それからも結局、大石の両親が大石のもとに面会に来ることはなかった。雫の頼みを受けて、真綾も両親に息子さんの面会に来ませんかと呼びかけているらしいのだが、二人は少しもなびかなかったらしい。
毎日大石に接している別所が言うことには、大石はやはり機嫌があまり良くなく、今回のことについて反省をする様子はなかなか見られないそうだ。
それは雫も恨みつらみが記された大石の日記を読んで、十分察している。大石には何か変わるきっかけが必要で、それは両親との面会かもしれないのだ。その機会が一向に訪れないことに、雫さえも少し腹立たしい思いを抱いてしまう。
自分でさえこうなのだから、当の大石が抱いている怒りはどれほどだろうと想像すると、胃が痛むような心地さえあった。
「それでは、これから大石友樹さんの判定に関する会議を始めたいと思います。皆さん、よろしくお願いします」
そう言った那須川に続いて、雫と別所も「よろしくお願いします」と頭を下げる。会議室に流れる改まった雰囲気は、何回経験しても雫は未だに慣れない。
大石が鑑別所にやってきてから、二週間と半ば。少年審判を三日後に控えた午後に、大石の判定会議は開かれていた。
「では、まずは山谷さんから、大石さんに対する所見のほどをお願いします」
「はい」と返事をしながら、雫はやはり立ち上がることはしなかった。これまで何回か判定会議には出席しているから、完全に慣れてはいなくても、少しずつ勝手は分かってきていた。
あらかじめ配布しておいたプリントを手に、「では、述べさせていただきます」と口にする。その瞬間、会議室の空気がよりいっそう厳かになったように、雫は感じた。
「大石さんは特殊詐欺に加担して、ここにやってきたものの、三回の面接で心から反省しているようには正直なところ、私には見えませんでした。面接に臨む態度も反抗的で、自分がしたことへの自覚が足りていないように見受けられます。心理検査の結果でも他責傾向が見受けられ、今のままでは再非行のおそれがまったくないとは言えません。ですが、大石さんがこのような性格を帯びてしまったことには、家庭環境に大きな要因があると私は考えます。大石さんの両親は大石さんのことを冷遇し、面会にも今日まで来ていません。大石さんが両親からの十分な愛情を受けられなかったことは、考慮する必要があると私は考えます。よってこれらの要因を総合的に判断して、私は大石さんには保護観察処分が妥当だと考えます。まず何よりも自分を見守ってくれる人間がいるという安心感が、大石さんには必要なのではないでしょうか」
「私からは以上です」そこまで一息で言い終えて、雫はようやく内心で息を吐いた。大石の反省の状況から、不処分にはできないが、それでもそこまで厳しい処遇を課す必要はないのではないかという判断だ。
何回も考え直した末の結論だから、雫にもわずかに自負はある。全ては大石のこれからのためだ。
「山谷さん、ありがとうございます。では、続いて別所さん、大石さんへの所見のほどをお願いします」
那須川に水を向けられて、別所も座ったままで返事をした。伸びた背筋が、雫により息を呑むような緊張感をもたらす。
「では、述べさせていただきます。結論から申し上げますと、私は大石さんの処遇は、少年院送致がふさわしいと考えています。大石さんはここにやってきたときから、ふてくされるような態度を見せていて、多少改善したとはいえ、今もその傾向は依然としてあり続けています。日々の行動観察からも、今回のことに対する反省よりも、ここに来させられた不満が先行しているように感じられました。日記にも恨みや不満が書き連ねられていて、自省するような内容はわずかでした。また今回の非行には、社会的責任も存在すると私は考えます。ですが、まったく改善の余地がないわけではありません。鑑別期間中に行った学習指導では、いくぶん前向きな姿勢を見せており、心根の素直さを私は感じました。よって、少年院で施される矯正教育には一定の効果があると私は考えます。大石さんが再非行に及ばないためには、少年院で教育を受けることが、最も効果的な方法ではないのでしょうか」
別所が述べた所見は、内容は雫の所見と大差はなかったけれど、結論は異なっていた。直面した現実に、雫は塩入のときの判定会議を思い出さずにはいられない。あのときも湯原と別所の処遇に対する意見は異なって、その瞬間雫は大変なことになったと感じた。
でも、それと同じ事態が今自分の身に起きている。先ほどまで確かに自分の中にあった自負のようなものが、揺らいでいくようだ。
「別所さん、ありがとうございます。二人とも大石さんへの所見は、まだまだ反省が足りていないという点では一致しているものの、付すべき処遇の内容については少し相違がありますね。どうでしょう。お互いの所見を聞いて、お二人は何か感じたことはありますか?」
那須川はそう言って二人に自由な意見を求めていたけれど、雫は別所と意見が違うという現実を処理することで、今はいっぱいいっぱいだった。すぐに別所に対しての意見が思い浮かぶはずもない。
そんな雫の状況を察したのだろう。別所は「山谷さん、少しいいですか?」と前置きをしてから、口を開いていた。
「大石さんの家庭環境に問題があるのは、私も分かっているつもりです。でも、それならなおのこと、大石さんには少年院送致がふさわしいのではないでしょうか? 大石さんを両親からいったん引き離すことで、自分のしたことを見つめ直す機会が与えられるのではないでしょうか?」
別所の質問は、かなり雫に配慮していたけれど、それでも雫は着実に追い詰められるような感覚を味わってしまう。頭が軽くパニックを起こしてさえしまいそうだ。
それでも、雫は落ち着くように自分に言い聞かせる。
「それは私も考えました。それでも、私は大石さんと両親との関係を改善させることが、第一だと判断しました。それは少年院送致では難しく、保護司の観護のもと今まで通り一般社会での生活を送ることによって、成し遂げられると考えます」
「山谷さん。それで本当に大石さんと両親の関係が改善するでしょうか? 言い方はあまり良くないかもしれませんが、少年院送致という大きなインパクトのある処遇をしなければ、両親が変わるきっかけには私はなり得ないのではないでしょうか?」
「そ、それは確かにそうですけど、でも少年院送致になったら、それこそ両親は大石さんとの縁を切ってしまうかもしれないのではないですか? いくら違うと言っても、少年院を刑務所のように考えている方はまだまだいらっしゃいますし、少年院送致にしたら余計に、両親の大石さんに対する心証は悪くなってしまうのではないでしょうか」
「山谷さんの言う通り、そのデメリットはあるかもしれません。それでも、私は少年院送致によって大石さんにもたらされる、教育効果というメリットを優先すべきだと考えます。少年院で時間を過ごすことで、自省する機会も今以上に増えるでしょうし、何より大石さんは、あと数ヶ月で一八歳を迎えるんですよ。民法上では成人とみなされ、両親から自立するという選択肢も持てるようになる。私はその間の期間を、やはり一度両親から引き離すべきだと考えます。その方が保護観察処分に付して今までと同じ生活を続けさせるよりも、誰にとっても変化する可能性が大きいのではないでしょうか」
雫がどうにか言葉を返しても、織り込み済みだと言うように、別所はそれ以上の言葉をすぐに返してくる。その声は揺るぎなく、自分が間違っているのではないかと、雫には感じられてしまうほどだ。何が正しくて何が間違いかは、ずっと先にならないと分からないというのに。
じわじわと追い込まれるような心地がして、雫には「それはそうですけど……」としか返せる言葉がない。
そんな雫を見かねたのか、那須川が「お二人とも少しいいですか?」と話に割り込んでくる。何を言おうとしているのかは、雫にも瞬間的に分かった。