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第57話


「では、面会を始めてください」

 筆記台についた職員が、二人にそう促す。

 でも、平賀も友梨佳もすぐに言葉を発することはできなかった。言いたいことはいくらでもあるはずなのに、いざ面会室という特殊な空間で向かい合っていると、平賀にはせき止められたように言葉が出てこなかった。

 沈黙を破るように、先に口を開いたのは友梨佳の方だった。

「太地、ごめんね」

 その短い言葉には、一聴しただけで様々な意味や感情が込められていることが分かって、平賀にはすぐに受け止めきれなかった。「なんで謝るんだよ」とは、言いたくても言えない。

 友梨佳は法律に照らせば、良くないことをしてしまったのだ。「お前は何も悪いことしてねぇだろ」とは職員も一緒にいる前では、平賀にはとても言えなかった。

「……いつからだよ」

 そう口にした自分の声が、どこか責めるような色合いを帯びていることは平賀にも分かっていた。でも、一度口にした言葉は引っ込めることはできない。

「去年の夏ぐらいから。ちょうど部活を引退した頃、友達に誘われて使ってしまったんだ」

「それ、断れなかったのかよ」

「うん、私も今になってはそう思う。でも、そのときは断り切れなかった。その友達との関係を続けていきたい思いもあったし、これから受験一色になると思うと、気が滅入ってた部分もあった。簡単に気分よくなれるよって言われて、NOとは言えなかった。全ては、私の心が弱いせいだよ」

「いや、なんでそうなるんだよ。そんなのどう考えても、その誘ってきた友達が悪いだろ」

「いや、ただ私が断れば済む話だったから。それに正直さ、最初使ってみたときはそこまで気持ちよく感じられなかったんだよね。こんな感じなんだって。そこでスパッとやめることだってできたはずなのに、その友達に会うたびに一緒の気分を味わいたくて、使ってる私がいた。冷静に考えれば、良くないことだって分かるのに。だから、悪いのは私なんだよ。私がダメなせいなんだよ」

 自分を責め立てる友梨佳がとても見ていられなくて、平賀は思わず「そんな、お前はダメじゃねぇよ」と発してしまう。

 でも、その言葉は友梨佳の胸にまでは届かなかったようで、目を伏せている友梨佳に、平賀は自分の無力さを改めて感じた。

「いや、やっぱり私はダメなんだよ。私がクスリを使ったのは友達付き合いのためもあるんだけど、受験勉強の息抜きって意味もあったから。そんなことしなくたって、みんなクスリに頼ることなく頑張ってるのにね。大学に合格したときも、少しは嬉しかったんだけど、でもクスリを使って勉強していた私が合格した一方で、ちゃんと真面目に勉強したのに落ちた人もいるって考えたら、本当に申し訳なく思えてきて。私は恥ずべきダメ人間だって、心の底から思ったんだ」

「……俺に何かできることってなかったか?」

「できることって?」

「お前がそんなクスリを使うようになって、そんな自分をダメだと責めるようになる前に、俺に何かできたことはなかったのかって意味」

「そんなの言えるわけないでしょ。私は、太地だけは巻き込みたくないって思ってたんだから。察してっていうのも無理な話だし、太地にできたことなんて、申し訳ないけど何もなかったんだよ」

 そう言う友梨佳の気遣いも、平賀にはよく分かった。自分を巻き込みたくないという思いも正当なものだろう。そ

 それでも、なお平賀は自分にも打ち明けてほしかったと、感じずにはいられない。何ができたかは分からないが、もしかしたらここまで深刻な事態にはならなかったのかもしれないのに。

 だけれど、「たられば」を考えることしかできない自分を、平賀は情けなく思う。自分にも原因があったのだと、自分を責めたくなる。そんなことをしても、何の意味もないのに。

「なあ、お前これからどうすんだよ」

「警察の人から聞いた話では、家庭裁判所に送られるみたい。それで、少年審判を受けるまでは少年鑑別所ってところに入れられて、面接とかを受けるんだって。少年審判の結果がどうなるかは分からないけど、事案を鑑みれば少年院に送られる可能性もあるって、警察の人は言ってた」

