「塩入君は、私たちが塩入君を裁こうとしていると思っているかもしれないけれど、本当はそうじゃないの。私たちはただ塩入君のことを知りたいだけなの。塩入君が今までどういう風に生きてきて、どうして今回のような万引きをしてしまったのか。それを分かりたいだけなの」
「……そんなこと言ったって、それが仕事だからじゃないんですか? この後に行われる裁判のために、僕に接してるんですよね……?」
「ううん、違う。確かに大人の場合は裁判だけど、塩入君のような少年の場合は審判って言うの。どこにも『裁く』って文字はないから」
「でも、同じことですよね……?」
「いや、そんなことない。大人の裁判は刑罰を与えることが目的だけど、少年審判は保護と更生が目的だから。だから、たとえ塩入君の意に沿わない結論が出たとしても、それは塩入君のこれからの人生を考えてのことなの。私たちは、塩入君に罰を与えたいわけじゃないんだよ」
「……」
「塩入君、正直に言うね。私たちは塩入君のようなここに入ってきた少年を、一〇〇パーセント理解しようと努めてる。でも、一〇〇パーセント完全な理解は、なかなか難しいんだよ。もちろん、一〇〇パーセントに近づけようと努力はしているけど、もしかしたら誤った判断をしてしまうことだってあるかもしれない。それは塩入君だって嫌でしょ? だから、それを防ぐには塩入君が本当のことを話してくれるのが一番なんだよ。そうすれば、私たちはより正確な鑑別結果を出せる。それはもしかしたら、塩入君自身を助けることにも繋がるかもしれないんだよ」
「……全然一言じゃないじゃないですか」
「そうだね。ごめんね。でも、私たちはいつでも塩入君が本当のことを言ってくれるのを待ってるから。次の面接はまた三日後だけど、そのときはもう少し私たちに心を開いてくれたら嬉しいな」
「まあ、なかなか難しいことだとは思うけどね」雫が話を締めると、塩入は少しの間を置いて、「は、はい」と頷いていた。
塩入が何を思ったのかは雫には分からない。もしかしたらかえって心を閉ざしてしまったのかもしれない。
それでも、雫はそう言わずにはいられなかった。
雫が話を終えたことを確認して、湯原が「では、これで今日の面接を終了します。塩入君、お疲れ様でした」と言う。雫も小さく頭を傾ける。
塩入の表情は面接が終わったことに少し安堵はしていたけれど、それでも少しも笑ってはいなかった。
「お前、何でさっきあんなこと言った?」
職員室の自分の席に戻るやいなや、湯原は雫に疑問を呈していた。少し棘のある声色に、雫は自分の席に座ることさえためらわれる。
「あんなこととは、どういうことでしょうか?」
「何だよ、自覚ないのかよ。『裁きたいわけじゃない』とか『本当のことを話してほしい』とかそういうことだよ」
「あの、私何か間違ったこと言いましたでしょうか……?」
おそるおそる雫は尋ねる。湯原は軽く頭を掻いていて、自分に腹を立てていることを雫は改めて感じた。
「言ってねぇよ。間違ったことは何も言ってねぇ。だからこそ厄介なんだよ」
湯原の言うことが、雫にはいまいち掴めない。間違ったことを言っていないなら、それでいいではないかという思いが首をもたげる。
「お前は直接的に言いすぎなんだよ。考えてもみろよ。『本当のことを話してほしい』って言われて、それを素直に受け入れる奴がいるか? それって裏を返せば、今自分が話してることは嘘だって言ってるようなもんじゃねぇか。自分が言うことを信じてもらえないことがどれほど心細く感じるか、分かるか? ここに来ている子ならなおさらだよ」
「それはそうですけど、でも湯原さんは塩入君が言ったことが、本当だと思ってるんですか? 佃君たちと何かある可能性だってないわけじゃないのに」
「そりゃ俺も完全には信じてねぇけどよ、でもあの言い方はないだろ。ああいう風に直接的に言わず、どうにかして本心を訊き出すのが俺たちの仕事なんだからよ」
湯原の口調は少し荒っぽかったけれど、そう言われると自分にも顧みるべき点はあったと、雫には感じられる。まだ面接の機会はあるのに、焦ってしまっていたと今なら反省できる。
「それは、すいません」
「それにな、口調も少し馴れ馴れしかったぞ。俺たちは何も親しくなろうとしてるわけじゃないんだ。もとよりここを出てしまえば、もう関係は途切れちまうんだからよ。俺たちは先生や保護司じゃないんだ。そこのとこ、ちゃんと弁えろよな」
「は、はい……」
「あとな、お前……」
「ちょっと、湯原君。何があったか知らないけど、言いすぎじゃない?」
思いがけない声に、二人の顔は一斉に声がした方向に向く。別所が座ったまま、パソコンの画面から顔を上げていた。
仕事を中断してまで、口を挟んできたことに雫は驚かずにはいられない。湯原も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「いや、だって別所さん、こいつが……」
「まず、いくら後輩でも同僚のことをこいつ呼ばわりしない。それに、山谷さんが何を言ったかは知らないけど、言ったこと自体は間違ってなかったんでしょ? もちろん言い方は考える必要はあるけれど、でもそれはこれから学んでいけばいいことじゃない。山谷さん、ここに配属されてからまだ一週間も経ってないんだよ?」
「いや、それはそうですけど、でも俺は正当な注意をしてるだけで……」
「湯原君、言われたことが正当かどうかは、言われた人が決めるんだよ」
別所にそう言われて、湯原は雫に横目を向けていた。でも、こういったときにどんな表情をすればいいのか、雫には分からない。思わず困っている色が顔に出てしまう。
それをどう解釈したのか、湯原は雫に「ほら、面接結果まとめるぞ」と声をかけて、自席に腰を下ろしていた。
雫も言われるがまま、座ろうとする。でも、その間際に別所に声をかけられた。
「山谷さん、悪いね。湯原君、ちょっと言いすぎるところがあるから。少年の前じゃそんなことないんだけどね」
「い、いえ、振り返ってみれば、私にも反省すべき点はありましたから」
「そう? でも、あまり気にしすぎないでね。山谷さんはまだ配属されたばかりなんだから。これから経験を積んでいけばいいんだよ」
「別所さん、フォローしてくださってありがとうございます」
「いいのいいの。それと湯原君のことも悪く思わないでね。別に山谷さんのことを全否定してるわけじゃないから。湯原君、ちょっとこの仕事に対して思い入れが強いっていうか、一方ならぬ思いがあるから」
「えっ、それってどういう……」
「山谷、面接結果」雫としては別所とまだ会話をしていたかったが、湯原に落ち着いた声で諭されると、自分の勝手を押し通すわけにもいかなかった。
別所に話を終わりにすることを伝えて、パソコンの画面と向き合う。専用のファイルに塩入との面接結果をまとめていく。
その隣で湯原はパソコンの画面を見ながら、顎に手を当てていた。