「宮辺さん、ごまかさなくてもいいんですよ。先ほども言ったように、ここで宮辺さんが言ったことは決して外部には漏れません。認めてしまったらお母さんに悪いかもしれないということも、今は考えなくていいです。私は宮辺さんのありのままの事情が知りたい。それだけなんです」
「どうして……」
「はい?」
「どうして、そう決めつけるんですか? 私もお母さんもお互いのことが大好きで、私たちはお互いに絶対になくてはならない存在なんです。どうして山谷さんは、そのことが分からないんですか?」
宮辺はどうにか自分を抑えようとしていたが、その口調には雫に対する苛立ちが、明確に込められていた。家庭のことを言われて、甚だ心外なのだろう。
だけれど、その強い拒否感に雫はますます家庭との関連性を察してしまう。だから、「いえ、それは分かっているつもりです。でも、宮辺さんの家庭は必ずしも余裕があるわけではないのではないですか?」と返事をする。
でも、それが逆効果になったことを、雫は宮辺の吊り上げられた眉根に悟った。
「何ですか、それ。もしかして、私の家が母子家庭だから、そういうことを言ってるんですか? 母子家庭の子だから、人の財布からお金を盗んだなんて、そんなのとんでもない偏見じゃないですか」
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ、どういうわけですか? もしかしてお金ですか? 確かに私の家は裕福だとは言えませんけど、それでもお金に困ってる家の子だから、今回のことをしたって言うんですか? 山谷さん、自分が何を言ってるか、分かってます? 貧しい家庭の子、全てに失礼なことを山谷さんは言ってるんですよ?」
打って変わって口数が多くなった宮辺は、本当に怒っているようだった。人が変わったかのように責め立てられて、雫は非行との関連性うんぬんよりも家庭について、ただ単純に訊かれたくなかったのだと思い至る。デリケートな部分に、ずかずかと土足で踏み込もうとした自分が間違っていたと認めざるを得ない。
人には誰にだって訊かれたくないことの一つや二つあるのに。
「すいませんでした。宮辺さんが訊いてほしくないだろうことを訊いてしまって。もっと配慮をするべきでした」
謝ることが最善だとは思えなかったが、それでも雫は謝る以外の行動を思いつかなかった。小さく頭を下げる。
宮辺は何も言わなかったけれど、目から「その通りです」と思っているのが察せられて、雫はますます縮こまりたくなった。
それでもへこたれてはいられないので、気を取り直すように「では、質問を変えますね」と口にする。
その後の雫の質問にも、宮辺は答えはしてくれたものの、まだ腹の虫がおさまっていない様子は雫にも察せられた。ひどく気まずくなってしまった面接室の空気を、雫は自分が悪手を打った報いだとして受け取る。
そして、雫は遠慮して結局、宮辺が非行に及んだ原因を訊き出すことはできなかった。
「それでお前、その子にすいませんって、謝っちまったのかよ」
宮辺への二回目の鑑別面接が終わってから、雫がその結果を平賀に報告していると、自分の机に座ったまま、横から湯原が口を挟んできた。口を尖らせている湯原を無視することは、雫にはできるはずもない。
「は、はい。でも、宮辺さんは明らかに気分を害している様子だったので。謝るのが一番だと思ったんです」
「あのなお前、鑑別面接は友達との会話やカウンセリングじゃねえんだぞ。相手にとっては訊いてほしくないことでも、鑑別のためには訊いていかねぇと。遠慮して不十分な通知書を家裁に提出することになっても、お前はいいのかよ」
「いや、それはよくないですけど、でも相手の気分を害したら、訊き出せるものも訊きだせなくなってしまうじゃないですか」
「だから、謝ったのか? そうやってへこへこ遜ったのか?」
「それは……」雫には、その言葉の先を続けられない。湯原の言ったことに、間違いは一つもなかった。
「あのな、確かに時には謝った方がいいこともあるよ。明らかに失礼だったり、不愉快なことを訊いたときにはな。でも、話を聞く限りじゃ、お前は鑑別のために必要なことを訊いたんだろ。だったら謝る必要なんて少しもねぇよ」
「でも、だったら私はどうすればよかったんでしょうか?」
「そんなの、俺が知るかよ。その場にいたわけでもねぇんだからよ。きっとお前の訊き方がまずかったんじゃねぇの? まあ、これも要勉強だな」
安易に解決策を提示することはしない。湯原がそういう人間だとは雫も分かっていたはずなのに、それでもかすかに落胆してしまう。
妙案はそう簡単には出てこない。自分で試行錯誤を繰り返すなかで、見つけていくしかないのだ。
平賀にフォローする言葉をかけられても、雫の先ほどの面接への後悔は止まなかった。湯原の言う通り、もっと適した訊き方があったのではないか。
時間を戻して鑑別面接をやり直したいとも思ったけれど、それはどうあがいても不可能なことだった。
翌日、雫は個別の心理検査を実施するために、宮辺と再び顔を合わせていた。挨拶や一通りの言葉は交わしているものの、宮辺がまだ腹に据えかねていることが、雫には言葉の節々から察せられてしまう。昨日のことをまだ根に持っているようで、委縮しそうになってしまう。
何とか親身な態度を保ったものの、雫は宮辺が自分との間に壁を作った気がしてならなかった。
そうして、そのまま気分を完全に持ち直せないまま、雫は休日を迎えた。重たい頭をどうにか起こして、宿舎から自転車を漕いで長野駅へと向かう。東口の駐輪場に自転車を停め、駅を突っ切って善光寺口に出る。
そして、雫は駅前のディスカウントストアの前で立ち止まった。目線の先には、バス停がある。橘田が乗った、東京からの高速バスが停まるバス停だ。
すでに一〇分ほど前に、「今高速を降りました」というラインは、橘田から届いている。ひとまずは予定通り到着しそうなことに、雫は少し安心していた。
バスは雫が待ち始めて、一〇分もしないうちにやってきた。厳密に言えばまだ終点ではない長野駅前に、人がどんどんと降りてくる。
そして、その中には確かに橘田の姿もあった。淡い水色のワンピースを着た橘田は、驚くほどの軽装でバッグはおろか、財布すら持ってきていないようだ。
橘田は雫を見つけると飼い主を目の前にした犬のように、雫のもとに駆け寄ってくる。「雫さん、お久しぶりです!」と弾けるような笑顔で言っていて、雫の気分も引き上げられた。
「うん、このはちゃんも久しぶり。元気にしてた?」
「はい! おかげさまで! 仕事も何とか続けられてます!」
「そう。それはよかった。あの、私の気のせいかもしれないけど、また背伸びた? 今どれくらいあるの?」
「この前、会社の健康診断で測ってもらったら、一七五ありました。まだまだ成長期みたいです」
「なるほど。それはいいね」そう言いながら、雫は橘田の顔を見上げていた。初めて会ったときから橘田は背が高かったなと不意に思い出す。二〇歳になってもまだまだ背が伸びていて、この先何センチメートルまで伸びるのだろう。中肉中背の自分にも、その背丈を少し分けてほしいなとも、ふと感じた。
「で、雫さん。そろそろ善光寺行きます?」
「そうだね。もう行こっか。でも、どうやって行く? 歩いて行ったら三〇分くらいはかかるし、今日だって暑いからバスやタクシーを使うっていう手もあるけど」
「そうですね。私も歩くつもりだったんですけど、バスが出てるんだったら、それに乗りたいです。やっぱり暑いですし」
「分かった。じゃあ、行こう」