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第59話


 季節は巡る。秋は足早に過ぎ去り、東京の冬は長野と比べると、雪は降らないものの特段に暖かいということもなく、ようやく暖かくなってきたと思う頃には、平賀は無事必要な単位を取得して二回生に進級していた。

 一人暮らしにも大分慣れてきたとはいえ、あらゆることを一人で決めなければならないという、自由と裏返しの責任は日々平賀にのしかかる。

 そんななかで平賀を励ましたのは、やはり友梨佳から届く手紙だった。平賀の手元に届く前に職員によるチェックが入るから、大っぴらな愚痴は書かれていなかったものの、それでも女子少年院での生活や出所したらしたいことなどが書かれていて、平賀の琴線に触れる。

 違法薬物の使用が、何よりも自分を傷つけることを改めて知ったようで、「薬物はもうやらない」とも書かれていた。その言葉を、平賀は信じたいと思う。薬物依存症からの回復の道のりは険しくても、友梨佳なら成し遂げられると、根拠もなく思った。

「映画、面白かったね」

 梅雨の晴れ間という言葉がふさわしい快晴の陽気の中、平賀は友梨佳と長野駅前のコーヒーチェーンにいた。高校を卒業したとき以来、久々に入る店内はびっくりするほど何も変わっていなくて、のんびりとしたジャズが耳に心地いい。

 久しぶりに見る友梨佳は白いチュニックワンピースが似合っていて、平賀の胸は人知れず弾んでいた。

「ああ、後半の伏線回収が凄かったよな。こことここが繋がるのか! みたいな。思いもよらない真相だったから、明かされたときは本当にびっくりしたよ」

「うん。私も色々推理しながら観てたんだけど、全部外れちゃった。まさかあの人が真犯人だったなんて。本当思いもよらなかったよね」

「そうだな。予告で『ネタバレはしないでください』って、わざわざ言うだけのことはあったよな。久しぶりの映画がこれって、お前にとっては大当たりだったんじゃねぇの?」

「そうだね。運がよかったよ。でも、それ以上に映画館っていう環境自体が新鮮でさ。スクリーンは大きいし、音も迫力あるしで、すごく話の内容に入り込めた。こればっかりは、あの場所で味わうことは絶対できないからね」

「そうだな」と言いながら、平賀はアイスコーヒーを口にする。一匙の砂糖を入れたコーヒーは、苦味の中にほのかな甘みがあって、心も平らかになっていく。

 友梨佳もフラペチーノに口をつけていて、クリームが口元にかすかに付着しているのが、平賀にはどことなくおかしかった。

「友梨佳、改めてお疲れ様。そして、おかえり」

 平賀の言葉に、友梨佳も口元を綻ばせている。あらゆる懸念を、今だけは気にしなくてもいいかのように。

「うん、ただいま。まあ、お疲れ様って言われるほど頑張ってはないんだけど、でもまたこうして太地と会えてすごく嬉しいし、ホッとしてるよ」

「そうだな。俺もまたお前の顔を見れて、心からよかったって思ってる。やっぱこの一年近くは、大変だっただろうから」

「そうだね。やっぱり行動が制限されてる状況は、自分に原因があるって分かっててもしんどかった。教育を受けてる時間以外は本を読むぐらいしかすることがなかったのも、ちょっと辛かったかな。まあ自分の考え方の歪みにも気づけたから、必ずしも悪いことばかりではなかったんだけどね」

「そっか。俺もお前が大変そうにしてるのは、手紙からも何となく分かったから。本当よく乗り切ってくれたと思うよ」

「ありがと。でも、それなら昨日迎えに来てくれてもよかったのに」

「それは手紙にも書いたろ。まずは一日両親とゆっくり過ごした方がいいって。この一年近くは、それすらもできなかったんだから。どう考えても、そっちの方が大事だろ」

「気遣ってくれてありがとね。実際、私も家に帰ってお父さんやお母さんと一緒に過ごした時間は、とても心休まる時間だったよ。夜も自分の布団でぐっすり眠れたし。今日ちょっと寝過ごしそうになっちゃったくらい」

「そりゃよかったな。あそこでの生活って、朝早かったんだろ? 昼ぐらいまで寝れるなんて、結構なことじゃねぇか」

「うん。まあ、いつまでもダラダラしてるわけにはいかないんだけどね」

「そうか? あそこでの生活は大変だっただろうし、少しくらいのんびりする時間があってもいいと思うけど」

「ううん。今は実家にいるけど、いつまでもぼーっとしてるわけにはいかないよ。とりあえず明日からアルバイトを探してみるつもり。やっぱ生きてくためには、お金を稼いでいかないと」

「そうだな。でも、あんま無理すんなよ。無理して身体壊したりしたら、元も子もないんだからな」

「分かってるよ。自分のペースで探していくつもり。まあ、大学を三ヶ月で辞めてそれからは何してたんですか? とは訊かれると思うけど、それもあまり気にしないところで働けたらいいかな」

