「……でも、それは学校での話ですよね?」
「まあな。あんたが知りたいのは、ウチの家のことだよな」
「それは正直に言うと、そうですね」
「なあ、どうしても言わなきゃダメか? こんなこと、俺言いたくねぇんだけど」
「大石さんがそう思うのも、当然だと思います。それでも、私は言ってほしいです。適切な鑑別のためには、必要なことですから」
雫は言葉だけでなく、目でも訴える。今までだったら間違いなく大石は言っていないが、それでも今の流れならば分からない。
今部屋には自分たち二人しかいないのに、大石は軽く周囲に目配せをしていて、迷っているのだと雫は思う。それでも、どうにか言ってほしいと願っていると、やがて大石は「しょうがねぇな」と言うかのように、一つ息を吐いていた。
「分かったよ。言えばいいんだろ」
口調はどうであれ、自分の願いが通じたことに、雫はかすかな感慨を覚える。「はい」と相槌を打つ声にも、自然と安堵と緊張が滲んでいた。
「あれは俺が中二のときだったかな。兄貴が東京の大学に行きたいって言い出して。もちろん、あいつらは大喜びで応援してさ。塾に通わせたりとか家庭教師をつけたりとか、とにかく兄貴のために尽くしてて。それで俺思ったんだよ。俺のときは、どうなんだろうって」
「どうなんだろう、とは?」
「俺が大学に行きたいって言ったら、あいつらは応援してくれんのかなって話だよ。でさ、俺一回言ってみたことあるんだよ。『俺も東京の大学に行ってみたい』って」
「ご両親の反応はどうだったんですか?」
「どうもこうもブチギレだよ。ウチにはお前まで大学に行かせる余裕はない。夢みたいなこと言ってんじゃないって。どうしても行きたいなら自分で勉強を頑張って、奨学金でも何でも貰って行けってな。それではっきり思ったよ。こいつらは、俺のことが心から嫌いなんだって。兄貴一人いれば十分なんだって。だから、俺もさらにあいつらのことが嫌いになってよ。こんな家いたくねぇなって強く思った」
「だから、高校は篠ノ井の実家から遠く離れた、長野伊地知高校にされたんですか?」
「そうだよ。あのときの俺には、家を出ていくのが第一だったからな。勉強もそれなりに頑張ったよ」
嫌気交じりに言う大石から、振り返りたくない過去を振り返っていることは、雫にも容易に察せられた。いくら適切な鑑別のためだとはいえ、心の中まで踏み込んでいることに、少しためらいや申し訳なさがある。
でも、だからといってこんな中途半端なところで面接を終わりにするわけにはいかない。雫はできる限り落ち着いた表情と声色で尋ねた。
「でも、そうして入った高校も、一年生のときに辞めてしまったんですよね?」
大石は返事をしなかった。でも、そのことが紛れもない事実だと、かえって認めてしまっている。
また不機嫌な表情をしだした大石にも、雫はその先を尋ねないわけにはいかなかった。
「大石さん、ここで訊いたことは鑑別所の中や家庭裁判所以外には決して漏らしませんから、教えてくれませんか? 大石さんは、どうして高校を辞めたんですか?」
小細工は意味がないと感じて、雫は直球を投げ込む。大石は少し倦んだような目を向けてから、再び「言えばいいんだろ」というように口を開いた。
「そりゃ高校がつまんなかったからだろ。遠くの高校に進んだから、知り合いも一人もいない、ゼロからのスタートだったし。まあ友達はできたんだけど、勉強には楽しさを感じなかったし、何より野球でもベンチにすら入れなくなって、球拾いの日々が続いたしな。こんな毎日を続けて何になるんだよって。だから、辞めたんだよ」
それは大石だけでなく、きっと少なくない数の学生が感じていることだ。たったそれだけの理由でせっかく入った高校を辞めてしまうのは、雫にはとてももったいないことに思える。今でも高校に通っていたら、大石はここには来ていなかったかもしれない。
でも、それを言っても詮無きことなので、雫は感じた思いをぐっと喉の奥に押し込んだ。もともと面接では、大石を否定するようなことは言うべきではなかった。
