「九野さんがここに来たのは、SNSでのトラブルが原因だと私は聞いていますが、それはよろしいでしょうか?」
変に勿体ぶったり遠回しに訊いても仕方なかったので、雫は直接的に尋ねた。「はい。そうです」と九野は素直に認めていたから、雫としてもいくらか次の質問がしやすい。
「具体的に言うと、クラスメイトである安住さんや
「はい、間違いないです。確かに私は安住さんたちのアカウントになりすまして、不適切な投稿をしました」
九野はここでも素直に認めていて、それは雫が少し拍子抜けさえしてしまうほどだった。訊きづらいことを訊いているのだから、もっと答えづらい様子を見せてもいいはずなのに、九野にはそれが少しも見当たらなかった。緊張はしているようだったけれど、それでも確かな意志を持って答えている。
もしかしたら、もう警察等でも同じことを話しているから、ごまかしても意味がないと考えているのかもしれない。
雫はさらに深く、今回の事案について訊いてみる。
「そうですか。では、九野さんはどうしてそういったなりすまし行為をしてしまったのでしょうか。自分ではどのように思っていますか?」
「そうですね。たぶんそのときの私は、むしゃくしゃしてたんだと思います」
「それはどういった理由でしょうか?」
「安住さんや大星さんは、私に対して冷たかったんです。私が挨拶したり話しかけても無視していて。たまに話してくれたと思ったら、笑われますし。それが嫌で、私は仕返しのつもりで、なりすまし行為をしたんだと思います」
九野はあらかじめ覚えておいたセリフを喋るかのように、平坦な口調で答えていた。相手側に非があるとでも言いたげなその言い分に、反省していないと不利に見られるとは思わないのだろうかと、雫は感じる。
でも、九野の様子からは、嘘をついている印象は見受けられない。ありのままを喋っているようだ。良くも悪くも。
「そうですか。この流れで九野さんのクラスでの様子や、友人関係についても訊きたいと思うのですが、九野さんは普段教室でどのように過ごしていましたか?」
「授業は普通に受けていたと思うんですけど、でもそれ以外の時間はずっとイヤフォンをして、音楽を聴いていました。私の好きな『tiny dancers』の曲を」
「なるほど。でもそうしていると、周囲はなかなか九野さんに話しかけづらかったのではないですか?」
「いえ、元から私に話しかけてくる人なんていないので大丈夫です。私、クラス全員から無視されてるんです。だから、音楽を聴くのに何の支障もありませんでした」
表情を変えずに言った九野に、雫は思わず「それは本当ですか?」と訊き返してしまう。もしそうだとしたら一大事だ。鑑別の進め方にも影響が出てくる。
それでも、九野はやはり表情を変えてはいない。緊張感を含んだ真顔に、雫は九野の教室での状況を察した。
「はい。本当です。私、ただ席に座って、授業を受けてるだけの置物なんです。いてもいなくても同じなんです」
「それはどうでしょうか。もしかしたら九野さんと話したいけれど、音楽を聴いているから話しかけられないというクラスメイトも、いるかもしれませんよ」
「いえ、それは絶対にないです。私みたいな根暗なぼっちのことを気にしている人なんて、誰もいませんから。私、透明人間と一緒なんです。今日みたいにふっとクラスからいなくなっても、誰も困りません」
自分のことを卑下する九野は、雫のフォローがほしいからではなくて、本当に心の底からそう思っているようだった。その自己評価の低さに、話を聞いている雫でさえも、少し胸が痛む心地がする。
だけれど、本当に九野の言う通り、クラスメイトの誰からも相手にされていなかったとすれば、自己肯定感が低下してしまうのも当然だろう。
だから、雫はたとえ九野がその言葉を必要としていなくても、「そんなことはないですよ。九野さんはちゃんといるだけで価値がある人間です」と言う他ない。
それでも、九野は眉一つ動かしていなかった。
「それはこんなことをしてもですか? SNSに誹謗中傷を書いて、クラスメイトを傷つけてもですか?」
「確かに今回、九野さんがしたことはとても褒められるようなことではありません。でも、それは九野さんがした行動であって、九野さんの存在や人格とはまた別のものです。私としてはそちらを肯定したいと思っているのですが、九野さんはいかがでしょうか?」
雫がそう言ってもなお、九野は不服そうな表情をし続けていた。昨日会ったばかりなのに、私の何が分かるんだとでも言わんばかりだ。
これ以上この話題を続けていても、九野の気分を不必要に害するだけに思われたので、雫は「では、ここで少し話題を変えて、次は家族や家庭環境のことについて訊いてみたいのですが、よろしいですか?」と持ちかける。
九野も小さく頷いて、雫は調書に書かれていた九野の家庭環境を、九野本人に尋ねた。
長野市内の一軒家で、両親とともに暮らしている。雫がそう確認すると、九野も「そうです」と認めていた。
九野への初回の鑑別面接は、雫が想定していた時間よりも少し早く終わっていた。家庭環境や交友関係などの質問に、九野はほとんどシンプルな答えしか返さなかったからだ。
「はい」か「いいえ」で答えられることも多く、調書に書いてある以上の情報をなかなか得られずに、雫はもどかしささえ覚えてしまう。目が合わない場面も散見されて、好きなアイドルグループについて饒舌に語っていたときからすれば、人格が異なったようにさえ雫には感じられた。
当然、初回の鑑別面接ということで、緊張はしていたのだろう。それでも、雫は九野の返事や表情から、コミュニケーションが少し不得手であることを、感じずにはいられなかった。
鑑別面接が終わると、雫は久野に声をかけて、いくつかの心理検査を受けさせた。知能検査や発達検査、人格検査といった、鑑別所に入所した少年が全員受けることになっているものだ。
面接では緊張した様子を見せながらも、心理検査には九野は主体的に取り組んでいた。じっと回答することに集中していて、九野は他の少年と比べても、およそ半分の時間で心理検査を回答し終えていた。
そのことに、雫はスイッチが入ったときの、九野の集中力の高さを知った。
数十分間の鑑別面接と複数の心理検査を立て続けに行った九野は、少し疲れた様子を見せていて、居室に戻ると雫は思わず「夕食の時間まで少し休んでいてくださいね」と声をかけていた。
うつむきがちなまま頷いた九野を残し、雫は職員室へと戻る。自分の机に座ってパソコンを操作しながら、先ほどの鑑別面接と心理検査の結果をまとめる。
面接では特に目立った情報を得ることはできなかったが、それでも九野が回答した心理検査の結果に、雫はまとめながらも目を留めてしまう。それはあるはっきりとした傾向を示していた。
雫が先ほどの面接と心理検査の結果をあらかたまとめ終わったところで、少年たちの夕食に付き添っていた平賀も戻ってきて、雫たちは那須川や取手とともに第一会議室へと向かった。九野の鑑別方針を設定する会議があるためだ。
第一会議室に入ると、雫は事前に作成しておいた面接や心理検査の結果の取りまとめを三人に配り、また平賀たちからも現時点での九野に関する資料を受け取る。
そして、全員が席に着いて準備が整ったことを確認すると、那須川が「では、これから九野珠梨さんの鑑別方針の設定会議を始めます。皆さん、よろしくお願いします」と三人に呼びかける。
「よろしくお願いします」と答えながら、雫は背筋が伸びるような心地を味わった。何度訪れてみても、那須川たちもいる第一会議室の空気は、雫にとっては新鮮な緊張を感じるものだった。