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第33話


 田丸たまるは、息を吐き出した。白い煙が、暗くなり始めた空に溶けていく。

 辺りを見回しても、あるのはトイレと自動販売機と喫煙所くらい。目の前の広い駐車場にさえ、田丸たちの軽自動車以外の車は停まっていない。後方にそびえ立つ名も知らない山々から、吹きおろすかのような熱風が吹く。

 八月が終わりに差しかかっていても、暑さは少しも和らいでいなかった。

牟呂むろさん、まだ出てこないんですかね」

 同じ喫煙所にいる胡内こうちに、何の気なしに田丸は話しかけてみる。少し窪んだ目をした胡内は、それでもあっけらかんと答えた。

「さあ、まだもうちょっとかかるんじゃねぇの? さっき訊いたら、『まだ腹痛い』って言ってたし。まあそれまで待機だな」

「待機って言っても、こんな田舎のパーキングエリアじゃ、することないっすよね。こうやって、胡内さんと煙草吸って話すくらいしか」

「そうだな。まあ、もうちょっとの辛抱だろ。牟呂さんも『楽になったらすぐ出発する』って言ってたし」

「そうっすか。だるいっすね」

 二人は再び煙草を口につけた。目の前の高速道路にも、平日だからか車はさほど走っていない。

 簡素なパーキングエリアには暇つぶしになるようなものもなくて、二人はまったく手持ち無沙汰だった。

「そういえば、田丸聞いたか? 昨日、長野で一番の一人がパクられたって」

 一番と言えば、ターゲットからキャッシュカードや現金を受け取る、通称「受け子」を指す。そのうちの一人が警察に捕まったことは、少なくとも楽観視できるような状況ではない。

 初耳だった田丸にはなおさらだ。

「えっ、マジっすか」

「ああ、マジだよ。何でも不審に思った相手があらかじめサツに電話して、張らせてたらしい。ま、そいつにとっては運が悪かったよな」

「いや、大丈夫なんですか? もしそいつが何か言ったら、俺たちまで危ないじゃないですか」

「まあ、そんな心配すんなよ。ここ青森だぞ? そんな昨日の今日で捕まるわけねぇだろ」

「言われてみれば、そうっすね。ちょっとネガりすぎてました」

「まあ念には念を入れて、一応また移動しといた方がいいかもな。警察に電波拾われないように。牟呂さんが戻ってきたらすぐ行こう」

「はい」

 吐き出された煙が、夜になり始めた空に消えていく。

 そんなときだった。駐車場に一台の車が入ってきたのは。白色のその車は、一見しただけでは家族連れのそれには田丸には見えず、一人客だろうかと思う。だけれど、車から出てきた二人に田丸は目を瞬かせた。

 水色の制服に紺のベストは、間違いなく警察官のものだった。

 警察官は脇目も振らずに、二人に近づいてくる。その姿に、田丸は冷静ではいられなかった。

「ど、どうしましょう。胡内さん。サツっすよ」

「慌てんなよ。俺、今から牟呂さん呼んでくるから。それまでどうにかごまかしとけ」

「そんな。ごまかしとけって言われても……」

 うろたえる田丸をよそに、胡内は踵を返してトイレに向かっていった。一人残された田丸は、煙草を吸い殻入れに押しつけて、必死に頭を回す。

 何も言われていないのに逃げたら、自分はクロですと言っているようなものだ。

 どうするどうすると考えている間にも、二人は着実に近づいてくる。田丸の心臓はバクバクと鳴っていて、落ち着くことはできなかった。



 東日本を拠点とする特殊詐欺グループを一斉検挙。雫がそのニュースを知ったのは、八月もあと数日で終わろうかという朝のことだった。スマートフォンで見たニュースサイトに、その記事があったのだ。

 大変なことだけれど、喜ばしいことには違いない。雫は、そのニュースを見た大勢の人々と同じような感想を抱く。被害総額は数千万円に上るそうで、これで全ての特殊詐欺がなくなったわけではないものの、ひとまずはよかった。そんな人並み以上の印象は抱かなかった。

「山谷、知ってるか? 昨日、特殊詐欺グループが検挙された話」

 出勤して自分の机に腰を下ろすと、不意に湯原が尋ねてきた。湯原がこういった世間話を持ちかけることは珍しく、それなりのインパクトがあったのだろう。

 雫も、深くは考えずに返事をする。

「はい。ニュースサイトで知りました。怖い話ですよね」

「そうだな。何でもそのグループは、この長野市でも犯行に及んでいたらしいぞ」

「そうなんですか。ますます恐ろしいです」

「ああ。俺、こういう奴ら許せねぇんだよな。その人が汗水たらして働いて貯めた金を狙うなんて。本当卑怯な奴らだよ」

「でもよかったじゃないですか。ひとまずは検挙されて」

「まあ、それはそうだけど、でも検挙されたからって被害者に金が返ってくるわけじゃねぇだろ? 本当腹立たしい話だよ」

「どうしたんですか? お二人とも。何について話してるんですか?」

 気づけば那須川が自分たちのもとに近づいてきていて、雫は少しびっくりしてしまう。さすがの湯原も、バツが悪そうだ。

「いえ、あの、すいません。仕事前なのに、しなくてもいい雑談をしてしまって」

「別にいいですよ。業務外でも職員同士のコミュニケーションは必要ですから。それに少し聞いた限りでは、昨日検挙された特殊詐欺グループについての話ですよね?」

「は、はい。まあ、そうですけど」

「でしたら、ちょうどよかったです」

 那須川の言葉の意味が分からなくて、雫たちは二人して目を瞬かせてしまう。それでも、那須川は飄々とした様子で続けた。

「いやですね、その特殊詐欺グループに所属していた少年が、この長野市で検挙されたんです。今朝方、家裁にも送致されたので、今日中にはこちらにやってくることになりそうなんです」

「そうなんですね」

「はい。で、その少年、大石友樹おおいしともきさんというのですが、今回は山谷さんに技官を担当していただきたいと思っています」

 流れるように那須川が言っても、雫はもう「私がですか?」とは以前ほどには思わなくなっていた。宮辺の件で、最初から最後まで法務技官を担当している。

 人数が少ないとはいえ、もう一人でも十分に対応できると思われていることは、雫には少し嬉しくもあった。

「はい。了解しました」

「ありがとうございます。では、後で大石さんの調査票を渡しますので、目を通しておいてください」

 雫が再び頷くと、用件はもう終わったというように、那須川は雫たちから離れていった。湯原も会話の終わりを察したのか、自分の仕事を始めている。

 雫も心の中で頷いて、パソコンの電源を入れた。今日の予定を確認する。

 大石がやってくるまで、雫は書類の作成などのデスクワークに当たらなければならなかった。


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