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第17話


「では、宮辺さん。これから簡単に、この先の流れを説明させていただきますね」

 鑑別所の施設を一通り案内し終えて、第二面接室にやってきた三人は、向かい合うようにしてパイプ椅子に座っていた。二人の会ったばかりの大人の前で、宮辺は委縮しきっている。

 だから、平賀はなるべく平易な言葉を選んで、宮辺に説明をしていた。

 今しているオリエンテーションの後には、医師である取手の診察を受けること。明日から鑑別面接や心理検査が本格的にスタートすること。それを何回か繰り返し、鑑別結果通知書として取りまとめ、家庭裁判所に提出すること。家庭裁判所の審判までには、三週間から四週間がかかることが宮辺に伝えられる。

 一つ説明する度に、平賀は「ここまでは大丈夫ですか?」と宮辺に確認していたけれど、宮辺はおずおずとしか頷いていなくて、その様子は蛇に睨まれた蛙といった慣用句を、雫に思い起こさせた。

 それでも、「面接や心理検査は主にこちらの山谷さんが担当します」と平賀が言うと、雫は背筋を伸ばさずにはいられない。自分も緊張していることを悟られないように、なるべく穏やかな顔で「宮辺さん、よろしくお願いしますね」と声をかける。

 でも、宮辺の表情は相変わらず硬くて、雫には言葉が届いている実感が得られなかった。

「以上がこれからの簡単な流れ、そしてここで過ごしていくにあたってのルールになります。ここまでで何か分からなかったり、訊きたいことはありますか?」

 起床時間や就寝時間、毎日日記をつけること、そして他の収容されている少年との会話は禁止といったルールを伝えてから、平賀は宮辺にそう確認していた。雫も宮辺を、ささやかに見つめる。

 二人分の視線を受けて、宮辺は手を膝の上に置いて身体を縮こまらせていたけれど、やがて「あ、あの」と口を開いた。その声は雫が思っていたよりも低くしっかりしていて、怯えていても消え入りそうというわけではなかった。

「本当にごめんなさい。私、本当に悪いことをしたと思ってます。あんなことしなきゃよかったって、心から後悔しています。だから、許してください。お願いです」

 縋りつくかのような宮辺の言葉は、雫たちを自分の処遇を決める裁判官だと捉えているようだった。

 だけれど、雫たちにそんな権限はもちろんない。家庭裁判所にも鑑別結果通知書という形で助言はするが、それが全面的に受け入れられるとは限らないのだ。

 平賀がわずかに目を細める。言葉優しく諭すかのように。

「宮辺さん、正直に言うと許すかどうかを決めるのは、僕たちではありません。一番は、今回被害に遭われた古東ことうさんです。そして、その古東さんが許してくれるのかどうかも、僕たちには分かりません。でも、しっかりお金を返したうえで、宮辺さんが今回のことについてきちんと反省をしたならば、許してもらえる可能性はあると僕たちは思いますよ」

「私、反省してます。絶対にしちゃいけないことだったと思ってます。今は申し訳ない思いでいっぱいです。本当です」

「宮辺さん、一度落ち着きましょう。宮辺さんが十分反省していることは分かりました。でも、僕たちには家庭裁判所の審判が出るまで、宮辺さんを観護する義務があります。それはどんなに早くても、三週間はかかることなんですよ」

「そんな……」

「宮辺さん、どうして今回のようなことをしてしまったのか。これからしないためにはどうすればいいのか、僕たちと一緒に考えていきましょう。大丈夫ですよ。僕たちは、宮辺さんの敵ではありませんから」

 いくら平賀が落ち着いた声をかけていても、宮辺の表情から怯えは消え去ってはいなかった。依然としてここに来たことを、何もかも終わりだというように悔いている。

 そんなことはないし、むしろここからが新たなスタートだ。その思いから、雫も軽く宮辺に言葉をかけてみるが、それも宮辺の心に届いている様子はなく、雫は徒労感を覚えてしまう。

