合間に一日休みを挟んだこともあり、雫の体感では時間はあっという間に流れ、大石への二回目の面接の日を迎えた。警察署から戻ってきても、そして昨日休んでいる間も、絶え間なく大石のことを考えていた雫にとっては、とうとうこの時が来たかという感触である。
大石への面接は昼食後の時間だったから、出勤してからずっと、雫は気持ちが逸るような思いがしていた。デスクワークなど他の仕事に当たっていても、心は少しも静まらなかった。
昼食休憩が終わって一三時になった瞬間に、雫は周囲に「面接行ってきます」と告げて席を立った。階段を上って、一つ先にある大石の居室のドアを開ける。
大石は退屈そうに、図書室の本をパラパラと捲っているところだった。もとより鑑別所に来ればすることは少なく、反省する時間だけがたっぷりとある。
「大石さん、面接を行いましょう」と雫が声をかけると、大石はやはり倦んだような目を雫に向けてきた。まだここにいることが不服だと言っているようで、雫はかすかに牽制される。
だけれど、担当技官として、大石のわがままはいつまでも聞いてはいられなかった。
おずおずと立ち上がった大石を連れて、雫たちは第一面接室に入る。腰を下ろした大石は、相変わらず椅子の背もたれによりかかっていて、この数日で何かが変わった様子を見せていない。
それでも、雫は穏やかな顔をして、大石に向けて口を開く。
「それでは、大石さん。ただ今から二回目の面接を開始します。よろしくお願いします」
雫が小さく頭を下げても、大石はやはりこれといった反応を示さなかった。ふんぞり返る姿は、この場でも健在だ。
でも、だからといって雫は目くじらを立てるようなことはしない。大石の態度は面接前にもある程度予想がついていて、今はまだその範疇にすぎなかった。
「では、大石さん。ここに来てからもう五日が経とうとしていますが、どうですか? ここでの生活には少し慣れてきましたか?」
雫がそう尋ねてみても、大石は不機嫌そうな表情をやめなかった。今はまだしていないが、それでも舌打ちする音が雫には聞こえるかのようだ。
「はぁ? 慣れるわけねぇだろ。朝も夜も早ぇし、何よりすることがなくてクソつまんねぇよ。刑務所そのものじゃねぇか。今はとっととここを出たい思いでいっぱいだよ」
大石の返答は、口調も内容も冷たかった。不満を隠そうともしていない。
ここは刑務所じゃないんだけどなと、雫は内心で苦笑しながら、それでも変わらない穏やかな表情を心がけた。
「そうですか。でも、ここは規則正しい生活を身につけることも目的の一つとしていますし、自分のしたことを反省する時間があることは、大石さんにとっても良いことだと思うのですが」
「んなわけねぇだろ。これじゃまるで飼い殺しじゃねぇかよ。なんでお前らにそこまでする権限があるんだよ」
「大石さん、これは法律で、少年法で定められたことなんですよ。せめてそれは守っていただきたいのですが」
雫が法律の話を持ち出すと、大石は返事に詰まっていた。ぐうの音も出なくなっているのかもしれない。
でも、表情にはまだ不服だという感情が見える。あまり面接をしやすい態度ではなかったが、それでも雫は質問をやめるわけにはいかない。
話題を切り替えようと、雫は先日行った心理検査の結果について大石に訊き始める。大石も一応質問には答えてくれるものの、言葉の節々からこんな面接はしたくないという思いが漏れ出ていて、雫には息が詰まるような思いがした。
早く面接を終わりにしたいとも、正直なところ思ったが、それもどうにか堪えて大石と向き合い続ける。
「では、大石さん。ここからは、大石さんのご家族についてお訊きしますね」
心理検査や交友関係などいくつかの話題を経てから雫がそう切り出すと、大石は明らかに表情をこわばらせた。迫力には欠けていても、その目は雫を睨みつけてきている。
やはり訊かれたくないことなのだと雫は実感したが、それでも一度口にしたことは取り消せない。鑑別のためには、少年のデリケートな部分に触れる覚悟も、時として必要なのだ。
「大石さんのご家庭は両親とお兄さんの四人家族。そして、今大石さんは親元を離れて一人暮らしをしている。これは間違いありませんね?」
