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第28話


「山谷さん、もしかして宮辺さんたちの生活をどうにかしたいと思ってますか?」

 そう訊かれて、雫はとっさに首を横に振っていた。でも、それは感じている本音に背を向けることでもあった。

「別に気に病む必要はないですよ。僕だってそうしたい気持ちは同じように持ってますから」と平賀にフォローされても、雫はまだ自分の中の本音を、完全に認めることはできない。自分にそこまでの力がないのは、誰に言われなくても分かっているのに。

「だけれど、それでも僕たちには、宮辺さんたちの生活を劇的に変えることはできないんです。僕たちがしている鑑別は既に非行に及んだ少年を対象とした、いわば対症療法にすぎないですから。もちろん、僕たちの仕事はそれだけではないですけど、でも多くの場合、僕たちは非行が発生してからしか、その少年に関わることはできないんです」

 平賀の言葉は、雫が感じている思いの裏づけになった。鑑別所は地域から、問題を抱えている少年に関する相談の窓口にもなっているが、それでも非行を未然に防ぐことは、口で言うほど簡単なことではない。

「難しいですよね。本当は宮辺さんが今回のようなことに及ぶ前に、手を差し伸べられればよかったんですけど、でも僕たちにはそれができない。家庭環境を良くすることにも、寄与できない。それは国や地域の福祉の領分ですから。いくらそうしたくても、僕たちに手伝えることはひどく限られているんです」

「……そうですね。おっしゃる通りです」

「はい。でも、だからといって何もしなくていいわけではありません。僕たちにできることは、そのひどく限られていることを精いっぱいやることしかないんです。どんな結論が本当に宮辺さん本人の、そして宮辺さんたちのためになるか。それを宮辺さんとの面接や行動観察を通して、できうる限り探っていくしかないんです」

 切実な平賀の口調に、雫は改めて目が覚めるようだった。

 自分たちは万能じゃない。宮辺たちが抱えている問題を、全て解決することはできない。

 だったらせめて平賀の言う通り、自分にやれることを最大限やるべきだろう。いつまでもこうして困っているわけにはいかないのだ。

「そうですね。平賀さんのおっしゃる通りだと思います。私たちにできることは、宮辺さんたちの状況が少しでも改善に向かっていくような鑑別をすること。それしかないですよね」

「ええ。お互いに精いっぱい頭を使って、頑張っていきましょう。では、僕はそろそろ別の少年の行動観察があるので、この辺で失礼させてもらっていいですか?」

「はい。アドバイスをしてくださりありがとうございました」

 大したことは言っていないですよ。そう言うかのように平賀は一つ微笑んで、雫のもとから離れていった。

 雫も腰を下ろし、自分の仕事に戻る。宮辺と早織の面会の様子を、改めてデータにまとめる。その間も雫の目は、食い入るようにパソコンを見つめていた。



 雫が居室に赴いたとき、宮辺はまだ怯えと警戒が合わさったような目を、雫に向けていた。まだ自分に心を開いていないようだったけれど、まだ鑑別所にやってきて二週間ほどしか経っていないから、しょうがないなとも雫は思う。

 まだ審判までは多少時間は残されており、今日はそのなかで三回目の鑑別面接が実施される日だった。

 第一面接室に入って、二人は向かい合って座る。宮辺は申し訳なさそうに身体を縮こまらせ、視線をテーブルの縁へと下げていて、それは雫が感じている緊張をより増幅させた。

 それでも、面接を切り出すには雫からしかありえない。雫はしゃきっとするように自分に言い聞かせて、努めて穏やかな声色で口を開いた。

「宮辺さん、どうですか? ここでの生活は。前回の面接から、また少し時間が経ちましたけど」

 そう尋ねることで雫は少しでも宮辺の気分を、面接室の空気を解すことを試みた。だけれど、宮辺の表情はどこか強張ったままだった。

「そうですね……。少しずつ慣れてきたように思います。寝るのも起きるのも早いんですけど、それもちょっとは平気になってきました」

「そうですか。日々色んな人が話に来たり、さまざまな課題が課されたり、大変ではないですか?」

「それも、はい。今のところは何とかやれています」

「それはよかったです。以前にも言いましたけれど、宮辺さんが行っていることは、全て宮辺さんに適切な処遇を出すために必要なものですから。これからも一つ一つ取り組んでいってください」

「はい」と返事をしながら、その奥に漂うわずかな不満の気配を、雫は敏感に察しとる。そんなことはしたくない。早くここから出してくれとの思いを、宮辺は心の底に秘めているようだ。

 逆の立場だったらと思うと、宮辺がそう思うことは雫にも理解できる。

 それでも来週に迫った審判の期限を早めることは、雫にはできない。結局できることは、今まで通り宮辺に限られた時間のなかで向き合うことしかなかった。

「では、宮辺さん。話を始めさせていただきますね。まず前の面接の後に宮辺さんが行った、心理検査の結果についてなのですが……」

 雫は机の上に置いたファイルの中から心理検査の結果を取り出し、宮辺とともに振り返った。バウムテストやSCTといった検査の内容を、二人で一つ一つ確認していく。

 宮辺も雫の質問に、おずおずとながらも答えてくれる。口にされる自己評価は、心理検査で出た結果と大きなずれはなかった。宮辺がちゃんと自分の性格を把握していることは、雫にとってもいくらか説明がしやすい。

 でも、そんななかでも宮辺は時折「すいません」という言葉を挟んでいて、聞くたびに雫は少しずつ気が滅入ってしまいそうになる。もはや口癖と言っても差し支えないほど重なる「すいません」に、雫は宮辺がこういった性格になってしまった原因を思う。子供でも大人でも「すいません」が口癖になる環境は、健全だとは言えないはずだ。

「宮辺さん。これからより宮辺さんのことについて訊いていきたいんですが、その前に一ついいですか?」

 心理検査の検証も終わって雫が切り出すと、宮辺は少し不思議そうな表情をしていた。小さく頷きながらも、顔が「何でしょうか?」と言っている。

 雫は、思い切って口を開いた。

「前回の面接で、不適切な訊き方をしてしまってすみませんでした」

 雫は頭を下げる。誰の目にも分かるぐらいはっきりと。

 雫の言動を目の当たりにして、宮辺は戸惑った様子を見せていた。「い、いや、なんで山谷さんが謝ってるんですか?」と訊き返す声は、少し慌ててさえいた。


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