目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第37話


 大石への初回面接は結局、予定時間を前倒しして終わっていた。満足のいくような答えを返さない大石を前に、雫が訊こうとしていたことが尽きてしまった形だ。

 そのまま大石は、雫が持ってきた心理検査を実施する。心理検査を配ったときも、大石の目は「こんなものやりたくない」と訴えかけてきていたが、それでも雫がいくらか声をかけると、渋々だがペンを手にしていた。

 面倒くさそうに心理検査に取り組んでいる大石を、雫は静かに見守る。大石が適当な答えを書かないことを、今は祈るしかなかった。

 幸いにして、大石は心理検査には比較的真面目に取り組んでいた。ざっと目を通しても、ちゃんと全ての項目に回答していて、助かったと雫は感じてしまう。これでいくらかは鑑別がしやすくなるだろう。

 大石を居室に戻し、昼食休憩を挟んで面接や心理検査の結果をまとめてから、雫は午後四時からの鑑別方針を話し合う会議に参加する。

 別所や取手、那須川が出席するなか、雫は午前中に行った面接の様子や心理検査の結果を報告した。面接での態度はあまり良くなかったことを率直に話し、他責思考があることや少しのことでも意地を張る傾向にあることを、三人に伝える。

 別所もやはり罪の意識が希薄なことを指摘していて、まずは大石には自分が犯罪行為をしたことを自覚させ、その上で反省を深めていくよう継続的な働きかけをするという大枠の方針が、四人の話し合いによって決まる。

 次の面接の日取りも三日後に決まって、雫は身が引き締まる思いがした。次こそはもっと実のある面接にしなければならないと感じた。

 翌日。出勤した雫は、少年との面接とデスクワークに取り組み、午後の三時になる前に職員室を後にしていた。カードキーをかざして職員通用口から外に出る。

 とはいっても、このまま帰るのではない。雫は建物の前に停められている公用車に乗り込んだ。この車を運転したことは今まで数えたことしかないが、目的地へは一〇分とかからず辿り着くから何とかなるだろう。

 そう思いながら雫は車を発車させ、鑑別所を出ると右に曲がった。目的地へはこのまままっすぐ進むだけでよく、地図やスマートフォンを見なくても、雫には迷いようがなかった。

 数分運転して、雫は目的地である長野中央警察署に到着した。駐車場に車を停め、正面玄関から建物の中に入る。受付で自分の名前と所属を名乗り、「生活安全課第二課の担当の方をお願いします」と伝える。

 昨日の面接で大石について分かったことは少なかった。だから、鑑別のために少しでも情報がほしい。そのためには、大石の事情聴取を担当した者に当たることが、ひとまずは得策だろう。そう考えての行動だった。

 受付の前の椅子に座りしばし待っていると、やがて一人の男性が雫のもとにやってきた。その姿を見て、雫はわずかに驚いてしまう。

 もっと年上の警官を想像していたのだが、やってきたのは雫とほとんど年齢が変わらないように見える男性だった。袖がまくられたワイシャツから、日に焼けていない白い肌が覗いている。

 立ち上がった雫にも、男性は飄々とした表情をしていた。

「こんにちは。長野中央警察署生活安全課第二課の、上辻といいます」

「はい。長野少年鑑別所から来ました山谷です」

 やや緊張した様子を見せている雫にも、上辻は落ち着いた表情を崩してはいない。一つ頷くその姿は、余裕のようなものさえ雫に感じさせた。

「お話は伺っていますよ。今日は、先日家裁に送致された大石友樹さんの件でいらしたんですよね」

「はい。大石さんの事情聴取を担当した上辻さんから、ぜひお話をお伺いしたいと思いまして」

「分かりました。では、会議室の方へと行きましょう」

 そう言った上辻に、雫もついていく。めったに入る機会がない警察署の構内に流れる厳かな雰囲気に、雫は背筋が伸びるような、胃が縮むような思いがする。

 廊下を少し歩いて、雫は会議室四と書かれた部屋に通される。刑事ドラマでよく見るような捜査員が一堂に会せる広い会議室ではなく、一〇人が入ればもう満杯となってしまうような手狭な会議室だ。ブラインドからかすかに西日が差し込んでいる。