大石はかすかに、どうして知っているんだとでも言うように目を丸くしていた。雫も大石の家庭のことは、警察署から戻ってきたその日に、担当の家裁調査官である真綾から改めて聞いている。
ふてぶてしくも小さく頷いている大石に、真綾から聞いた情報に確証が取れたように雫は感じた。
「大石さんの年で一人暮らしをするのは大変なことだと思いますが、一人暮らしを始めたきっかけは何かおありなんですか?」
「そんなもん、こっちから出ていってやったんだよ。あの家はクソだからな。ずっと出て行きたかったんだよ、俺は」
大石の口調は、まさに吐き捨てていた。声色に積み重なった恨みがこもっていて、雫は「クソとは、いったいどういうことでしょうか?」と訊き返す。
苦虫を嚙み潰したような表情をしている大石に、本心からそう思っていることが雫には伝わった。
「うるせぇな。クソはクソなんだよ」
家族のことを掘り下げようとしている雫に、大石は不快感を露わにしていた。もう訊いてくんなと、拒絶反応を示している。
それでも、雫はこの話題をやめるわけにはいかなかった。適切な鑑別のためには、粘る姿勢も時には必要だった。
「大石さん、進んで答えたくないことだとは思いますが、それでもここで答えてくれれば、適切な鑑別に一歩前進するんですよ。それは、大石さんのためにもなることなんです」
雫が食い下がるように言うと、大石はさらに表情を歪めた。音は出していなかったが、口元の動きから軽く舌打ちをしたことが、雫にも察せられる。
分かりやすくため息さえついていて、その態度はこの面接の場にふさわしいものではなかった。
「ウチの両親はクソなんだよ。いつも兄貴ばかりを優遇して、俺には冷たく当たりやがって。東京の大学にも行った兄貴だけを持て囃して、俺をいっつも差別してきたんだ。『兄貴に比べてお前は……』ってよ。だから、俺はそれが嫌で家を出てったんだよ。これでいいか?」
雫のしつこさに、腹を立てているらしい。大石は自棄を起こしたかのように、言い捨てていた。
態度はやはり望ましいものではなかったが、それでも雫には初めて大石の本音を引き出せた感触がある。形はどうにせよ、面接が少しでも先に進んだことには変わりなかった。
「はい、ありがとうございます。おかげで大石さんのご家庭のことを少し知ることができました。それともう少しお訊きしたいのですが、大石さんは一人暮らしをするにあたって、両親から家賃の補助や仕送りなど、なにか援助は受けていたのでしょうか?」
「そんなもんねぇよ。あいつらは、俺に一銭だって送ったことはねぇ。俺が家を出てくときも、『早く出てけ』って言わんばかりだったし、俺のことなんてどうでもいいと思ってんじゃねぇの。いや、それどころかもう縁を切りたいのかもな。だって、あいつらが大事なのは兄貴だけだから。俺はしょせん、兄貴のようにはなれない出来損ないなんだよ」
自嘲するように口にした大石に、雫は少し悲しい気持ちにさえなった。自分のことを出来損ないだと思ってしまうような家庭環境で育ってきた大石に、肩入れしそうになってしまう。
大石の目はかすかな悲しみを湛えていて、それは雫が大石に会ってから初めて見る感情だった。
「大石さん、そんなことはないと思いますよ。大石さんは出来損ないじゃありません」
「はぁ? お前に何が分かんだよ? まんまと利用されて詐欺に加担して、気づけばこんなとこにいる。こんなの頭の悪い出来損ない以外の何物でもねぇだろ」
「大石さん、そんなに自分のことを悪く思わないでください。どうして今回のことに及んでしまったのか。これから繰り返さないためにはどうしたらいいか。私たちと一緒に考えていきましょう。ここは、そのための場所でもあるんですから」
雫がそう言ってもなお、大石の表情には不満の色が滲み出ていた。口には出していないが「何言ってんだこいつ」と思っていることが、顔に現れ出ている。
大石の態度をどうやったら変えられるか。雫は面接を続けながら、思いを巡らせる。
だけれど、どんな質問にも嫌そうに返す姿を見ていると、果たして鑑別所を退所するまでにそれができるのか。確証を持って「できる」とは、雫にはまだ言えなかった。