 少なくとも言葉だけは反省しているから、いくらかやりやすい。そんなことはまったくないと、雫は気を引き締めた。



 さらにその翌日。雫は朝目覚めたときから、宮辺のことで頭がいっぱいだった。他に湯原とともに担当している少年はいるものの、それでも頭は出勤してからいの一番に面接をする、宮辺のことばかりを考えてしまう。雫にとっては、初めての一対一での鑑別面接だ。

 何にしても、超えるべき壁は最初が一番高い。これからも鑑別所で仕事をするからには、いつかは超えなければならない壁だと分かっていても、雫の緊張は自分の部屋にいる間も止むことはなかった。

 それは出勤してからも同様で、職員室に入ってきたときの「おはようございます」という挨拶が、若干上ずってしまう。机に座って、調書や調査票などの資料に目を通していても、肩に力は入りっぱなしだ。

 那須川に「大丈夫ですか?」と声をかけられても、雫は「大丈夫です」としか答えられなくて、でもその間にも、もうすぐ始まる初回面接に気持ちは逸り出してしまっていた。

「何だよ、山谷。お前、もしかして緊張してんのか?」

 隣に座る湯原にまで声をかけられたのは心配されているのか、それともただ緊張している自分をもてあそびたいだけなのか。雫には判断がつかなかったけれど、どちらにせよ今の本音は「そっとしておいてほしい」だ。

 でも、先輩である湯原にそんなことは言えるはずもなく、雫は「い、いえ、大丈夫です」としか答えられない。

「いや、緊張してんだろ。どう見ても」

「そ、そうですかね……。私としてはいたっていつも通りなんですが……」

「いや、全然そうは見えねぇぞ。つーか、お前が緊張してどうすんだよ。お前の何倍も緊張して、今にでも逃げ出したいって思ってるのは、その宮辺だっつうのに」

 それはそうだろう。宮辺の今の気持ちに比べたら、自分が感じている不安なんてたかが知れている。

 でも、そんな当たり前の指摘は、雫を少しも楽にしなかった。話しているだけでも、緊張は増していく。胃から何かがせり上がってきそうなほどだ。

「湯原さん、私ちゃんとできますかね?」

「やっぱり緊張してんじゃねぇか。不安になってんじゃねぇか。いいか。今回だけ特別に、そんなときに効くおまじないを教えてやるよ」

「おまじないですか?」

「そう。手のひらに人という字を三回書いて呑みこむんだ」

「ちょっと、ふざけないでくださいよ。そんなありきたりな方法で緊張せずに済むなら、誰も苦労しませんって」

「はっは、冗談だよ。冗談」

 小さくても笑う湯原に、雫は目くじらを立てそうになってしまう。こちらはそんな状況ではないというのに。

「まあ、存分に緊張しとけや。だって、お前がしようとしていることは、これからの宮辺の人生に大きな影響を与えかねないほど、重大なことなんだからな。その責任はいくら感じても、感じすぎることはねぇからな」

「……励ましてくれないんですか?」

「俺が励ましたところで、お前の緊張は軽くなんのかよ。むしろこれで緊張を感じてなかったら、そっちの方が問題だろ。人の一緒を左右しかねない場面に立ち会う。これで緊張しなかったら、その方が相手に対して失礼だろ」

「それは確かにそうですけど……」

「ていうか、お前行かなくていいのかよ。面接は一〇時からの予定だろ。あと数分もねぇぞ」

 湯原に言われて雫はパソコンの時計を見る。面接の時間までは、あと三分を切っていた。

「そうでした! もう行かないと」

 メモ帳や筆記用具など、必要なものを持って立ち上がる雫。その隣で湯原は、仕方ないなという風に息を吐いていた。

「面接、行ってきます」

 職員室を出て、宮辺の居室へと向かう雫。逸る気持ちを、なるべく静かに歩いて落ち着けようと試みる。

 でも、やはり緊張は解けずに、それは宮辺の居室の前に立ったときにピークに達した。速まるような呼吸を落ち着けてから、意を決してドアをノックする。


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