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第55話


 翌日。平賀は今までと同じように、学校で友梨佳と顔を合わせていた。友梨佳の表情や雰囲気は、本当に昨日までと何も変わったところはなく、平賀にかすかなためらいを抱かせる。まさか面と向かって訊くわけにもいかない。

 だから、平賀は普段通りの態度を取り繕った。友梨佳には見抜かれてはいないようだったけれど、平賀は友梨佳を見る目が昨日までとは、少し異なっていることを感じてしまっていた。

 平賀がなかなか友梨佳と面と向かって訊き出せない間にも、日々は瞬く間に過ぎていった。二人とも学校に塾にと勉強に追われ、年末から年明けはなかなか会えない日々が続いた。

 平賀だって、もちろん今一番優先すべきは勉強だと分かっている。でも、ふとした瞬間に友梨佳のことを意識してしまい、それは心配に近かった。

 友梨佳はつつがない日々を送れているのだろうか。一日に何度かそう強く思ってしまう瞬間があり、そのときには勉強にも手をつけられなっていた。

「じゃあ、お互い受験お疲れ様でしたってことで、乾杯!」

 友梨佳がメロンソーダが入ったコップを掲げてくる。平賀もオレンジジュースが入ったコップを掲げて、軽く突き合わせた。平日の午後のファミリーレストランは空いていて、話し声も少なく過ごしやすい。

 卒業式を翌週に控えるなか、平賀たち三年生は、毎日学校に行く必要のない日々を過ごしていた。

「いやー、よかったねぇ。私も太地も無事に第一志望に合格できて。特に太地は大変だったんじゃない? 太地が目指した学部、偏差値六〇くらいあったから」

「まあな。勉強もそれなりに大変だったけど、どうにか踏ん張れた。俺一人の力じゃ合格できてたか怪しいから、関わってくれた人全員の力あってのことだよ」

「またそんな謙遜して。太地はもっと自分のしたことを誇ってもいいと思うな」

「ありがとな。でも、お前も大変だったろ。何せ、四月の模試じゃE判定だったんだから」

「うん。さすがにヤバいなと思ったけど、でも部活も引退してやるしかなかったから何とか頑張れた。まあ本番では重点的に勉強してたとこばかりが出題されて、少し運もあったんだけど、それでも何とか合格できて、今は本当ホッとしてる。これも太地が何度も勉強教えてくれたおかげだよ。本当にありがとね」

 ストレートに感謝を伝えてきた友梨佳に、平賀の顔は火照っていくようだった。オレンジジュースに再び口をつける。それでも平賀の中に生まれたほとぼりは、そう簡単には冷めなかった。

