目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第18話


「宮辺さん、入りますね」そう呼びかけて雫がドアを開けると、膝を抱えて座っている宮辺の姿が見えた。

 その目が雫に向く。恐怖に打ち震えているかのような瞳に、雫は思わず息を呑む。

「宮辺さん、おはようございます。どうですか? 調子のほどは。昨日はよく眠れましたか?」

「……い、いえ、全然眠れませんでした」

 宮辺の声は小さく震えていても、芯は確かにあった。意思の疎通が取れていることに、雫の緊張はほんの少しだけ軽くなる。

「そうですか。それは大変でしたね。これから少しずつ慣れてくるといいですね」

 宮辺が小さく頷く。自分の言葉が聞き入れられていることを確認してから、雫は「では、宮辺さん。面接に行きましょうか」と声をかけた。

 宮辺も立ち上がって、二人は居室の外から出る。並んで歩いている間、二人の間に会話はなくて、雫の緊張は再び高まった。

 第一面接室に入った二人は、テーブルを挟んで向かい合うようにして座った。

 宮辺は初めて入る第一面接室に視線をあちこちに送る、なんてことはせずただじっと視線を、雫の顔よりも下のところに向けている。目を合わせられていなくて、やはり自分以上に緊張して固くなっているのだと、雫は察した。

 だから、雫は自分も感じている緊張をなるべく隠して、穏やかな口調を心がける。自分も緊張を表に出したら、面接室の空気はさらにいたたまれないものになってしまうだろう。

「では、宮辺さん。改めてあなたの面接を担当させていただく、山谷と申します。これから限られた期間ですが、よろしくお願いします」

「……よろしくお願いします」

「では、面接を始めさせていただきます。まずは少し軽い話題から始めましょうか。宮辺さんが好きなことはなんですか? いつも休みの日などは何をしていましたか?」

 宮辺は相変わらず雫と目を合わせていなかったが、その顔からかすかに意外だと思っていることは、雫にも分かった。いきなり事案の話をされると思っていたのだろう。

 雫だって、これは自分のオリジナルの質問ではない。湯原が塩入との面接のときにこう訊いて、雰囲気を柔らかくしていたから、それを参考にしているのだ。

 効果的だと思った方法は、どんどん学習していけばいい。湯原の耳に入ることも、宮辺と一対一で向き合っているこの状況では、あまり考えられないのだから。

「えっと……、本を読んでいることが多かったと思います。図書館に借りに行って」

「特にないです」とか「休みの日はずっと寝ていました」とか言われて、会話を終わらせられたらどうしようという雫の危惧は、ひとまずは杞憂に終わっていた。宮辺にも会話をしようという意思があることが、嬉しく思える。

 雫は本にはあまり詳しくはなかったが、それでも「そうですか。どんな本を読んでいたんですか?」と話を広げた。山谷は少し恥ずかしそうな素振りを見せながら応えた。

「えっと……、暁日向あかつきひなたさんとかとか林田美都子はやしだみつこさんとか、その辺の作家さんの小説を読んでいました」

 どうしよう。どちらもピンとこない。雫は山谷が挙げた名前に、そう直感してしまう。雫は元々小説にはあまり興味がなく、思わず目が点にさえなってしまいそうになる。

 それでも、雫はどうにか抑えて「そうですか。その作家さんのどんな小説が好きだったんですか?」と、さらに話を広げた。

「そうですね……。暁さんだと『高く跳べ』とか、林田さんだと『朝になるまで』とかが好きでした」

 雫がピンときていないことは、伝わっていたのだろう。少し考えるようにしてから宮辺が挙げた小説は、きっとその作家の代表作だ。それくらい雫にも察せられる。

 だけれど、雫はその小説をやはり知らなかったから、「なるほど。いい本ですよね」などと知ったかぶって、話を繋げることはできなかった。そう言っても宮辺に、本当は知らないくせにと見抜かれるのは目に見えていた。

 だから、雫は「そうですか。すいません、私あまり小説には詳しくなくて。今度また読んでみますね」と正直に言うほかない。宮辺も「は、はい」と言いながら、目には失望の色がかすかに浮かんでいる。

 面接室の空気は少しも和んでも軽くなってもおらず、それは雫が面接の導入につまずいたことをはっきりと物語っていた。

「では、宮辺さん。そろそろ今回の本題に入ってよろしいですか?」

 硬いままの空気、固いままの宮辺の表情。雫の緊張はまだ高止まりを続けていたが、それでもここは雑談ばかりをする場所ではない。

 だから、雫は切り替えてそう切り出した。小さく頷く宮辺は、がちがちに身構えてしまっている。

 そのガードを解くことは、雫にはとても困難なことに思えて怯んだけれど、それでも雫が何か質問をしなければ、面接は少しも進まなかった。

「警察等でも訊かれたと思いますが、宮辺さんは八月二日に、長野市鶴賀で拾得した古東義則(ことうよしのり)さんの財布から二万円を抜き出して、衣服などの買い物に使用した。この本件事実は、間違いありませんね?」

「はい、間違いありません」

「なるほど。今回のことについて、宮辺さん自身はどう受け止めていらっしゃいますか?」

「本当に申し訳ないことをしたと思っています。せっかくその古東さんが汗水垂らして手にしたお金を、何の関係もない私が勝手に使ってしまったこと、謝っても謝りきれません」

「そうですね。宮辺さんがしたことは、占有物離脱横領という立派な犯罪です。ですが、私はそうした宮辺さんのことを責めたいわけではありません。よかったら、どうしてそういった行為に及んでしまったのか、少しでもいいので教えてくださいませんか?」

「あの、本当にすいません。ごめんなさい。もう二度としないので許してください。お願いします」

 平謝りする宮辺は、今にも机に手と頭をついてしまいそうだった。雫は困って、頭をかきそうになったけれど堪える。

 昨日平賀が説明したにも関わらず、宮辺はまだ雫たちに謝ってもどうにもならないことを、理解していないようだった。

「宮辺さん、訊き方を変えますね。財布を拾ったとき、宮辺さんはどんな気持ちでしたか? その財布のお金で衣料品等を買ったときは、どんな思いでしたか? 今思い出せる限りでいいので、教えてほしいのですが」

「……財布を拾ったときは、びっくりしました。交番に届けなきゃとも思いました。でも、中を見てみると当たり前ですけど、お金が入っていて。そこで魔が差してしまったんだと思います。結構な額のお金が入っていたので、少しぐらい使っても大丈夫だと。今考えれば絶対にそんなことはないのに、そのときの私はどうかしてました。本当に申し訳ありません」

「なるほど。魔が差したということですが、宮辺さんはどうして魔が差してしまったと思いますか?」

「それは魔が差してしまったとしか、言いようがありません。他に言いようがありません。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 何度も繰り返し謝る宮辺は、雫に許してもらおうと必死だった。その姿は、雫に自分には許す権利がないのにと、改めて言うことをためらわせるほどだった。

 懸命に許しを請う宮辺に、雫はこれ以上事案のことを訊いても逆効果になるだけだろう、話題を変える必要があると直感した。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?