「宮辺さん、ひとまず落ち着きましょう。宮辺さんが反省していることは、私もよく分かりました。だから、ひとまず今回のことについて訊くのはやめます。また次回以降、落ち着いたときに話しましょう」
「……はい」
「でも、これで面接を終わらせるわけにはいかないので、ここからは別のことを訊いていいですか? 例えば、宮辺さんの交友関係ですとか、ご家族とのことですとか」
「交友関係、家族のことですか……?」
「はい。たいへん立ち入ったことをお訊きします。もし本当に嫌なら答えてくれなくても構わないんですけど、それでも鑑別には絶対に必要な情報だから、訊かせてください。宮辺さんのご家庭はお母さんと二人きりだと、私は家庭裁判所から伺っていますが、これは間違いないですか?」
雫にそう訊かれて、宮辺は答えに詰まる様子を見せていた。
極めてプライベートなことを訊いている自覚は、雫にもあった。宮辺が答えたくないと思っていても、ある意味当然のことだと思える。
でも、少年事件において家庭環境が及ぼす影響は計り知れないほど大きい。適切な鑑別のためには、避けて通れない側面だ。
だから、雫はなるべく宮辺に答えてほしいと思う。その思いが通じたのか、宮辺は少し答えに迷った後に「はい、そうです」と認めていた。そこまで知られているからには、ごまかせないと思ったのかもしれない。
でも、返事を得たことで、雫は面接を一歩でも前に進められていた。
「分かりました。では、お母さんとの関係はいかがですか? もちろん答えたくなかったら答えなくても構いませんが、私は宮辺さんの率直な思いを聞きたいと思っています」
「えっと……、たぶん悪くはないと思います。お母さんは仕事で忙しい中でも、毎日私のことを気遣ってくれていますし、私もそんなお母さんのことが好きです。経済的に凄い余裕があるとは言えないんですけど、山谷さんが心配していることは何一つ起こっていないと言えると思います」
宮辺は、雫がその質問をした意図が分かっているかのような返答をしていた。
ひとまず虐待や育児放棄などの事態は考えなくてよさそうだ。そう無邪気に信じることは、宮辺には気が引けるけれど、雫にはできなかった。
宮辺が本当のことを知られたくなくて、嘘を言っている可能性だってある。そう疑う姿勢は、湯原と一緒に何人かの少年たちと接しているうちに、知らず知らずのうちに雫にも身についてしまっていた。
「そうですか。いいお母さんなんですね」
「はい。娘である私が言うのもなんですけど、いい母親です」
そう答えた宮辺の顔は上がっていた。しっかりと雫の顔を見て言っている。
そのことが雫の中の天秤を、宮辺を信じる方にわずかに傾けた。
「分かりました。では、次に宮辺さんの交友関係についてお訊きしたいと思います。宮辺さんには親しいご友人も、何人かいらっしゃるそうですね」
「はい。一緒に登下校をする仲の友人もいます。その子とは小学校からの友達で……」
面接は続いていく。比較的話しやすい話題なのか、宮辺は交友関係について素直に答えていた。雫も時折メモを取りながら、宮辺の言葉を受け取る。
それでも、始まる前に抱いた緊張は、いくら面接が進んでも二人からは消えてなくなることはなかった。
初回の鑑別面接を終えた雫たちは、少し休憩を挟んでから、心理検査に入った。
あまり多くの検査を課してしまうと宮辺が疲弊してしまうため、雫はMJPI(法務省式人格目録)とMJAT(法務省式態度検査)の二つのみを宮辺に提示する。諸外国の心理検査を参考にして法務省が開発したこの検査は、鑑別所に入所してきた少年の全員が受けることになっている。SCTやロールシャッハ検査といった個別検査は、鑑別を進める中で必要に応じて実施していく形だ。
雫が見守るなかで、紙上の質問に答えていく宮辺。時折自分を窺ってくる宮辺に、寄る辺ない思いを募らせているのだろうと、雫は想像した。
心理検査も終えたときには、緊張し続けていたからか、宮辺は少し疲れたような表情を見せていた。
雫はそんな宮辺に二言三言言葉をかけると、再び居室に宮辺を収容した。居室に戻る前に、宮辺の希望で本を数冊借りさせたから、時間を持て余すということはないだろう。
そして、雫は職員室に戻ると、すぐに初回面接や心理検査の結果を取りまとめる作業に移った。
専用のソフトに心理検査の結果を打ちこむと、複数の尺度で評価された一覧表ができあがる。それを必要な分だけ印刷すると、雫は面接結果とともにそれらに目を落とす。どのようにして宮辺の鑑別を進めていこうか考える。
鑑別方針を話し合う会議は、さっそく同じ日の午後四時に迫っていた。
会議には雫の他に、宮辺の担当法務教官である平賀、身体検査及び健康診断を担当した医師の取手、そして所長である那須川が出席していた。湯原も別所もいない会議に、雫はここでも緊張せずにはいられない。
会議はそれぞれの担当者が、宮辺についての現時点での所見を報告することから始まった。
雫が初回面接や心理検査の結果から、宮辺が一般的な良識を持っていること、多くのことを自分事として捉えすぎてしまうこと、反省を急ぎすぎていることなどを三人に伝える。
平賀が慣れない環境に必要以上に怯えていることや、焦ったような表情を浮かべていることが多いことを報告すると、取手も健康的には特に異常は見られないが、それでも少しやせすぎていることが気になると述べる。
三人の報告を受けて、那須川がまとめ役となって四人で話し合った結果、性急すぎる反省はかえって宮辺自身のためにならないこと、焦らず時間を使って宮辺に正しい意味での内省を促すようにしようという、大枠の方針が決まった。そのために具体的な手立てをどうすればいいかを、四人はさらに話し合っていく。
雫も三人の言葉を聞いているうちに、少しずつだが宮辺にこれからどのように接したらいいか、見えてくるような気がしていた。
会議を終えて、その結果をまとめて、雫が宿舎に戻った頃には、時刻は夕方の六時を回っていた。空は藍色に染まり始めていて、日が落ちるのも少しずつ早くなってきたなとベランダを眺めて雫は思う。
仕事を進めるにあたって必要な手引書や参考資料を読んだり、反対に何の気なしにスマートフォンを見たりしていると、いつの間にか外はもう完全な夜となっていた。冷蔵庫の中の具材で手っ取り早くチャーハンを作り、夕食を済ませる。
そして、雫が食後の休憩がてら電子書籍で小説を読もうとしたときに、スマートフォンは振動してラインが来たことを知らせた。
〝雫さん、お久しぶりです〟