次に平賀が留置場で友梨佳と面会したのは、翌週の火曜日だった。面会室に入ってきたとき、友梨佳は憔悴した様子を見せていたけれど、それでも平賀を見てわずかに頬を緩めていた。
面会は二回目ともあって、二人は前回よりも何気ない話ができた。この数日間で身の回りに起こったことを話す平賀に、友梨佳も慎ましげな表情で頷く。
そんななかでも、話題は自然と友梨佳の処遇のことになる。自分の身柄は、もう間もなく少年鑑別所に移される。少年鑑別所では交際相手との面会は難しくなることを、平賀は友梨佳から知らされる。
その期間は三週間から四週間ほどらしく、その間は友梨佳と会えないことを平賀はじれったく思う。保護観察処分になってほしいとは、職員が聞いている前では不適切だったかもしれないが、それでも平賀の本心だった。
友梨佳の身柄が少年鑑別所に移されてからは、電話をかけても交際相手の面会は原則できないと言われたこともあって、平賀は悶々とした思いで日々を過ごした。一日一日が、今までにないほど長く感じられる。
その状態のまま数週間が経った日に、平賀はふとした瞬間にスマートフォンを手に取らずにはいられない。
梅雨が始まって、じめじめとした雨が降るその日は、友梨佳の少年審判の当日だった。
少年審判は一一時から始まり、終わり次第自分にも連絡を入れてほしいと、平賀は友梨佳の両親に電話越しで頼みこんで了承を得ている。
ネットの情報では、少年審判にはおよそ一時間がかかるらしかったから、処遇が出るのは第二限が終わった頃になるだろう。そう思うと平賀は気が気でなく、講義も少しも耳に入ってこなかった。
それでも、第二限の講義が終わっても、友梨佳の両親からなかなか連絡は入ってこなかった。少年審判が終わった後も、いくつかの手続きやしなければならないことがあるのは、平賀にも予想はつく。
もしかしたら、すぐには受け入れがたい処遇が言い渡されたのかもしれない。そう考えると、平賀も気が重くなってしまう。食欲も大して湧かず、昼食も総菜パン一個で済ませるという有様だった。
三限目には講義は入っておらず、平賀は図書館に向かって講義で課されたレポートの作成に取りかかったが、友梨佳の両親から連絡がまだ入らない状況では、当然手につくはずもなかった。一分一秒がひどく長く感じられて、それでも四限目の時間は、着々と迫ってくる。
三限目の終了を告げるチャイムを聴いて、平賀は図書館を後にした。四限目の講義が行われる三号棟は、図書館とは正反対の位置にある。
またやきもきする時間を過ごすのかと思いながら、平賀が歩いていると、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが振動した。
その場でスマートフォンを手に取る平賀。画面に表示された「
すぐに電話に出ると、「もしもし、平賀君。今大丈夫?」という暖奈の声が聞こえた。その声色は疲れているようにもショックを受けているようにも感じられて、それだけで平賀は友梨佳に下った処遇の内容を予感してしまう。
「はい、大丈夫です」と答えると、暖奈は何ともないふりを装った口調で続けた。
「ごめんね。連絡するのが遅くなって。審判が終わってからも、色々することがあったから」
「いえ、大丈夫です。僕は全然気にしてないですから」
平賀がそう答えると、電話の向こうで暖奈は一瞬押し黙った。言い淀んでいる表情が目に浮かぶかのような間に、平賀が抱いた予感は、強固なものにされていく。
数秒時間をおいたのちに、暖奈は「あのね、友梨佳のことなんだけど」と切り出す。平賀の耳には、周囲の雑音はまるで入らなくなった。
「友梨佳は審判の結果、少年院送致になった。一一か月。極めて重大な事案だから、少年院で矯正教育を受ける必要があるって、裁判官の人に言われたよ」
「そうですか……」予期できたこととはいえ、ショックなことには違いなかったから、平賀は言葉を詰まらせる。保護観察処分になれば、会うことも可能だったのだが、少年院送致では会う時間はなかなか取れないだろう。
電話の向こうで、暖奈が静かに続ける。
「うん。今友梨佳は少年鑑別所にいて、職員の人が少年院に移る手続きを進めているところなの。きっとあと数日したら、少年院に行くことになると思う」
「……すいません、暖奈さん。僕がいながらこんな事態になってしまって」
「どうして平賀君が謝るの? 今回のことは、平賀君は何も関与してないんでしょ? だったら謝らないで。謝られると私たちが辛いだけだから」
