と少し話を続けた。都留たちは雫のどの質問にも真摯に答えていて、それだけ今回の事態を重く受け止めていることが、雫には察せられた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?