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第56話


 駅前の商店街を、脇目も振らず突っ切る。来た当初は目に映るもの全てが新鮮に感じていたのだが、数か月が経った今、平賀はもう何とも思わなくなっていた。

 アルバイトを終えて家に帰ってきた頃には、時刻はもう夜の一〇時を回っていて、平賀はカップラーメンでも食べようと、やかんでお湯を沸かす。

 カップラーメンが出来上がるのを待っている間も、平賀は携帯電話を見ていた。メールをチェックする。何件か来ていたメールに返信しながら、それでも一番来てほしい人物からのメールは来ていない。

 ここ三日、友梨佳からのメールはなかった。

 もしかしたら、もう自分は飽きられてしまったのではないかと、平賀は邪推してしまう。離れ離れになる前はあれだけ「大丈夫」だと言っていたのに、たった数ヶ月で終わりなのか。

 今週末には友梨佳が東京にやってくる予定だということもあって、平賀は余計に気を揉んでしまう。どんなときでも友梨佳からの返信が来るのではないかと、気が気でなかった

 カップラーメンを食べ終えると、平賀のスマートフォンは着信音を鳴らした。でも、その発信者は平賀が待望していた友梨佳ではなかった。

 電話をかけてきたのは金子で、平賀が上京してからもしばらくは連絡を取り合っていたのだが、最近はどちらからともなく疎遠になっていた。何の用事だろう。

 平賀は何の気なしに電話に応じる。

「もしもし、平賀? 今何してた?」

「飯食ってた。それよりどうしたんだよ。いきなり電話してきて」

「いや、お前が最近どうしてんのかなって、ふと気になってさ。どうだよ? 大学の方は順調か?」

「ああ、講義にも何とかついていけてるし、入ったサークルも先輩たちみんないい人で楽しめてる。寝坊とかもしてないし、ここまでは問題なく大学生活を送れてると思う」

「そっか。ならよかったよ」

「ああ、お前の方はどうなんだよ。仕事、ちゃんとやれてんのか?」

「そうだな。少しずつ仕事も覚えてきてるし、同僚も優しい人が多くてさ。もちろん毎日が順調ってわけじゃなくて、失敗する日もあるんだけど、それでも今のところは何とかやれてるよ」

「そっか。まあ、頑張れよ」

「ああ、お前もな」

 ごく簡単な近況報告をして、やり取りは終わる。平賀はそう思ったのだが、金子はすぐに「ところでお前聞いたかよ」と立て続けに言ってきた。心当たりは平賀には少しもなかったので、「聞いたって何をだよ」と答える。

 金子が言ってきたのは、平賀にはにわかに信じがたい言葉だった。

「俺たちが通ってた高校から、逮捕された奴が出たって話」

 平賀は一瞬衝撃を受けるも、頭はすぐに回ってある一つの可能性に辿り着く。それはどう考えても、平賀にはとても受け入れられるようなものではなかった。

 脳裏に渦巻く思いが、「マジかよ」とシンプルな言葉になって口から出る。

「ああ、マジマジ。何でも在学中の生徒じゃなくて、今年卒業したばかりのOBOGらしいんだけどさ、それでもちょっと衝撃だよな」

 平賀の推測はより現実のものに近づいていく。それでも、認めたくないと小さい望みに平賀は縋ってしまう。

「ちなみに、それって誰なんだよ」

「ああ、確か三組の松尾まつおとか、一組の嵯峨とかって言ってたかな。確か他にも数人いたはずだけど。何でもクスリで捕まったらしいぜ。同じ高校にクスリをやってた奴がいたなんて、それこそ驚きだよな」

 金子が言ったことがうまく呑み込めない。なんてことは平賀にはなくて、友梨佳の名前がこれ以上ないほど鮮明に脳に入ってきてしまう。やはりいつか後輩が話していた噂話は、本当だったのだ。