「いえ、でも……」
「平賀君、そんなに言うなら、少年院を出た後も友梨佳に接してあげて。友梨佳が立ち直るためには、私たちだけじゃない、色んな人のサポートが必要になると思うから」
そう暖奈に言われると、平賀は「はい、分かりました」以外の返事ができなくなる。少年院を出た直後の友梨佳は、きっと不安でいっぱいなことだろう。暖奈たちには及ばなくても、自分も精神的な支えの一つにならなければと思えた。
「じゃあ、そろそろ切るね。平賀君、こんなことになっちゃったけど、これからも友梨佳をよろしくね」と暖奈が言い、平賀も返事をしたところで電話は終わった。
スマートフォンから耳を離すと、構内の雑踏が再びに平賀のもとに飛び込んでくる。すぐに切り替えることもできずに、平賀はしばしその場に立ち尽くした。
朝から降っていた雨は止んで、空には太陽が出ていたけれど、学舎に遮られて平賀にまでその光は届いてはいなかった。
少年審判の結果が出て数日後、友梨佳は東京にある女子少年院に送致された。わざわざ長野にまで戻らなくてもよくなったことは平賀にはありがたかったが、事はそう簡単には運ばない。
ネットには一度少年院に入所すると、交際相手との面会はできないと書かれていた。まさかそんなはずはないと、平賀も一度その女子少年院に電話で尋ねてみたものの、職員からの返事は、三親等以内の家族でないと面会はできないというものだった。
付き合っているとはいえ、友梨佳とは赤の他人であることを改めて突きつけられて、平賀は打ちひしがれる思いがする。物理的な距離は近くなったのに、精神的な距離はかえって離れてしまったようだった。
だから、女子少年院にいる友梨佳と連絡を取るなら、平賀には手紙しかありえなかった。最近の出来事や再び友梨佳と会える日を変わらずに待っているという内容を、便箋にしたためる。
女子少年院の最寄り駅で、直接友梨佳の両親に手渡すといった形だ。友梨佳の両親は、毎月同じような時期に休みを取って、長野から面会にやってきていた。
だから、平賀が友梨佳からの返信を受け取るのも、翌月のことになる。友梨佳から受け取った手紙には、女子少年院での生活の様子や受けている矯正教育、そしてまた平賀に会える日を励みに日々を送るよということが綴られていて、平賀は胸に来るものを感じずにはいられない。友梨佳が自分から気持ちが離れていないことが、涙が込みあげてきそうなほど嬉しい。
平賀は、さっそくその日に返信を書き始める。手紙を読んで友梨佳に対する想いは膨らんでいて、書くことには困らなかった。
両親を通じて友梨佳から二通目の手紙を平賀が受け取ったときは、大学で経験する初めての夏季休暇期間は終わろうとしていた。
後期が始まる数日前、平賀は自宅でパソコンに向かっていた。間もなく再開される後期に向けて、履修登録をしなければならなかったためだ。
大学でできた友人ともメールでやり取りをしながら、講義の一覧を見ていると、平賀は気になる講義を見つけた。
犯罪心理学だ。それは心理学部に籍を置いている平賀にとっては、他のいくつかの講義と並んで選択必修科目の一つだった。
その響きに、平賀の興味は惹かれていく。それには友梨佳の存在が大きいことも。同時に思い至る。
大学に入るまで、平賀にとっては犯罪は縁遠い世界だった。でも、友梨佳が逮捕された今は違う。犯罪が自分の生活と地続きになっている感覚が平賀にはある。
だから、犯罪心理学を選択必修科目として登録することに、迷いはいらなかった。
どうして人は犯罪に走ってしまうのか。そのメカニズムを知って、友梨佳の心のうちの一端でも理解したかった。
他にもいくつか必修科目や選択必修科目を登録して、平賀は共通選択科目の登録に移る。漫然と講義の一覧を見ていると、平賀の目はある一つの講義に留まった。
そこには、少年法入門と書かれていた。思えば、平賀は少年法についてほとんど知識がなかった。友梨佳がどうして女子少年院に送致されたのか、その決定理由も大まかにしか知らない。
少年法入門は法学部の必修科目だったが、他の学部生も受講できるようで、詳細を見てみれば他の講義とも時間は被っていない。
平賀は少年法入門を選択すると、そのまま登録ボタンを押した。
友梨佳の審判の根拠になった少年法とは、いかなるものであるのか。それを知ることで、平賀は未だにあるモヤモヤした気持ちに、少しでも折り合いがつけられそうな気がした。