 雫は入り口に一番近い席に腰を下ろし、その角の席に上辻も座った。

 席に着いてまず雫は、上辻から事情聴取の記録を渡される。一度目を通してみると、そこには調書にも載っていない内容が手書きで記載されていて、貴重な記録に雫は目を瞠った。

「いかがですか? 山谷さん。先日行われた事情聴取について、何かお訊きしたいことはありますか?」

 事情聴取の記録は、当然持ち出し禁止だ。だから、雫が要点をかいつまんで自分のノートに書き写していると、上辻が尋ねてくる。

 雫もいったんペンを動かす手を止めて、顔を上げた。

「あの、事情聴取の際の大石さんの態度や様子は、どんな感じでしたか? 調書には大石さんが供述した内容しか記載されていなかったもので」

「そうですね。こちらが訊いたことにはわりと素直に答えていたんですけど、態度はあまりいいとは言えませんでしたね。捕まったことに対する不満が垣間見えて。犯行について話すときも、どこか投げやりといいますか。もうどうなってもいいと言っているようでした」

「そうですか。私が昨日面接を行ったときも、少しぶっきらぼうな態度を取っていましたけれど、それは事情聴取のときも同じだったんですね」

「はい。曲がりなりにも事情聴取になると委縮してしまう少年が多いのですが、大石さんはどこかふてくされたような態度を取っていて。背もたれにもよりかかって、訊かれたことに答えればいいんだろと、言わんばかりでした」

「そうだったんですね」と相槌を打ちながら、雫はまた閉口しそうになってしまう。やはり大石はまだ心から反省していないようだ。事情聴取でも杜撰な態度をとっていたのだから、なかなかのものだろう。

 雫にはまだ、突破口は見当たらない。

「あの、動機については何か言っていましたか? 調書には『お金のためにやった』と書かれていますけど、それ以外には何か言っていませんでしたか?」

「いえ、それは僕も突っ込んで訊こうとしたのですが、いくら訊いても『お金のためだ』の一点張りで。もしかしたら本当にそうなのかもしれないですけど、でもそれ以上のことは、最後まで話してくれませんでした」

「そうですか……」と答えながら、雫は少し落胆してしまう。

 正確な動機が聞けたらそれを調書に記載していたはずだから、望みが薄いのは分かっていた。それでも、もしかしたら調書以上のことが聞けるかもしれないとわざわざやってきたのに、それも叶わなかった。

 しかし、このまま何の成果も得られないまま戻るのも、雫は嫌だった。だから、「何か他に事情聴取をしていて気になったことはありませんでしたか?」と、粘ってみる。

 上辻は顎に手を当てて、少し考え込む素振りを見せてから、「そういえば」と口を開いた。

「事情聴取のときに、『今回のことで両親も悲しんでいるだろう。そのことについてはどう思うか』といったようなことを訊いたんです。でも、大石さんは『あんな奴ら関係ない。あいつらは俺が何をしようと何も思わないんだ』と答えていたんです。その返事が気になって、少し両親のことについて訊いてみたんですが、それ以上は答えてくれなくて。もしかしたら、両親との折り合いがあまりよくないのかもしれないです。確証は持てなかったから、調書には書きませんでしたけど」

 上辻は少し小首を傾げながら口にしていたけれど、雫はそこに鑑別を進めるヒントを見出していた。

 大石は昨日の面接時にも家族のことは、単なる事実の確認以上は話したがらなかった。もしかしたら、そこに大石が今回の事案に及んだ手がかりがあるのかもしれない。

「そうだったんですね」と相槌を打ちながら、雫は警察署まで来た甲斐があったと思った。

「情報ありがとうございます。私もこれからの面接で、大石さんの家庭環境については、引き続き訊いてみたいと思います」

「そうですか。でも、僕が言えることはこれくらいしかないんですけど、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。むしろ大きなヒントをもらえた気がします」

「ならよかったです。あの、大石さんの鑑別よろしくお願いします。家裁に送致した後は、僕たち警察は何も関わることができないので」

「はい。必ず大石さんのためになるような鑑別をします」

 そう雫が言うと、上辻は小さく息を吐いていた。それを雫は、安堵のため息だと解釈する。

 帰ったらさっそく次の面接に向けて、方針を考えなければ。そう雫は、ブラインド越しでも西日が強くなってきた会議室の中で感じていた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?