雫がドアをノックして、中から返事が聞こえたことを確認してから開けると、居室の中で宮辺は立っていた。きっとこれも反省を示す算段なのだろう。
座ったままでもよかったのにと思いつつ、雫は「面接室に行きましょう」と声をかける。頷いた宮辺とともに、第一面接室へと向かう。だけれど、今日宮辺の面接を行うのは、雫ではなかった。
再びドアをノックしてから「失礼します」と言って、雫たちは第一面接室に入る。すると、今日宮辺の面接をする相手は椅子から立ち上がって、お辞儀をしてきた。家裁調査官である真綾だ。
暖かみのある表情を浮かべている真綾に、雫たちもお辞儀を返し、宮辺は真綾に机を挟んで向かい合って座る。
だけれど、雫が宮辺の隣に座ることはない。今日は宮辺と真綾の、一対一の面接だ。
だから、雫は真綾に面接が終わったら内線で職員室に連絡してほしいと告げ、面接室を後にした。少し不安そうな顔をしている宮辺に、「大丈夫だから」というような穏やかな目を向けながら。
職員室に戻った雫は、少年たちが昨日書いた日記に目を通したり、別の少年に行った心理検査の結果をまとめたりと、通常業務を進めた。
でも、その間も宮辺と真綾の面接の様子は、常に気になってしまう。宮辺はまた平謝りして、真綾を困らせてはいないだろうか。真綾は宮辺から、自分では訊けなかったことを訊き出しているのか。
もちろん、より万全を期した鑑別のために、面接が終わった後に結果を真綾と共有することになっている。それでも、雫の意識は何をしていても、少なくない部分が面接室に向けられていた。
雫の机の上に置かれた電話が鳴ったのは、二人の面接が始まってから一時間も経たない頃だった。素早く手に取ると、電話をかけてきたのはやはり真綾で、「面接が終わったので来てください」ということを簡潔に告げていた。
雫も取りかかっていた仕事を中断し、第一面接室に向かう。
中に入ると、落ち着いた様子で座っている真綾とは対照的に、宮辺はバツが悪そうな表情を浮かべていて、どんな面接だったかが、雫にはそれとなく察せられた。
「真綾さん、今日はわざわざありがとうございます」
宮辺を居室に収容してから、再び第一面接室に戻った雫は真綾の正面、先ほどまで宮辺が座っていたところに腰を下ろしていた。二人でいるからか、真綾の表情が少し和んだように雫には見える。
「うん。まあ、仕事だからね。でも、こうやってあの子と面接する機会を作ってくれて、こっちこそ感謝してるよ」
「いえ、そんなとんでも。で、どうでしたか? 面接のほどは」
「そうだね。何回謝られたか分かんないくらい、謝られたよ。何か質問する度に『ごめんなさい』とか『すいません』とか言われて。反省したり後悔してるのは分かったけど、それでもちょっと度を超してたかな」
「やっぱりですか。私のときも、宮辺さんはずっと謝っているばかりで。反省してるのはいいんですけど、面接はなかなか進みませんでした」
「そっかぁ。雫もかぁ。反省してる様子を見せれば、今すぐに出られるってわけじゃないのにね。まあ、何一つ悪びれた様子を見せない子よりは、まだやりやすいけど」
「そうですね。それで、真綾さん。宮辺さんが非行に及んだ原因については、何か分かりましたか?」
そう雫が尋ねると、真綾はかすかに困ったような顔をしてみせた。そのことに今回の面接の成果が、何も聞かなくても雫には分かってしまう。
「さあ。あの子自身の口からは、今回は何も訊きだすことができなかったよ。言ったとしても『魔が差した』ぐらいで、それは根本的な理由じゃないのにね」
「そうですか。私も同じです」
「まあ、でもあの子が今回みたいなことをした理由は、あくまで一つの可能性にすぎないけど、私にはちょっと推測ができるかな」
「推測、ですか?」
「そう。あの子、宮辺和音さんが母子家庭の子なのは、雫も知ってるよね?」
雫は頷く。それくらいの事項は警察の調査票を見て、既に把握していた。いくつかの推測が、雫の頭にも浮かぶ。
真綾はいつの間にか、真剣な表情に変わっていた。
「あの子のお母さんね、派遣社員みたいなの」
真綾の口から出た言葉は、雫が浮かべていた推測を強固なものにしていた。その言葉の先、宮辺が抱いている事情が、聞かなくても分かってしまいそうだ。
それでも、雫は「派遣社員、ですか」とオウムのように、真綾が言った言葉を復唱する。
「そう。昨日社会調査の一環で、あの子の家を訪ねてお母さんに会ったんだ。そこで給与明細とか源泉徴収票も見せてもらったよ。そしたら、あの子の家庭が相対的貧困にあることが分かったんだ」
「そうなんですか……。でも、ひとり親家庭には児童扶養手当が支給されるんじゃ……」
「うん。確かにそれは、あの子の家にも支給されてた。でも、それを合わせても世帯収入は相対的貧困の目安となる、平均世帯収入の半額にも達してなかったんだよ」
真綾から告げられた事実に、雫は言葉を失いそうになってしまう。母子家庭でなおかつ相対的貧困状態にある宮辺に、両親が揃っていて大学まで行くことができた自分にかけられる言葉があるのかとすら思えてしまう。恵まれた人間からの言葉は、どんなものでも嫌味だと捉えられかねない。
だけれど、だからといって何も声をかけなかったら、それこそ鑑別はできない。今の雫にできることは、宮辺の心情を少しでも理解するために、非行に及んだ原因を知ろうとすることしかなかった。
「……真綾さんは、それがあの子が非行に及んだ原因だと考えてるんですか?」
「まさか。貧困家庭の子供は、みんな非行に走るの? そうじゃないでしょ。たとえ経済的には恵まれない家庭に生まれても、非行をしない子の方がずっと多いんだから。そんなの当たり前のことでしょ」
「そうですよね。すみませんでした」
「別に謝らなくていいよ。私だって、まったく無関係だとは思ってないし。毎日三食食べるのにも苦労するほどあの子の家は困窮していて、お母さんもあの子にずっと我慢をさせて申し訳ないって言ってた。そんなお金がないなかで、ふとお金が入ってる財布を見つけたら? 実際に非行には及ばなくても、ほんの少しでも心が揺れることはないなんて、誰に言い切れる?」
「それが、あの子が非行に及んだ理由……」
「いやいや、だからこれだって決まったわけじゃないからね。今言ったことは全部私の推測、っていうか憶測なんだから。本当の原因は、あの子とこれからも面接を重ねていくなかで探っていくしかないよ」
そう真綾に戒められて、雫も結論に飛びつこうとした自分を、早計だったと恥じる。そんなに簡単に結論に達するなら、誰も苦労はしない。
それでも、手がかりに乏しい現状では、真綾の推測は雫には有力なものに思えた。もちろんこれだと決めつけてかかってはいけないが、宮辺との面接中にもその可能性は考慮すべきだと思える。
「そうですね」と雫が頷くと、真綾も「うん、じゃあ、今日はありがとね」と言って席を立った。玄関をカードキーで開けて、真綾を見送ると雫はすぐに職員室に戻る。真綾から聞いたことを、早急にファイルに入力して残したかった。