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末路《六》

「分かった」

 珍しく素直にうなずいた霊斬は、十二日ぶりに、店に戻った。

 部屋の隅には少し埃が溜まっていた。

「疲れた」

 念のため、刀を杖代わりにして、いつもよりゆっくりと歩いてきたのだが、それが霊斬の本音だった。

 ゆっくりと着替えをすませると、二階に上がり、そのまま布団に倒れ込んだ。



 翌日、身体に気を使いながら、ゆっくり身を起こすと、一階へ降りた。

 壁に寄りかかって座り、ぼんやりと考え事をしていた。

 精神的に人間を壊すというのは、殺すよりもたちが悪い。何度か人の心を壊してきた霊斬だったが、恒の壊れっぷりは恐ろしかった。無防備の人間を傷つけることに罪悪のひとつも感じない。人を傷つけ苦しませることを楽しいと感じてしまう。恒のあの表情……恐ろしくて霊斬の脳裏に焼きついている。

「あんなふうには、なりたくないな」

 霊斬はぼそっと言った。

 ――依頼人のためというのは聞こえがいい。しかし、この擦り切れそうになる感覚はなんだ? 今さら、心が痛んでいるのか? だが、この感覚、いつもあったように思う。

 霊斬は難しい顔をして、考えた。



 それから数日後、まだ傷の癒えない霊斬の許に、依頼人が訪れた。

「それで恒伊助はどうなりましたか?」

 奥の部屋へ通すなり、依頼人が口を開いた。

「精神的に壊しておきました」

 霊斬は硬い声で告げた。

「怪我をしたのですか?」

 着物の間から覗く晒し木綿を見た依頼人が、そう問うた。

「ええ、まあ。いつものことですから、ご心配なく」

「では、お礼を」

 依頼人はそう言って、小判十五両を差し出した。

「ありがとうございます」

 霊斬はそう言い、袖に小判を仕舞った。

「またなにかありましたら、お越しください」

 霊斬は深々と頭を下げた。



 翌日、休業している霊斬の許を、千砂が訪れた。

「邪魔するよ」

「今日はどうした?」

「様子を見にきたんだよ」

 霊斬は苦笑した。

「大人しく休業しているからいいだろう?」

「まあね。依頼はきていないかい?」

「ああ」

 霊斬はうなずく。

「なら、良かった」

 千砂は胸を撫で下ろし、尋ねた。

「怪我の方はどうだい?」

「だいぶ良くなった。熱も引いた」

「そりゃあ、良かった。無茶するんじゃないよ」

「分かっている」

 霊斬は彼女の忠告に、苦笑して答えた。

「そうかい、あたしはこれで」

「またな」

 霊斬は軽く右手を振った。



 それから七日後の午後。まだ日は高い。普段通りの恰好をした霊斬はのんびりと四柳の診療所へ向かった。

 戸を叩くと四柳が顔を出した。

「きたか、入れ」

 四柳はそう言い、霊斬を招き入れた。


「診せろ」

 霊斬は奥の部屋の布団に座り、上着を脱ぐ。続いて膝まで着物の裾をまくると、横になった。

 四柳は右腕の晒し木綿から取り始めた。布を取ると、痛々しい傷跡が残っているものの、かさぶたになっている。血はすっかり止まっていた。次に左腕。右腕と同じように傷跡を残すのみとなっていた。続いて左肩。こちらはまだ血が止まっていなかった。だが、手当てを受けた当初より、出血はゆっくりだった。四柳はあらかじめ混ぜておいた薬草を新しい布に塗って、傷口の上に置いた。

 次に右肩。左肩と同じような状態だった。こちらにも左肩と同じ処置を施した。

「ずいぶんと良くなったが、こっちはどうだろうな?」

 四柳が言いながら、胸に手を伸ばす。いったん、胸から腹にかけての晒し木綿を外し、胸に当てた布をゆっくりと外しにかかった。まだ出血は止まっておらず、布を剥がした途端、鮮血が傷口を覆った。だが、以前より、出血の量は少なかった。

