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第24話


 二人は駅前のスクランブル交差点を渡って、路線バスのバス停へと向かった。ちょうど長野市内を周遊するバスが出発するところで、雫たちもタイミングよく乗りこめる。

 バスは冷房が効いていて涼しく、観光客と地元住民で満席だった。バスに乗っている間、橘田は外の景色を見たり雫と話したりして、一度もスマートフォンを取り出さなかった。

 その晴れやかな表情に、本当に長野に来ることを、雫に会うことを楽しみにしていたことが伝わる。

 だから、雫も和やかな表情を心がけた。今だけは仕事のことを考えなくてもいいような気がした。

 一〇分ほど乗車して、バスは善光寺近辺のバス停に辿り着く。やはり観光客が多かったのか、同じバス停で乗客のほとんどが降車していた。

 雫たちも人の流れに乗るようにして、バスを降りる。そして、高く上がった太陽がじりじりと照りつけるなかを、善光寺に向かって歩き出した。

 参道には飲食店やお土産屋、さらには宿坊などが軒を連ねている。一度善光寺を訪れたことがある雫でさえ、あちこちに目移りしてしまうほどだ。

 世間では夏休みシーズンだからか観光客の数も多く、人でごった返すとまではいかないものの、それでもなかなかの賑わいを見せている。

 橘田も盛況を呈している参道の雰囲気に当てられているのだろう。見るからにテンションが上がっていて、暑さを気にしていないのだろうかと、雫には思えるほどだ。

「雫さん、長野っておやきが有名なんですよね! 私、食べてみたいです!」と言っていて、雫も頷いて二人は参道に出店している店の軒先で、おやきを買った。

 野沢菜が入ったおやきを、橘田は「美味しいです!」と頬張っている。その嘘のない表情に、雫の心はよりほだされた。

 正午を回る前でもあまりにも暑かったので、雫の方から提案して、二人は同じく軒先で買ったソフトクリームを食べながら、善光寺本堂への道をゆったりと歩く。

 そして、山門をくぐると見えた善光寺本堂にm橘田は思わずスマートフォンを取り出していた。長野のシンボルである堂々たる佇まいには、二回目の雫でも感じるものがあったから、初めて来た橘田ならなおさらだったのだろう。本堂の写真を撮った後に「雫さん、一緒に撮りましょうよ」と言ってくる。

 雫も当然頷いて、二人は身体を寄せ合って、橘田のスマートフォンに映った。インカメラに写った自分たちは姉妹みたいで、背丈や雰囲気からどちらかというと自分の方が妹だなと、雫は感じていた。

 善光寺本堂の中は溢れかえるほどの人がいて、雫たちは実際に参拝するまで、少し待たなければならなかった。

 それでも人の波に押されるようにして、雫たちは本尊を正面に臨める賽銭箱の前にまで辿り着く。

 日々の支払いを全て電子決済で済ませているらしい橘田は、本当に現金を持ってきていなくて、雫は一〇円玉を分け与える。そして、二人して賽銭箱に小銭を入れると、手を合わせて本尊に祈った。

 仕事がうまくいきますように。雫としてはそれが目下の目標であり、達成すべきことだ。

 でも、後ろに人も待っているから、あまり長い時間祈ってはいられない。だから、参拝も早めに切り上げて、橘田とともに本堂から出る。

「このはちゃんは何を願ったの?」「ひとまず仕事がうまくいきますようにです」「そっか、私と同じだ」橘田とそんな会話を交わしていると、雫には仕事で疲弊した心が癒やされていくようだった。

「よかったじゃん、このはちゃん。おみくじ、大吉引けて。嬉しかったんじゃない?」

 二階席に上って、アイスコーヒーを飲んで一息ついたタイミングで、雫は口を開いた。善光寺の参道に居を構えるこのコーヒーチェーンは冷房も効いているし、ゆったりとした音楽が流れていて、一休みするにはちょうどいい雰囲気だ。

 それでも、橘田は必要がないのに、少し申し訳なさそうな表情をしていた。

「いえ、私はよかったんですけど、でも雫さん、凶を引いてしまってたじゃないですか」

「それならもう大丈夫だよ。ちゃんと括りつけてきたし。それに凶だってことは、これからは良くなっていく一方だってことだから。全然気にしてないよ」

「そうですか。それならよかったです」

 そう言う橘田に、雫も頷いた。本当は凶を引いてしまったときは、内心穏やかではなかったものの、それでも橘田の前では、前向きに振る舞いたいと感じていた。

「ところで、どうですかね。そろそろ電話かかってきますかね?」

「さあ、どうだろ。まだなんじゃない? だって二〇組ぐらい待ってたじゃん。まだもう少しかかると思うよ」

「確かにそれはそうですね」

「このはちゃん、どうしてもお腹空いたんなら、ここでなんか食べる? レジの横にドーナツとかあったよね?」

「いえ、遠慮しときます。どうせなら空腹の状態でお蕎麦、食べたいので」

「なるほど、そっか」雫は頷きながら電話がかかってくる瞬間を、まだだとは分かっていても今か今かと待つ。

 二人は少し前に、参道に店を構える蕎麦屋に入っていた。橘田が長野名物の蕎麦を食べたいと言ったためだ。

 でも、昼時を迎えた店内はやはり混んでいて、すぐに座れるような状況ではとてもなかった。案内表に名前と雫の携帯電話の番号を書いて、二人は今に至っている。

「そういえば、このはちゃん。改めて仕事の方はどう? 問題ない?」

「はい。一年経って仕事にも大分慣れてきましたし、先輩もみんな優しくて。安定して働けています。それもこれも、雫さんのおかげです」

「そんな大げさな。確かに私もちょっとは仕事探しを手伝ったけど、でも最終的に決めて面接に受かったのは、このはちゃん自身の力だから。私は大したことしてないよ」

「いえいえ、今の職場を勧めてくれたのは、雫さんじゃないですか。自信がなくて迷ってた私の背中も押してくれて。いくら感謝してもしきれないくらいですよ」

 いくら口では謙遜していても、そう言われると雫は悪い気はしない。一人の人間の人生を良い方向へと進めることができたことは、人によっては大いに誇っているだろう。

「そういえば、雫さん。私、最近簿記の勉強始めたんですよ」

「えっ、そうなの!? 凄いじゃん!」

「まあ、今の仕事だとどうしても必要になってきますからね。でも、まだ三級の勉強を始めたばかりで、全然大したことないです」

「いやいや、それでも凄いよ。私はそういうのにはとんと疎いから。尊敬する」

「それを言ったら、凄いのは雫さんの方じゃないですか。今の仕事に就くために、法律とか心理学とか色々勉強したんですよね。なかなかできることじゃないですよ」

「いやいや、確かに勉強はしたけれど、それでも私は運がよかっただけだから。今は仕事をするなかで、自分の力の無さを毎日思い知らされてるよ」

「そうですか。でも、あまり抱え込みすぎないでくださいね。守秘義務があると思うので難しいかもしれないですけど、でも困ったときは人に相談していいんですから。私とか」

 優しい目をしながら橘田はそう言っていて、雫は心を動かされる。胸に芽生えた感慨は、そのまま言葉となって口をついて出た。

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