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第4話


「では、初回面接はこれで終了したいと思います。塩入君、ひとまずはお疲れ様でした。おかげでこれからの対応の方針となるような話を、たくさん聞くことができました。この後には心理検査が控えていますが、少し準備があるため、いったん居室に戻りましょうか」

 湯原が労うように声をかけると、塩入も「は、はい、ありがとうございます」と応じる。

 初回面接は一時間もしないうちに終わった。鑑別所に入所してきたばかりで緊張し、警戒している塩入の状態を考えると、これくらいが頃合いだろう。

 雫たちは塩入を連れて面接室を出ると、再び居室に塩入を収容した。ドアを閉めて塩入からは出られないようにし、雫たちは職員室に戻る。

 職員室に帰ってくると、湯原は雫にSCTやロールシャッハ検査等の各種心理検査がしまわれている棚を教える。雫もそこから、湯原に指示されたいくつかの心理検査を取り出した。

 湯原は自分の席に戻って、パソコンと向き合い、ファイルに初回面接の印象を打ちこんでいる。雫も同じようにしたけれど、メモした量が少ない分、早く終わってしまった。

 湯原が一息ついたタイミングを見計らって、話しかける。

「湯原さん。さっきの塩入君の面接、どう思いました?」

「どう思ったって、お前はどう思ったんだよ?」

 返す刀で訊き返されて、雫は一瞬言葉に詰まってしまう。それでも、感じたことを素直に話す以外の選択肢は、思い浮かばなかった。

「塩入君、思っていた以上に緊張してたなって思いました。答えに詰まる場面も何度かあって。他の少年たちも同じ感じなんですか?」

「そりゃ当たり前だろ。向こうは少年院に送られるかもしれないって、びくびくしてんだからよ。あと、他の子も同じ感じなのかって、そんなのは人によるとしか言えねぇよ。もっと怖がってほとんど話さない子もいれば、ここに来た時点で開き直ってんのか、事件のことをあけすけに喋る子もいるんだからよ」

「そ、そうですね……。それで、塩入君が言ったこと、湯原さんはどう思ったんですか?」

「どう思ったって?」

「いや、本当のことを話してるのかなって」

「何だよ。お前、疑ってんのかよ」

「い、いや、そういうわけでは……」

「冗談だよ。俺だって一〇〇パーセント鵜呑みにしてるわけじゃねぇし。共犯者とか周囲に迷惑をかけたくないからって、嘘を言う子だっていねぇわけじゃねぇしな。まあ、俺たちの仕事は何が本当なのかを探ることよりも、その子がどうしてそういった行為に至ったのか、これからどうしていくのが適切なのかを考えることだから。引き続き何回も接していくしかねぇよ」

 そう言った湯原に、雫も「そうですね」と頷く。先ほどの面接で、塩入が完全に心を開いてくれたとは雫にも思えなかった。というよりも、会って間もない大人にすぐに心を開いてくれる子供の方が、よほど稀だろう。

 雫たちにできることは職員全員で協力して、塩入の人物像や犯行に至った理由を掴むことだ。四週間という決められた期間はなかなか延ばせないから、集中して取り組む必要がある。

「ほら、じゃあ心理検査しに行くぞ」と席を立った湯原に雫も続く。廊下を歩いている間も、雫は喉が渇くような緊張を感じ続けていた。



「くはぁー」

 宿舎に戻ってきた雫は普段着に着替えると、すぐにソファに座って息を吐いていた。配属初日で一日中気を張っていたからか、思わず声が漏れる。帰ってくると同時に入れた冷房の風が心地よく、眠気さえ誘ってきそうだ。窓の外はまだ明るいが、西の空がかすかに橙色に染まり始めているのが見える。

 目立ったことはあまりできなかったけれど、それでも配属初日を無事に終えられたことに、雫は心から安堵していた。

 心理検査を行った後は、初回面接の結果も踏まえて、雫たちはその日のうちに塩入の鑑別方針を決める会議に参加していた。法務教官である別所や医師である取手、さらには所長の那須川を交えた会議である。

