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第50話


「友梨佳、本当にごめんな」

「なに? 太地、同窓会のときも謝ってたじゃん。別にそんな何度も謝んなくていいよ」

「いや、ちゃんと謝らせてくれ。あのときは本当にすまなかった。心から反省してるよ」

「いや、太地何も悪いことしてないじゃん。私が出てからもしばらくは遠距離してくれてたんだし。悪いのは全部私だよ」

「いや、俺があのことを知ったときに、もっと強く止めてればよかったんだと思う。そうすれば、お前もあんなことにはなんなかっただろうし」

「ううん。それは違うよ。別に太地に言われたぐらいで、私は止められなかったと思うから。太地のせいじゃないよ」

「でも……」

「太地さ、私あのとき実はホッとしたんだよね」

 友梨佳が口にした言葉に、平賀は意表を突かれたような感覚がした。そんな言葉は、今まで一度だって聞いたことがなかった。

「ホッとしたってどういうことだよ」

「これでようやく止められるなって意味。あのままじゃ先はないなってのは、私も分かってたことだから。これでようやくやり直せるって、心から思ったんだよ」

「そんなこと思ってたのか。ごめんな、今まで知らなくて」

「だから謝らなくていいって。今まで言ってなかったんだから。それに出た後もしばらくは、私と連絡とってくれてたでしょ。それは本当に感謝してるよ。まだ不安定だった私の、心の支えになった」

「……でも、自然消滅しちまった」

「そうだね。でも、まあ遠距離なんていつまでも続けられるもんでもないんだし、時間の問題だったと思うよ。どっちが悪いとかない。それでいいでしょ?」

 平賀も頷く。熱はいつか冷めてしまう。自然の摂理だ。

 二人は、再びシーザーサラダを口に運ぶ。でも、じっくり味わう余裕は平賀にはない。

 それは友梨佳も同じだったのか、シーザーサラダを吞み込むと「あのさ」と、再び口を開いていた。「何だよ」と何気ない様子を装って平賀も相槌を打つ。友梨佳が次の言葉を口にするまでに、一瞬の間があった。

「私さ、一度離婚してるんだよね」

 友梨佳の突然の告白に、平賀は虚を突かれた思いがした。こういうときに返せる適切な言葉を、平賀は持っていない。いくつもの感情が交ざりあった結果、「そうなんだ」とシンプルな相槌が口からこぼれる。

 その声は自分でも少しゾッとするほど、平坦だった。

「いや、そうなんだって。いつ結婚したのかとか訊かないの?」

「いつ結婚したんだよ」

「そのままね。まあいいや。二十五のときだよ。同じ職場で働いてた、二つ上の先輩」

「へぇ、なるほどな」

「今『ありがちだな』って思ったでしょ?」

「いや、別に思ってねぇけど」

「いいよ、ごまかさなくても。私もありがちだなって、自分で思うし。付き合って一年くらいかな。籍を入れたのは。派手な式は挙げられなかったけど、でも最初の頃はそこそこうまくいってたよ」

「……最初の頃は、か」

「うん、最初の頃は。別にその人が悪かったわけじゃないよ。ただ、私が自分の事情だったり、過去のことを言わなかっただけだから。いや、言えなかったんだよね。もしそれを伝えて、『別れよう』って言われたらって思うと怖くて」

「そういう偏見を持ってる人だった?」

「いや、そういうわけじゃなくて、ただ単に私に勇気がなかっただけ。でも、黙ったまま隠したままでいるのはやっぱ辛くてさ。二年くらいでもうしんどいってなって、別れちゃった」

「そっか……。別れるときに、その人にそのことは伝えたのかよ」

「いや、伝えてない。たぶんその人は、今も私がああいうことをしてたとは知らないんじゃないかな」

「なるほどな。確かにそれは辛いよな」

「うん。だから、それから私誰とも付き合ってないんだ。いつかそのことがバレたときに、どんな顔をされるんだろうって思うと怖くて。こんなこと言えるの、太地くらいだよ。だって太地は知ってるから」

「……今は」

「何?」

「今はどうなんだよ。止められてるのか?」

「うん、なんとかね。でも、これがいつまで続けられるかは正直分かんない。また手を出しちゃう危険は、常にあるから」

「そっか……」と言ったきり、平賀の言葉は止まってしまう。友梨佳がどれだけ不安に苛まれる毎日を送っているか。平賀には想像しようとしても、うまくイメージができない。

 友梨佳も口を閉ざしてしまい、二人の間から言葉が姿を消す。

 でも、それを見計らったかのように、厨房の方から再び音楽が鳴りだす。配膳ロボットは気まずくなりかけている二人の空気なんてまったく構うことなく、明るい音楽を奏で、二人のテーブルの前で停まった。その能天気な姿に、平賀はほんの少しだけ救われる。