「何言ってんだよ。お前が合格した一番の要因は、お前自身が頑張ったからだろ。俺の力なんて大したことないって」

「いやいや、太地の教え方は分かりやすくて、私でも理解できるものだったよ。太地がいなかったら、私は合格できてなかったかもしれないんだから」

「お前こそ謙遜してんじゃねぇか。『もっと自分を誇ってもいい』って言ったのはどっちだよ」

「そうだね。合格したのは間違いなく私自身だもんね。苦手な勉強も頑張ったって、今だけは言ってもいいよね」

「ああ。俺たち頑張ったよ。お互いにな」

 そう言った平賀に友梨佳も頷く。自分たちは一つ大きな事を成し遂げたのだ。今達成感に浸らなくて、いつ浸るというのだろう。

 友梨佳も感慨深そうな表情をしていて、平賀は充足感を覚えた。

「私たち、本当に春から大学生になるんだよね」

 友梨佳が実感を込めて言う。その当たり前の響きに、平賀の頬は思わず緩む。

「ああ。何だよ、今さら」

「いや、本当に少し離れ離れになっちゃうんだなって思って。それこそ今さらなのにね」

 その言葉に、平賀も改めて身につまされる思いがした。

 四月になれば平賀は東京の大学に、友梨佳は長野の大学に進学する。何度も話して決めたことだ。

 それでも今になって、平賀は寂しさを感じずにはいられない。率直な思いがふと口からこぼれ落ちる。

「そうだな。でも、それだったらお前も東京の大学受ければよかったじゃんか」

「いや、私はいいよ。東京ってなんだかおっかなさそうじゃん。わざわざ実家を離れてまで、行くことは私にはちょっと考えられなかったかな」

「そっか。じゃあ、俺がこっちの大学に行けばよかったかなぁ」

「いやいや、それはいいよ。だって太地、一度は東京で一人暮らししてみたいと思ったんでしょ。その気持ちは、私が止められるようなものじゃないよ」

 上京への憧れは、友梨佳と一緒にいることを天秤にかけてもなお、平賀には捨てきれなかった。だから、友梨佳が理解を示してくれていることに、安心して「そうだな」という返事ができる。

 友梨佳と離れ離れになることは寂しいが、それでも平賀の胸は期待で膨らんでいた。

「ねぇ、太地。大丈夫?」

 友梨佳が会話の流れで自然に訊いてくる。その言葉が意味することは平賀にも分かったけれど、それでも「大丈夫って何がだよ」と、とぼけてみせた。

「一人暮らし。初めてするんでしょ? 色々大変じゃない?」

「そんな、誰にだって初めてはあるだろ。大丈夫だよ。今はネットに役立つ情報もゴロゴロ転がってるし、なんとかなるよ」

「本当に? ちゃんと自分で料理作れる? いつ人が来てもいいようにしっかり掃除しといてよ。それに同じアパートの入居者さんに迷惑はかけないでね。あと……」

「分かってる分かってる。今言われたことはちゃんと気をつけるから。そんな心配しなくてもいいよ」

「ならいいけど」

 そう言って、友梨佳はメロンソーダに再び口をつけた。飾らない表情をしている友梨佳の姿は、平賀にはいつだって好ましい。

 だけれど、平賀の脳裏にはこんなときにでも、いつかの後輩が言ったことが思い起こされてしまう。それは何も今回に限ったことではなく、事あるごとに平賀が思い出していたことだった。

 何度も気になっているものの、まだそのことについて、平賀は友梨佳に訊けていない。

「なぁ、お前こそ大丈夫かよ」と、心配が声になってしまう。「大丈夫って?」と訊き返している友梨佳は、はまるで心当たりがないように平賀には見えた。

「いや、大学のこととかさ。ちゃんと通えんのかなって思って」

「いや、それは太地だって同じことでしょ。大丈夫だよ。みんななんとかなってんだし、私だってなんとかなるはず。もちろん、太地もね」

「ああ。それはそうなんだけど……」

「何、太地。もしかして私のこと信じてないの?」

 友梨佳が何を思ってそう言ったか、平賀にはそれとなく察せられた。おそらくそれは自分が危惧していることと違うことも、同時に感じられる。

 それでも、それを指摘することは平賀にはできるはずもない。「い、いや、そういうわけじゃねぇけど……」と返事をするので精一杯だった。

「ちゃんと毎日ラインするし、月に一度は会おうって約束したでしょ。それでも太地は不安なの?」

「別に不安じゃねぇよ。でも、遠距離って色々大変だっていうじゃんか」

「不安がってんじゃん。大丈夫だよ。私と太地なら乗り越えられる。太地もそうは思わない?」

「……ああ、そうだな。俺たちなら何とかなるよな」

「でしょ。私、東京行くの楽しみにしてるから。渋谷とか新宿とか色んなとこ連れてってね」

「東京、おっかないんじゃなかったのかよ」

「それは住む場合の話。たまに行く分には、私は楽しみでしかないから」

「何だそれ」

 そう言って、二人は笑う。もうすぐ離れ離れになってしまうからこそ、友梨佳と一緒にいられる時間が平賀には無条件で愛おしかった。

 注文したフライドポテトを食べながら、二人はさらに会話に花を咲かせる。

 でも、和やかな時間が崩壊する足音は、一歩一歩近づいてきていた。



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