「ああ、まずは良いバイト先が見つかることを、俺も祈ってるよ」

「ありがと。まずはバイト先が見つかったらの話なんだけど、それでもそこにも少し慣れてきたら、今度はハローワークでちゃんとした仕事を探してみるつもり。難しいとは思うけど、正社員で働けたら文句なしだね」

「そうだな。でも、あまり思い詰めるなよな。たとえうまくいかなくても、自分はダメだなんて思う必要は、少しもないからな。気を病んだらまたアレ、やりかねないかもしれないんだから」

「うん。十分気をつけるよ。でも、私一人で気をつけるだけじゃ、やっぱり足りなくて。実は、私と同じような状況の人が集まる自助グループがあるみたいでね。週一回ミーティングを開催してるみたいで、来週から私もそこに参加するよ。同じ状況にある先輩から話を聞くことで、色々参考になることもあるだろうし」

「なるほどな。まあ、頑張れとは言わねぇよ。たぶん今のお前にかけるには、適切な言葉じゃないんだろうし。でも、とりあえず生きててくれよ。たとえどんな状況になっても、お前が生きててくれさえいれば、俺は言うことないんだから」

「うん。太地と話してて、大変なことも色々あるだろうけど、それでもどうにかやってみようって気に、改めてなれた。本当にありがとね」

 穏やかな表情でそう言う友梨佳に、平賀も「ああ」と鷹揚に頷く。友梨佳とこうして再び話せていることが、些細な奇跡のようにさえ思えた。

「それで、太地は今どうなの?」

 唐突に訊いてきた友梨佳に、平賀は思わず「どうなのって?」と訊き返してしまう。友梨佳が、いたずらっぽく微笑む。

「いや、大学とか東京での一人暮らしはどうなのかなって思って。もちろん手紙で多少のことは知ってるよ。でも、今日会ってから私のことしか話してないじゃん。だから、ちょっとは太地の話も聞かせてよ」

「そうだな……。まあ、ひとまずは大学の方は二回生に進級できたよ」

「そう! よかったじゃん。太地がちゃんと大学に通えてるようでホッとしたよ」

「俺のことなんだと思ってんだよ。まあ、いいや。で、二回生になったら、全員がゼミに入る必要があるんだけど」

「太地、心理学部だったよね。どんなゼミに入ったの?」

「犯罪心理学」

 平賀がその単語を口にすると、友梨佳は多少驚いたような表情をしていた。でも、すぐに状況を呑み込んだようで「へぇ、そのゼミってどんなことするの?」と興味深げに訊いてくる。

「まあ、文字通り犯罪心理学の諸理論を学んだりとか、後は実際にあった事件について、犯罪心理学の観点からケーススタディを行ったりとか。あとは三回生になったら、司法機関で実習もさせてもらえることになってる」

「へぇ、なんだか大変そうだね」

「まあな。確かに今はついていくだけで精いっぱいだよ。でもさ、俺最近は刑法とか少年法の講義も取るようになって。実はそういう方面にも、ちょっと興味出てきてんだよな」

「それって太地は将来、法律関係の仕事に就きたいってこと?」

「いや、別にまだ決めたわけじゃないんだけど、でもこの国がどういうルールの下で動いてるんだろうっていうのは、今気になってることの一つではあるな」

「もしかして太地がそう思うようになったのって、私がきっかけだったりする?」

「まあ、正直に言えばな。でも、悪いよな。こんなことお前の前で言うの。気分悪くしたよな」

「いや、全然そんなことないよ。太地が私のことを意識して、そうしてくれたのは嬉しいし。太地が選んだ道なら、私は何も言わないよ。勉強がうまくいくよう、心の中で応援してるから」

 友梨佳がそう言ってくれたことで、平賀は自分が選んだ道は間違っていないのだと思える。この選択は正しかったのだろうかと、今の今まで不安だったのだが、それでも友梨佳が認めてくれて、安堵する思いがあった。

「ああ。俺もお前のこれからの人生がうまくいくよう、陰ながら応援してる。困ったら、いつでも相談してくれていいんだからな。できる限り力になるよ」

「うん、ありがと。そう言ってもらえると心強いよ。じゃあ、太地これからもよろしくね。また近いうちに会おうね」

「ああ。八月になったら前期が終わるから、その後はいくらでも会える時間を作れると思う。またそのときにな」

「うん。私も楽しみにしてるよ」

 二人は、今一度微笑みを交換し合う。友梨佳のすっきりとした表情を見ていると、次に会う日が今から平賀には待ち遠しかった。

 お互いにドリンクはまだ半分ほど残っていたから、二人はまだしばらくは店内で話していられる。取り留めのない会話をする二人。

 店を出たら、すぐに新幹線で帰路に就いてしまうことが、平賀にはとても口惜しく感じられた。



(続く)

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