 二人がそれぞれ自分が注文した料理を手に取ると、配膳ロボットは再び厨房へと戻っていく。ハヤシライスのコクのある匂いが、二人の間に漂った。

「ごめんね。なんか暗い空気にさせちゃって。ほら、太地。ご飯食べよ。私のハヤシライスもだけど、太地のカルボナーラも美味しそうじゃん」

 気を取り直すかのように、そう言った友梨佳の姿が、平賀にはいたいけなものにさえ映る。気がつけばフォークを再び手に取るよりも先に、声が出ていた。

「なあ、友梨佳。俺に何かできることないか? せっかくこうしてまた会えたんだしさ」

 それは、平賀の胸の奥底から出た言葉だった。このまま友梨佳が綱渡りの日々を続けるのを、ただ見過ごしているのはあまりに忍びない。

 友梨佳は「うーん、そうだなぁ」と少し考えるような素振りを見せてから、答えた。

「これはつまるところは私自身の問題だからね。太地にできることって、そんなにないかもしれない」

「そっか……」

「でも、本当に私のことを考えてくれるなら、これからもたまに会ってよ。ご飯食べながら、お互い話そう。そうすることで、私はその日をなんとか乗り切ることができると思うから」

「分かった。お前がそうしたいなら、俺は拒まねぇよ」

「ありがと。じゃあ、食べよっか。早くしないと冷めちゃいそうだし」

 別に、料理はそんなにすぐには冷めないだろう。平賀は反射的に思ったが、それでも今は冷静なツッコミを入れる場面ではなかった。

 友梨佳が改めて「いただきます」と言ってから、ハヤシライスをスプーンですくっている。平賀もフォークを手に取り、カルボナーラを一口分巻き取った。クリーミーなソースに絶妙な塩梅の塩加減が舌に優しい。

 友梨佳もハヤシライスを口にして、満たされたかのような表情をしている。騒がしい店内の中で、二人は少しずつ平穏を取り戻しつつあった。




 その日、少年との面接を終えた雫はさっそくパソコンを立ち上げて、今の面接の結果をまとめようとした。だけれど、起動したところで一件のメールを受信していることに気づく。

 送り主を確認してみると、須藤からのメールだった。平賀にも一緒に送られているが、まだ開封はなされていない。雫はそのままメールを開いて、本文を確認した。そこには丁寧な文章で、こう綴られていた。


「長野少年鑑別所 平賀太地様 山谷雫様

 日増しに秋も深まる今日この頃、お二人もご健勝のことと思います。

 先日は、私どもの学校までご足労いただきありがとうございました。お二人からお話を聞き、またメールでお送りいただいた薬物乱用防止教育の資料も拝読し、実際の講演のイメージが私どもとしても掴めてきました。重ねて御礼申し上げます。当日はよろしくお願いいたします。

 加えて、今回ご連絡を差し上げた理由ですが、先日平賀さんは私たちに『生徒について何か相談したいことはありますか?』と仰ってくださいましたよね。そのときは『特にありません』と答えてしまったのですが、それから先生方にも声をかけたところ、ある生徒のことについて一度相談したいとの申し出がありました。

 それはクラスメイトに暴行を加え、先月まで停学処分を受けていた男子生徒のことです。その彼は衝動的な行動を取ってしまう面があり、担任の先生いわくクラスにもあまり馴染めていないとのことです。また、彼は以前に学外の友人と未成年飲酒に及び、警察に補導された経験も持っています。私どももスクールカウンセラーの先生を含め、チームを組んで対応に当たっていますが、なかなか状況に改善は見られません。ですので、今回平賀さんや山谷さんら法務少年支援センターの力をお借りしたいのですが、ご対応できますでしょうか?

 また、折り返しご連絡いただけたら幸いです。

 公立長野今井高校 教頭 須藤真智子」


 文面を読み終えて、雫は心の中で呼吸を整えた。少年相談の依頼を目にすることは初めてだっただけに、心臓が普段よりも速く波打っていることを雫は感じる。

 だけれど、今自分がすべきことはじっと座って、やり過ごすことではないだろう。

 雫は一つ息を吐くと立ち上がって、那須川の机へと向かった。在席していた那須川に「今、お時間よろしいですか?」と声をかける。

 澄ました顔で「はい、大丈夫ですよ」と答えた那須川に、雫はなるべく自然な口調で、須藤からメールが来たことを知らせた。


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