 腹も見てみると傷が塞がっているところと、そうでないところがまばらになっていた。

 胸と腹に薬草を塗った布を広げ、上から押さえながら、手早く晒し木綿を巻いていく。

 両肩にも晒し木綿を巻いて固定する。

「熱は引いたか?」

「ああ」

「そうか」

 四柳はうなずくと、脚の傷に視線を向けた。

 それぞれ晒し木綿と布を外し、右脚から状態を確認した。

 傷口の周りは大丈夫そうだが、刺されたと思われる部分は出血が止まっていなかった。

 ――まだ治るまでに時間がかかるな。

 四柳は内心で思いながら、左脚に移った。

 こちらは右脚よりも酷く、血が傷口から垂れていた。

 四柳は慌てて、薬草を塗った布を当てて押さえ、きつく晒し木綿を巻いた。

「終わったぞ」

 四柳が言うと、霊斬が身を起こした。

「状態は?」

「胸と左脚がまだ、血が出ている。最初のころに比べれば、量は少ない。あとは塞がっていたり、血が出ていたりとまちまちだ」

 霊斬は話を聞きながら、上着を羽織る。脚をまくっていた着物の裾を下ろすと、布団の上に胡坐をかいた。

「仕事はやれそうか?」「まだ駄目だ」

 霊斬の問いに四柳はすぐさま答えた。

「酒は?」

「大丈夫だろうな」

「分かった」

 霊斬はうなずくと、診療所を去った。



 霊斬は店に戻ると、久しぶりに徳利と盃を持ってきて、酒を呑み始めた。

 盃を手に、霊斬は考える。

 千砂に哀しそうな辛そうな顔をしていたと言われたこと。自分の心に燻っている擦り切れそうな感覚。

 初めて感じるものではないと予想はしていた。ならば、ずっと感じていたものだとして、なぜ、今さらになって強烈に感じるようになったのか? 恒が狂う姿を見たからかもしれない。あれはとても恐ろしかった。あえてそうさせていたことに罪悪感はあった。だが、依頼人が望んでいたからこそ、できたことでもあった。もし、依頼人のためという理由がなかったら、あんな真似はできなかっただろう。

 霊斬はそこまで考えて、戸を叩く音で我に返った。

「開いているぞ」

 霊斬が応じると、千砂が入ってきた。

「どうした?」

 霊斬が尋ねると、千砂が苦笑して答えた。

「気になってね。まだ日は高いのに、もう呑んでいるのかい」

「四柳のところには顔を出してきたからな。そんなことより、今回の依頼、お前はどう思った?」

 霊斬は話題を切り替えた。

 千砂は霊斬の近くまできていたので、草履を脱ぎ、床に正座をした。

「恒伊助の豹変がとても怖かったね。あんなふうになるのを見るのはもう嫌だよ。霊斬、あんたは恒がああなるのを見越して、刀を捨てたのかい?」

 千砂が真面目な表情をして聞いた。

「勘でしかなかったがな。恒は俺のことをよく知っていた。一筋縄ではいかないから、俺に脅しをかけてきたとも思った」

「そうかい」

 千砂がうなずく。

「俺はもう、誰かにむやみやたらと傷つけられるような真似はしない」

 霊斬は千砂に視線を向けて、きっぱりと言った。

「それはなぜ?」

 千砂が尋ねる。

「ひとつは、危険でしかないということ。もうひとつは、俺の中である変化があった」

「変化?」

 千砂が首をかしげる。

 霊斬は遠い目をして言った。

「心か擦り切れるような感覚が、増した。ずっと狂っている恒を見ているのが、辛かったのだと思う。依頼人のためとはいえ、度を越しているのではないかとすら思った」

 千砂はそんな霊斬を見ながら言った。

「度を越しているのは今に始まったことじゃないだろう? 依頼人だって、ある意味じゃ、狂ってる」

「そうかもしれないな」

 霊斬はうなずいた。

「だから、度を越しているなんて思わなくてもいいんじゃないかい? そういうものだと割り切るしかないように思うけれど?」

 霊斬の口許に苦笑が浮かぶ。

「そうだな」

「無理するんじゃないよ」

「ああ」

 霊斬がうなずくのを見た千砂は、店を後にした。

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