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第7話


「こんにちは、塩入君。ここでの生活はどうですか? どう感じていますか?」

 佐嶌たちに話を訊いた翌日。湯原はそういった質問から、二回目の鑑別面接を始めていた。

 塩入の表情は硬い。でも、自分たちとの面接はまだ二回目なのだから、無理もないと雫には思えた。

「えっと、最初は正直面食らったんですけど、少しずつ慣れてきました。でも、消灯時間が二一時なのは早いなと思います」

 塩入はおずおずと答える。本心ではこんなところに入れやがってと思っているのかもしれないが、それはさすがに言葉にはできないだろう。

 言葉を選んでいるような塩入の態度にも、湯原は穏やかな表情を崩さない。だから、雫もせめて塩入を不安にさせないような表情を心がけた。

「そうですね。塩入君の年で二一時に寝るのは、少し早いですよね。でも、ここはやってきた少年に規則正しい生活を覚えてもらうことも、目標の一つとしていますから。塩入君がここを出たときに困らないように」

「それは、はい。ありがたいことだと思っています」

「はい。塩入君は生活態度も真面目だと、僕も同僚から聞いていますし、これからもこの調子で過ごしていってください。大丈夫ですよ。たった四週間の辛抱ですから。場合によっては、もっと早く退所できる場合もありますしね」

「そうなんですか……?」

「はい。塩入君がこれからも真面目に生活して、家庭裁判所での審判がスムーズに行われればの話ですが。それでは、塩入君。そろそろ今日の本題に入ってもいいですか?」

「は、はい。お願いします」

「では、まずは面接と同じ日に行われた心理検査の結果について、いくつかお訊きしますね。まずいくつか文章を書いてもらったと思いますが、これはSCTと呼ばれるもので、僕がまず気になったのは三つ目の設問なんですけど……」

 湯原は実際に塩入が書いたSCT検査の結果を見せながら、面接を進めていた。いくつか自罰的な記述が見えたことが気になるといった内容のことを湯原は訊き、塩入は時折言葉に詰まる様子を見せながらも答えていた。

 雫も、時折質問を挟む。「だって僕はダメな人間なので」と塩入は何度か言っていて、その度に雫は胸が詰まる思いがする。

 でも、「そんなことはない」と安直に励ましたところで、まだ会って日が浅い自分の言葉を塩入が受け入れてくれるとも、雫にはあまり思えなかった。

「確かにそれは、塩入君は苦手と感じているのかもしれないですね。でも、誰にだって得意不得意はあるものですから。塩入君だって、これは得意だと思えることはあるんじゃないんですか?」

「……いえ、ないです。一個も」

「そうですかね。担任の新藤先生に聞いた限りでは、塩入君は現代文や日本史が得意だということですが」

「いえ、それも全然大したことないです。というか、湯原さんたち、新藤先生に会ったんですか?」

「はい。昨日会って、色々と塩入君についての話を聞かせていただきました。すいません。今まで黙っていて」

「い、いえ、それは別にいいし納得できるんですけど……。でも、どうでした? 新藤先生、僕のこと悪く言ってませんでしたか?」

「いえ、授業態度も真面目で、良い生徒だと言っていましたよ。少なくとも塩入君が思うような、ダメな存在ではないと考えているようでした」

「……そうですか」

「ええ。それで新藤先生や学年主任の佐嶌先生とお話ししているなかで、少し気になったことがあったのですが、訊いてもいいですか?」

「……何ですか?」

「塩入君は最近、佃君や原川君といったクラスメイトと仲良くしていた。これは間違いないですよね?」

 湯原がそう訊いた瞬間、塩入の動きは分かりやすく固まっていた。その様子は二人の名前が出たことに戸惑っているように、雫には見受けられる。

 でも、だからといって雫たちが質問をやめるわけにはいかない。湯原が慎重な様子で、言葉を重ねる。

「佃君たちとは一緒のクラスになった当初はあまり話していなかったけれど、先月から急に話すようになったと新藤先生は言っていました。何かきっかけのようなものがあったんですか?」

「い、いえ、ひょんなことから好きな漫画が同じことが分かり、そこから話し始めたんですが……。ていうか、どうして佃君たちの名前がここで出てくるんですか……?」

「塩入君、これは間違っていたら、否定してくれて構わないんですけど」

「は、はい」

「警察に被害届は出されていないものの、佃君たちは先日万引きをしたそうなんです。だから、佃君たちから塩入君が、何か悪い影響を受けているのではないかと思いまして」

 そう尋ねる湯原の質問は、憶測の域を出ていなかった。勝手に関連づけて、もし違っていたら失礼なことこの上ない。

 でも、雫は湯原の推測をまったくあり得ないとも思わなかった。非行の原因を探るには、少しでも考えられる要因は全て検討しなければならない。

 塩入が雫たちから視線を外す。そのリアクションが意味するところは、雫にも直感的に分かった。

「……そ、それは違います。湯原さんたちの妄想ですよ」

「本当にそうですか? こんなことを言うのもなんですけど、ここで佃君たちをかばっても、塩入君に得することは一つもないですよ。本当のことを話した方が鑑別も進むし、審判だって早く行われる可能性があるんですよ」

「……い、いえ、違います。佃君たちは、そんなことをするような人たちじゃないです。決めつけるのはやめてください」

 そう言った塩入に、湯原もすぐに返事をしなかったから、面接室にはほんの一瞬沈黙が降りた。

「別に決めつけているわけじゃない」と口から出そうになるのを、雫はどうにか堪える。佃たちの万引きは被害に遭った店に電話をして、既に確認が取れている。

 だから、塩入は明らかに嘘をついてまで、佃たちをかばっていた。何かそうしなければならない理由があるのか。例えば脅されていたりとか?

 雫はそれを訊こうとも一瞬思ったが、湯原が「そうですか。すいません、僕が変に関連づけてしまっていました」と言っていたから、訊けなかった。

 それからさらに十数分ほど、二回目の鑑別面接は続いた。湯原の質問は生育歴や家族環境、万引きをしてしばらく時間が経った今の気持ちなど多岐にわたっていた。

 それでも塩入の表情からは硬さが取れず、言葉もどこかたどたどしかった。雫も何回か質問を投げかけてみたけれど、塩入は内容はどうであれ、雫が満足いくような答えを返してはくれない。

 まだ警戒を解いてくれないことに、雫は少し胸が締めつけられる思いがする。塩入の心に触れている実感がなかった。

「では、今日のところはこれくらいで面接を終わりにしましょうか。最後に塩入君から何か訊きたいことや、言っておきたいことはありますか?」

 塩入とテーブル越しに膝をつき合わせてから一時間弱。湯原は二回目の鑑別面接を終わらせようとしていた。

 塩入も「い、いえ、特には……」と応えている。今回の面接が終わりに向かっていることを、雫は肌で感じる。

 それでも、雫は「あの、ちょっといいですか」と声を出していた。このまま何の手ごたえもないまま終われないと感じていた。

 ここで雫が口を開くことは、予期していなかったのだろう。塩入は目を丸くしている。それでも、湯原が目を動かすことで水を向けてくれたから、雫は続けて口を開くことができていた。

「ごめんね、塩入君。もう今日の面接も終わるときに。そんなに時間は取らせないから、ちょっと私から一言だけいい?」

 塩入は小さく頷く。二人の視線が自分に集まる中で、雫は思い切って続ける。


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