「そうだったんですか。ちなみに高校を辞めるにあたって、ご両親は何か言ってましたか?」
「別に、何も言わなかったよ。お前の人生なんだから、お前の好きにしろって。無責任だよな。あのとき俺はまだ一五のガキだったっつうのに。まあ今でもガキなんだけどよ」
本当にそうだと、雫は思う。大石の年齢を考えたら、まだ両親の庇護が必要だ。
大石の両親がしたことが、雫には育児放棄のようにすら思える。子供が道を間違えないように気遣うのは、親として当たり前の思考だろう。
「なるほど、そうですか。今大石さんが話してくれたことを聞く限り、やはり大石さんの両親にも、少なからず現状に対する責任がありそうですね」
「そうだろ。俺がこんなんになったのは、全部あいつらのせいなんだよ。勝手にしろって、一人暮らしの家賃や生活費も一切出してくれなかったし、そんなの普通ありえねぇだろ」
全てを両親のせいにしている大石は、反省しているとは言い難かったが、それでも大石がそう言う気持ちは、雫にもある程度分かってしまう。
「でも、実際に今回のことに及んだのは、大石さん本人なんですよ。そのことについてはどう思っていますか?」と訊いても、大石は良くて「それは悪かったと思ってるよ」と言うだけだろう。
しかし、それは口先だけで、本心からの言葉だとは雫には思えない。そう言うのは、もっと大石の反省が深まってからにするべきだろう。
「大石さん、確かにご両親の態度には少々問題があります。でも、大石さんの両親は、その二人しかいないんですよ」
「何だよ、知ったような口叩きやがって。それが嫌だっつってんだろ」
「大石さん、ご両親は未だにあなたの面会に来ていませんよね。そのことについては、どう思っていますか?」
「別に何とも思ってねぇよ。来てくれるって、期待もしてなかったし。むしろあいつらは今回のことで、余計に俺が嫌いになったんじゃねぇかな。もうすっぱりと縁を切りたいとさえ思ってそうだ」
「それは大石さんの本当の気持ちですか? 大丈夫ですよ。ここで話したことが外部に漏れることはありませんから。私が約束します」
いくら両親と折り合いが悪い大石であっても、この状況で面会に来ない二人に、何も思っていないなんてあり得ない。胸の中では、何か期するものがあるはずだ。
そう思って雫が尋ねると、大石は口元を結んでいた。その表情が何か言いたいのを堪えているように見えたから、それを和らげたくて、雫はもう少し質問を重ねてみる。
「大石さん、私には本当のことを言っていいんですよ。大石さんは両親が面会に来ないことに、寂しさや悲しさを感じていたりはしませんか?」
「はぁ? バッカじゃねぇの? そんなこと感じるかよ」
言葉は悪かったけれど、それでも大石が口を開いたことには変わりない。こちらを睨んでくるような目にも、雫はもう一歩だと感じた。
「では、どのように感じているんですか?」
「ああもうしつけぇな。そんなのムカつくに決まってんだろ」
「それは私に対してですか?」
「なんでそうなるんだよ。あいつらが会いに来ねぇことが、ムカつくんだよ。曲がりなりにも、息子が逮捕されたんだぞ。少しは心配に思うのが、普通の親ってもんだろ。それをあいつらは俺のことをずっと無視しやがって。本当ふざけんなよって思うよ」
ぶちまけられた言葉は、大石の本音に違いなかったから、雫も「打ち明けてくれてありがとうございます」と穏やかな表情で言うことができた。「ムカつく」という言葉の裏には、きっと両親が面会に来ない寂しさや悲しさも含まれていることだろう。
面接が終わったら、さっそく真綾を経由して大石の両親に働きかけなければと、雫は思う。それが大石が反省を深めるための、一番確実な道に思えた。
雫は腕時計をちらりと見る。もう面接開始から一時間が経とうとしているから、そろそろ頃合いだろう。
雫が今回の面接の終了を告げると、大石は一つため息を吐いていた。自分に向けられた目が「ここまで言わせやがって」という思いを帯びていて、雫は今回大石が話してくれたことを何としても鑑別に生かさなければと、決意を新たにしていた。