 湯原が本人は「ドキドキ感を味わいたくてやった」と言っているが、友人たちからの影響も視野に入れてこれからの面接を行うことや、心理検査の結果、自責的で自己肯定感が低い傾向が見られたことなどを告げる。別所も運動や食事はおずおずながらもきちんとこなしており、今後は作文の作成などの意図的行動観察も行う予定でいることを話す。

 取手からの報告も受け、塩入本人にも反省の情が見られるため、指導するというよりも慎重に動機等を訊き出すことに、重点を置くことが決まる。

 毎日面接を行うと疲れてしまうし、何より塩入は雫たちの他にも、家裁調査官や付添人と呼ばれる弁護士とも話す必要がある。だから、次回の鑑別面接は四日後に予定された。

 そして、もちろん鑑別所に収容されているのは塩入だけではない。雫は、他の少年にも接する必要があった。個別の心理検査や二回目以降の鑑別面接など、その種類も様々だ。

 だから、雫は今入所している全ての少年の情報を頭に入れなければならなかったし、作成する書類もなかなかに多く、机に張りついている時間も短くはなかった。

 書類等の書き方は集合研修である程度教わっているとはいえ、実務では湯原の指導を受けながら作成しなければならず、一度作成した書類に容赦なくやり直しとの判断が下った際には、雫もさすがに少しは気を落としてしまう。

 一つ一つの仕事にあたっていると、時間は目まぐるしく過ぎていっていた。

 夕食を作り始めるまでの間、雫はソファから一歩も動かなかった。スマートフォンで何となくSNSを見たり、好きなチャンネルの動画を見たり、電子書籍の小説を読んだりする。

 そうしているうちに窓から見える空は、少しずつ藍色から黒色に染まっていく。

 読んでいる小説がもう少しでキリのいいところまで辿り着きそうなとき、スマートフォンは小さく振動した。画面の上部に、ラインが到着したことを知らせる通知が表示される。

〝雫、仕事終わった?〟

 その何気ないラインに雫は小説を読むことを中断し、ラインのアプリを開く。送り主とのトーク画面を表示すると、雫はすぐに短い返事を打ちこんだ。

〝もう終わって、今は宿舎にいます。真綾まあやさんも、もう仕事終わったんですか?〟

〝うん、今ちょうど家裁を出たとこ。また一時間残業しちゃった〟

〝それはお疲れ様です〟

〝うん。でも、そんな気にしてないよ。この時間になるのはいつものことだから。それより雫の方が疲れてるんじゃない? 今日が配属初日だったんでしょ?〟

 雫は少し苦い笑いを漏らす。真綾の送ってきた通りだった。スマートフォンを見ながら眠りそうになったことも、一度や二度ではない。

 曖昧な表情のまま、返信を打ちこむ。

〝はい。正直、疲れました。研修で何度も練習したのに、実際にやってきた少年に向き合ってみると、想像以上に神経を使って。慣れないデスクワークも多かったですし、まだ月曜とは思えないほどクタクタです〟

〝それは本当にお疲れ様。でも、まあいくら研修を受けたからって、現場とは大違いだもんね。鑑別所も必要な書類はこっちと変わらないくらい多いだろうし。でも、そのうち慣れると思うよ。何の根拠もないんだけど〟

 たとえ根拠がなくても、真綾に励まされただけで、雫は少しだけでも元気が出るような気がした。口元も緩んでいく。苦々しい思いは感じなかった。

〝ありがとうございます。そういってもらえるだけで、前向きな気持ちになれます〟

〝そうだね。お互い大変な仕事だけど、だからこそ前向きにいかないとね〟

〝はい。ところで真綾さんはどうだったんですか? 大変だったんですか?〟

〝前向きにいこうってなってすぐに、それ聞く?〟

 真綾はそう返信してきていたけれど、文面とは違って腹を立てている様子は、雫にはあまり感じられなかった。

 案の定〝まあ、別にいいんだけど〟と、続けて真綾は送ってきている。だから、雫は真綾の話を聞きたいと思った。

 同じ大学で学び、二年先に卒業して、今春から家庭裁判所の調査官となった毛利真綾もうりまあやの話を。


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