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第29話


「いえ、あれは明らかに私の落ち度です。宮辺さんの家庭が経済的に困っていることを、今回のことに安易に結びつけてしまった。決めつけてしまった。あの結論ありきの訊き方は、宮辺さんが不快に感じても仕方なかったと思います。本当に申し訳ありませんでした」

 正当な理由がなければ、自分たちは対象者である少年に謝ってはいけない。湯原はそう言っていたが、それでも雫は謝らずにはいられなかった。失礼な訊き方をして宮辺の気分を害してしまったことは、正当な理由に当たると感じていた。

 もう一度頭を下げた雫に、宮辺の困惑は止まない。「いや、山谷さんが謝る必要はないと思いますけど……」という声は、事態をうまく把握できていない人間のそれだった。

「いえ、謝らせてください。私はそれだけのことを宮辺さんにしてしまったと思っていますから。でも、宮辺さんも分かっていると思いますけど、これは適切な鑑別を行うためには、どうしても訊かなければならないことなんです。少年の非行について、家庭環境の影響は避けては通れないものなんです。だから、宮辺さん。どうか正直に答えてはくれないでしょうか。宮辺さんのこれから先のためにも」

 ここにやってきた少年相手に、下手に出るのはあまり良いことではない。自分たちは、相手から話を訊き出す立場にある。

 それは雫にも分かっていたが、それでも自然と口が動いていた。宮辺から話を訊き出すために、打てる手は打ちたかった。

 雫の思いが伝わったのだろうか。宮辺は少し間を置いたのちに「分かりました」と答えていた。

「すいません」を差し置いてその言葉が出てきたことに、雫はかすかに安堵する思いさえする。これで面接も少しでも進めやすくなるはずだ。

「ありがとうございます。では、改めて宮辺さんの家庭のことについてお訊きします。もしかしたら答えにくいこともあるかもしれませんが、よろしいですか?」

 宮辺が小さく頷く。宮辺がなるべく答えやすいように、雫は丁寧に言葉を選んだ。

「宮辺さん、今回の鑑別のために、私たちはお母さんである早織さんから、収入のことについてお訊きしました。早織さんの去年の世帯年収は一一五万円ほどで、これは国が定義する貧困ラインを下回っています。つまり宮辺さんの家庭は相対的な貧困状態にある。このことは宮辺さんはご存知ですか?」

「はい。家に経済的な余裕がないのは、実感として分かっていました。私の家は服もあまり持ってないですし、晩ご飯も一〇〇円かそこらのカップラーメンという日が多いですから」

「そうですか。もちろん、宮辺さんの家庭の状況が今回のことに直結しているとは、私は言いません。そう決めつけることは宮辺さんに対して、とても失礼なことですから。それでも、私たちは宮辺さんの家庭環境が今回の事案に何らかの影響を及ぼしているかもしれないことは、考慮しなければならないんです。たいへん心苦しいことなのですが」

「そりゃそうですよね。今回こんなことを起こしたからには、私の決して裕福とは言えない家庭環境に、まず目が向きますもんね」

「いえ、ですからそうだと決めつけているわけでは……」

「いいですよ、山谷さん。そんなに気を遣わなくても。家が裕福ではないことは、私に確かな影響を与えていましたから」

「宮辺さん……」

「確かに、私の家は山谷さんが言うように貧乏です。私はお小遣いもほとんどもらっていません。でも、それはお母さんが必死で働いて、どうにか家計を成り立たせようとしているからで、私はそれを受け入れないといけないと思っていました」

 溢れ出し始めた宮辺の言葉に、雫はじっと耳を傾ける。下手な言葉は逆効果になると思った。

「でも、悔しいんです。放課後にマックとかカラオケとかに行っているクラスメイトを見てると、どうして私にはそれができないんだろうって、やりきれなくなるんです。休みの日に映画や買い物に誘われても、私はお金がないから行くことができない。この世の中、何をするにもお金が必要で、それを持っていない私は、まるで最初から爪弾きにされているみたいな。この辛さが山谷さんには分かりますか? 断り続けて、友達はもう遊びに誘ってくれなくなってしまった。これがどれだけしんどいことか、山谷さんには分かりますか?」

 宮辺の口調は、溜まっていた思いを吐き出しているかのようだった。実感がこもった言葉に、雫は安易に「分かるよ」と同調できない。

 自分はすごく裕福だったとは言えないけれど、お金に困ったことはなかったし、親は大学にまで行かせてくれた。しかし、目の前の宮辺は日々の暮らしを送るのさえ苦労していて、大学に行くことは現状では夢のまた夢だろう。

 自分たちは違う。そんななかで「分かるよ」と言っても、それが口先だけにすぎないことは雫も重々承知していた。

「……本当に正直に言うと、宮辺さんの苦労は私には分からないです。だって、私は子供を大学に行かせることができるような家庭で育ったので。もちろん、宮辺さんのことは分かりたいなと思います。でも、ここで『分かるよ。辛かったんだね』と言っても、それは口だけの上から目線にすぎないので。宮辺さんだって、そういうことは言われたくないですよね?」

 宮辺は再び小さく頷く。ここで宮辺のことを「可哀想だ」なんて、雫には口が裂けても言えなかった。きっとそれは宮辺が一番言われたくない言葉だろう。

「宮辺さん、打ち明けてくれてありがとうございます。言葉にするのは嫌だったでしょうに、それでも私に胸の内を伝えてくれてありがとうございます。また正直に言うと、私には宮辺さんの全てを変えるような力はありません。でも、審判をする家庭裁判所に意見を送ることで、間接的に宮辺さんを一部分だけでも支えることはできます。今回、宮辺さんが言ってくれたことは、決して無駄にしません。大いに鑑別の参考にさせていただきたいと思います」

「はい、お願いします。どんな処遇になっても私は受け入れます。私は今回それくらいのことをしたわけですから」

「分かりました。宮辺さんの将来にとって一番いい処遇を家庭裁判所にしてもらえるように、私からも助言をしたいと思います」

 雫がそう言っても、宮辺の表情がふっと緩むことはなかった。相変わらず緊張した面持ちを浮かべ続けている。

 それでも、雫は自分に打ち明けてくれた宮辺の勇気を無駄にしたくないと、改めて感じていた。

 宮辺は自分に自らの身を託すような思いで言ったのだ。その心意気には応えなければならない。

 それからも雫たちは、面接を続ける。少しずつ心を開いてくれつつあるのか、宮辺は雫の質問にもより多くの答えを返してくれていて、その言葉を聞くたびに雫の気は強く引き締められた。


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