 平賀は、一歩も動けなくなった。心は引き裂かれそうなほどにぐらぐらと揺れ、頭は機能を停止したかのように働かない。

 電話の向こうで金子がまだ何か言っていたが、それすらも平賀の耳には入ってこなかった。意識がどこか遠くに離れていくような感覚がする。

 でも、夢でも幻でもなく現実であることは、平賀の吐く息が証明していた。

「おい、どうしたんだよ、平賀。さっきから黙っちまって」

 不意に聞こえてきた声に、平賀はようやく我に返る。気がつけばしばらく相槌も打っていなかった。

「い、いや、ちょっと驚いちまって。まさか、同じ高校に通ってた人の中から逮捕者が出るとは思ってなかったから」

「そうだな。俺も話を聞いたときは驚いたよ。まあ、俺たちはさ、これから警察の世話にならないように生きてこうや」

「そ、そうだな。俺たちにできることってそれくらいだもんな」

「ああ、じゃあそろそろ切るな。またこうやって電話で話そうぜ」

「あ、ああ。そうだな」

「じゃあな、平賀。元気でやれよ」

「あ、ああ。お前もな」

 金子が電話を切ると、平賀は呆然と壁を見つめた。外から聞こえてきていた車の走行音も、今は止んでいる。

 友梨佳がこうなる前に、自分には何ができただろう。自分は友梨佳が違法薬物を使用していることを、噂程度だが知っていた。そのことを面と向かって、友梨佳に言えればよかったのだろうか。

 でも、いくら親しい間柄とはいっても自分が違法薬物を使用していることを認めるのは、なかなか容易なことではない。結局自分にできることはほとんどなかったのだと、平賀は無力感に打ちひしがれる。

 外では曇った夜空から、ぽつぽつと小さな雨が降り出していた。




 翌日。あまり眠れなかった平賀はいてもたってもいられず、長野行きの新幹線に乗車していた。今日はまだ金曜日だから講義はサボる格好になってしまうが、それでも平賀は友梨佳のことしか考えられなかった。

 午前九時過ぎに長野駅に到着すると、バスに乗って長野中央警察署を目指す。

 友梨佳がどこに収容されているかは分からない。それでも逮捕された被疑者は、まずは警察の留置場に身柄を置かれる。それくらいの常識は、平賀にもあった。

 平賀が初めて訪れる長野中央警察署は、年季の入った庁舎がどことなく厳格な雰囲気を醸し出していた。

 思い切って中に入り、受付の職員に「嵯峨友梨佳さんとの面会をお願いできますか」と告げる。

 友梨佳がどこの留置場にいるか、平賀には情報がない。だから、「そのような方は、ここにはいません」と断られる可能性も平賀は想定していたのだが、職員は「分かりました。かけてお待ちください」と応じてくれた。友梨佳がここにいて会えそうなことに、平賀はかすかに胸をなでおろす。

 それでも自分の他には誰一人として来客のいない署内で腰かけていると、平賀は心細さを感じずにはいられなかった。

 一〇分ほど焦れるように待って、平賀は別の職員から声をかけられる。立ち上がって案内されるがまま二階に向かい、第一面会室と表示が書かれた部屋に入る。

 そこは面会者と被疑者、それぞれが座る二つのスペースがアクリル板で仕切られていた。椅子と職員が座る筆記台以外のものは一切なくて、窓のない部屋に平賀は息が詰まるような感じがする。

「面会時間は被疑者が入室してから一五分です」と告げ、職員は面会室から出ていった。

 一人残された状態で座っていると、喉が締めつけられるかのようだ。テレビドラマで見たセットみたいだと思うほどの余裕は、平賀にはなかった。

 長く感じられた待ち時間を経て、職員とともに友梨佳が入室してくる。アイボリー一色の服に身を包んだ友梨佳は、平賀が最後に会ったときよりも髪が伸びていて、セットされていない分乾燥している髪が、平賀にはどこか痛々しく見えてしまう。

 座ってアクリル板越しに向かい合うと、泣きはらしたのか、目が少し腫れているのが克明に分かる。

 でも、少し印象は変わっていてもその姿は間違いなく友梨佳で、平賀の胸はズキズキと痛んだ。


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