「そういうことじゃなくて、これからどうやって生きてくのかって話で……」

「まあ、確実に大学は退学になると思う。私としてもクスリの力を借りて入った大学に居続けるのは、申し訳なさすぎるし。その後はハローワークで仕事を探す形になると思う。でも、高卒の女が就ける仕事なんて限られてるし、その間もクスリに手を出さないように気をつけなきゃいけないし、今まで以上に大変な日々が待ってるのは間違いないよ」

「そんな……」友梨佳が口にした展望がとても厳しいものに思えたから、平賀は絶句してしまう。その未来が明るいものだとはまったく思えなかったし、もし少年院に入ったら、出てきたときにはアルバイトさえ就くのは容易ではないだろう。しかも、その間も覚醒剤の影に怯えながら、過ごさなければならないのだ。

 友梨佳がこの先被るであろう苦労のほどが、平賀にはうまく想像できなくて、かける言葉さえ見つからない。友梨佳も黙ってしまい、面会室には沈黙が垂れ込める。

 職員の「面会時間、あと三分です」という声が、虚しく響く。それがきっかけになったのか、それまでしばし口をつぐんでいた友梨佳が顔を上げた。やりきれない瞳に、平賀の心臓はきゅっと縮んでしまう。

「……太地」

「……何だよ」

「私たち別れよう」

 平賀は耳を疑った。友梨佳と別れるなんて事態は、頭のどこを探しても平賀には存在しないものだった。

「いや、どうしてそうなるんだよ。別に逮捕されたからって、別れる必要なんてどこにもねぇじゃんか」

「いや、私はこれから少年院に入ることになるかもしれない。その間限られた面会の機会でしか会えないのは、太地だって辛いでしょ? それに少年院から出ても、正直私がクスリをやめ続けられる保証はどこにもないんだよ。もしかしたら、辛いことから逃れるために、またクスリを使ってしまうかもしれない。そうなったら太地に大きな迷惑をかけることになっちゃう。私だけならまだしも太地を巻き込むことに、私は耐えられる気がしないんだよ」

「俺に迷惑をかけるなんて、そんなこと少しも思わなくていいよ。俺もお前がクスリをやめ続けられるように、できる限りのサポートをするから。一人だとそれこそ辛いことを乗り越えるのは、なかなか難しいときがあるだろ」

「ねぇ、太地。サポートするって具体的に何をしてくれるの? クスリをやりたくなる気持ちは、私だけにしか分からないのに」

「そりゃ、俺には話を聞くことぐらいしかできねぇかもしれないけど、それでも辛いときは人に話してみることで、少しは楽になるときだってあるだろ」

「話してみても、辛いことや目の前の問題がひとつも解決しない場合は……?」

「そのときは俺も一緒になって、解決方法を考えるよ。とにかく今回のことで、何もかも終わったなんて思うなよな。俺はこれからもお前の彼氏でい続ける。それでいいだろ」

 自分の言葉が友梨佳を励ませていたのかどうかは分からない。でも、友梨佳の目はかすかに潤み始めていたから、平賀は自分が言ったことが友梨佳の胸にまで届いていると思えた。

 自分と友梨佳の関係はこんなところで途切れるはずがないと感じていた。

 アクリル板の向こうの職員が「間もなく面会時間は終了になります」と二人に告げる。だから、平賀は最後に言い残すように「じゃあ、俺また面会に来るから。もうこれっきりなんてこと絶対にないからな」と伝える。友梨佳も頷いていて、有言実行できるように予定を考え直さなければと平賀は思う。

「面会時間終了です」と言った職員に促され、友梨佳は椅子から立ち上がった。別れ際に短い言葉を交わすと、友梨佳は職員に連れられ、面会室を後にしていった。一人取り残された平賀は、座ったまま事態の深刻さと、そんななかでも友梨佳に会えた安堵を実感する。

 居づらい空気が漂う面会室の中でも、すぐに椅子から立つことは平賀にはできなかった。



(続く)

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