塩入に対する三回目の鑑別面接は、母親である睦美と面会してから二日後に行われた。この日も雫は湯原と一緒に朝の運動が終わった後の時間帯に、居室へと塩入を呼びにいく。
他の収容されている少年への対応もあり、雫は毎日塩入と顔を合わせられるわけではない。でも、数日ぶりに見た塩入の顔は雫の記憶よりも落ち着いていて、それは単に鑑別所での生活に慣れ始めたからかもしれなかったけれど、塩入の内面で前向きな変化が起こっている可能性もあった。
第一面接室に入って、三人は腰を下ろす。湯原は今までと同じく、穏やかな口調で面接を開始していた。
「それでは、これから今日の面接を始めたいと思います。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「では、まず塩入君の今の状態について訊いていきましょうか。どうですか? 塩入君。ここでの生活は? 何か思うことがあったら何でも言ってください」
「あの、湯原さん。僕は万引きをしたんじゃないんです。万引きをさせられたんです」
今までになかった塩入の吐露に、雫はほんの一瞬だけだが呆気に取られてしまう。面接が始まってすぐのこのタイミングで言ったということは、雫たちに会う前から話すと決めていたのかもしれない。
湯原が「どういうことでしょうか?」と、塩入の次の言葉を促す。塩入は目線を下げそうになりながらも、なんとか堪えて答えた。
「湯原さん、前に佃君や原川君と仲良くしてるの? みたいなことを訊いてきましたよね。その通りです。僕はその二人と、ここに来る前はよく関わっていました」
「そうなんですか。でも、佃君たちと関わり始めたのは、ここ最近のことですよね。何かきっかけなどがあったんですか?」
「はい。あれは確か五月のことでした。佃君たちが一人で帰る僕に、急に声をかけてきたんです。何でも『度胸試しをするから来い』と。『来ないと明日からどうなるか分からないぞ』と言われたら、僕はついていくしかありませんでした」
「度胸試し、ですか?」
「はい。佃君たちが連れていったのは、僕の家からは離れた文房具屋でした。『何でもいいから一つ盗ってこい』と。それは間違いなく万引きの指示で、でもこれを断ったらどうなるか分からないと思うと、僕は行くしかありませんでした」
塩入は膝の上で手を握っていて、背中を丸め、身体は今にも震えだしそうだった。きっと小さくない勇気を出しているのだろう。
雫は「がんばって」と声をかけたくなったが、それは面接の場にふさわしくない気がして、心の中で呼びかけるだけに留めた。
「僕はそんなことをしたら、すぐにバレて怒られると思っていました。でも、その店は店員も少なくて、僕がシャーペンを一つ盗っても、誰も気づきませんでした。それは拍子抜けするほど簡単に終わり、それでも佃君たちは『お前、やるじゃん』『今日からダチな』と言ってくれました」
「そうですか。塩入君はそう言われて嬉しかったですか?」
「はい、嬉しかったです。友達があまりいないのは僕のコンプレックスでしたから。こんなつまらない僕でも、認められているような気がして嬉しかったです」
それは歪んだ友情だろうと、雫はふと思う。いや友情ですらなく、ただの脅し脅されで成立する不健全な上下関係だ。
しかし、そう考えられるのは自分が一歩引いた立場から塩入を見ているからかもしれないとも、雫は思う。当の塩入にとってはそんな歪な関係でも、一人でいるよりはマシだと思えたのかもしれない。
「なるほど。でも、塩入君が今ここにいるように、万引きはその一回だけでは終わらなかったと」
「は、はい。本当に申し訳ないことですが、僕たちはそれからも色んなお店で何回か万引きをして。佃君たちはその度に僕のことを認めてくれましたし、僕も佃君たちとの関係性が深まっていくことを感じました。でも、それは絶対に間違いだったんです」
「間違い、ですか」
「はい。どんな理由があっても、万引きは絶対にしてはいけないことなんです。僕はお金に困っていたわけでもないのに、ただ佃君たちにしろと言われただけで、万引きをしてしまった。思えば最初の文房具屋のときに、きっぱりと断っておくべきだったんです」
「確かにそれはそうですけど、でもそのときに断るのは、塩入君にはなかなか難しかったのではないですか?」
「それは正直、はい。佃君たちは少し怖いところもありましたし、今思い返してみても、はっきりNOと言うことは簡単じゃなかったと思います。だから、湯原さんお願いです。佃君たちも僕と同じように捕まえてください」
そう言った塩入に、雫は目を丸くする思いをした。
法務技官である雫たちには、誰かを逮捕する権限はない。それは警察の仕事だ。
それにたとえ警察に伝えても、佃君たちを検挙できる保証は一つもない。正直なところ自分たちに言うのは、少しお門違いでもある。
それでも、湯原は大きく驚いた様子を見せなかった。長きにわたり何人もの少年たちの鑑別をしてきたから、こういったケースにも慣れているのだろう。口調は落ち着いたままだった。
「それが、塩入君の今の望みですか?」
「そうです。もちろん一番いけないのは、万引きをした僕自身だってことは分かっています。それはここに来て、余計身に染みました。でも、だからといって僕だけが捕まって、佃君や原川君が捕まらないのは不公平じゃないですか。あの二人だって、僕と同じように万引きをしてるのに。なんで捕まってないんですか」
塩入はそれまで縮こまっていたのが嘘かのように、一気に話し出していた。その様子は出まかせを言っているようには、雫には見えない。
塩入の顔はいつの間にか上がっていた。もし嘘を言っているのだとしたら、目を泳がせたり後ろめたい表情をしていてもいいようなものだが、そういった様子も雫には窺えなかった。
「それは僕たちに言われてもいかんともしがたいと言いますか……。今回塩入君が言ったことは、僕たちの方から警察に伝えさせていただきます。でも、だからといって佃君たちを検挙できるとは限らないことは、承知しておいてください」
「分かりました。でも、お願いします。このままだと、あの二人はまた万引きを繰り返すかもしれないですから」
「はい」と湯原が返事をする。一瞬だけ静まり返る面接室。
その中で雫は一つ疑問を抱いていた。それは胸に抱えたままにしておくことはできず、気づいたときには口をついて出ていた。
「あの、塩入君、一ついいですか?」
「何ですか?」
「どうして、今回佃君たちのことを言おうと思ったんですか? 今までの面接では、言わなかったのに」
雫がそう尋ねると、塩入は我に返ったかのように「えっと、その……」と、目を泳がせていた。誰でも思うようなことなのに、訊かれたくなかったのだろうか。
それでも、塩入は雫に再び目を向けて口を開く。
「それはちょっと恥ずかしいんですけど、今回のことは自分だけの問題じゃないなと思ったので。母親をはじめとして悲しんでくれる人がいる。だったらせめて僕にできることは、正直に話すことしかないと思ったんです」
「そうですか。それはありがとう。大変だったろうに、よく話してくれましたね」
「いえ、ここにいれば佃君たちに話が伝わる心配はありませんから。思い切って話してみて、モヤモヤしていた心が少しだけ晴れた気がします」
「そうですか。私たちも今回塩入君が話してくれたこと、参考にさせていただきたいと思います」
「はい、お願いします」
塩入の目が、ほんのわずかだけれど緩む。その一瞬に、雫は自分たちは心を通じ合わせられたのかもしれないと思う。
湯原が二人の会話を引き取って、三回目の鑑別面接を終わらせた。
面接が終わって少しだけ安堵した様子を見せる塩入。その勇気ある吐露に、雫は何としても応えたいと感じていた。