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時代の重鎮《四》

「入れ」

 わけは先にきた千砂に聞いたのだろう、血相を変えていた。

 霊斬はなにも答えられないまま、千砂に目もくれる余裕もなく、身体を引き摺るようにして、奥の部屋へと向かった。

 身体は限界を訴えていたのか、入るやいなや、布団に倒れ込んだ。

 仰向けになり、浅く息をしている霊斬を見た四柳は溜息を吐く。

 鮮血で真っ赤になった右手首の手拭いに、目がいった。

「手首とどこを怪我した?」

 霊斬は浅く息をしながら、左手で乱暴に着物をはだける。そこには鮮血で真っ赤に染まった手拭いが張りついていた。四柳がそうっと手拭いを取ると、横に斬られた傷があらわになった。

 四柳は霊斬の右手首に手を伸ばし、手拭いを解いていく。

 すると、その場に鮮血が溜まった。

「こちらが先か……」

 四柳は舌打ちをする。出血が多すぎて、傷口が見えない。

「水と布を持ってこい。水はできるだけ多く! 傷を洗うぞ!」

 助手を呼びつけ怒鳴り散らすと、助手は弾かれたように動き出した。

 腹の傷を洗うのを助手に任せ、四柳は手首の傷に集中した。

 まずは出血を止めねば。

 四柳は布を二枚用意し、一枚は傷口にきつく巻きつける。霊斬が呻いたが構ってはいられなかった。二枚目の布をちょうど傷口の真上に当て、指で押さえつける。血が止まるまで、ずっと傷口を押さえていた。

 その間、四柳はその場から動かず、助手に指示を飛ばした。

 混ぜる薬草の種類を言い、混ぜられた薬草を見た後、それを傷口に塗るよう指示。縫合は諦め、薬草を塗って、晒し木綿を巻く。そこまでで汗をかきながらやっていた助手だった。それほどに必死だったのだろう。

 右手首の状態を確認するも、まだ血が止まる様子はない。別の助手を呼びつけ、その場に待機させると、四柳は押さえて疲れている右手を軽く振ると、傷口に力を込めた。

 それからだいぶ経ち、もう日が昇り始めていた。ようやく出血が落ち着き、傷口が見えるようになった。

 四柳は息を吐き、傷口の周りを洗い始めた。手首の血管を断ち切るように刻まれた傷はとても痛々しい。傷が大きい上に深い。どうりで血が止まらんわけだ、と四柳は思った。

 丹念に傷口を洗い、縫い始めた。一針、一針、緊張しながら。

 額の汗を拭いながら、縫い始めて三十分後、縫合を終えた。

 最後に混ぜておいた薬草を塗りこみ、晒し木綿で巻いて、固定すると、四柳は大きく息を吐いた。

 格子窓を見上げると、すでに日が昇っていた。

 霊斬に視線を向けると、ぐっすりと眠っていた。

 四柳は伸びをすると、布団をかけてやり、部屋を後にした。


 それからだいぶ経った夜、霊斬が目を覚ました。

「っ!」

 起きようと身体を動かしたが、激痛のためできなかった。

 目を開けて見える範囲で、様子を探る。

「起きたか」

 四柳が顔を出す。と、欠伸をする。

「治療に朝までかかったのか?」

「ああ」

 ――なんでもお見通しだな。

 と、四柳は内心で言葉を続けた。

「具合はどうだ?」

「……動けん」

 霊斬は苦笑するしかない。右手が固定されているのが分かった。

「もうひと晩、泊っていけ」

 四柳が苦笑しながら言った。

「嬢ちゃんを呼んでこよう」

 霊斬が止めようとしたが、痛みに呻いている間に、四柳は姿を消した。


「お目覚めかい」

 千砂が心底ほっとしたと言わんばかりに、呆れた口調で言う。

「悪かったな」

「気にしないでおくれ」

 即答である。霊斬は苦笑するしかない。

「痛むかい?」

「腹よりも、手首がな」

「手首は血管が傷ついていたから、血が止まるのにずいぶん時を喰った」

「深手を負ったんだな」

「俺にとっちゃ、いい怪我だとは思えんがね」

「だろうな」

 霊斬は微笑する。身体を起こせないことが、とてももどかしい。

 腹よりも、手首が痛く、熱い。

 霊斬は思わず、眉間にしわを寄せた。

「動いていなくても、痛むだろう?」

「ああ」

 霊斬はうなずくしかない。

「ゆっくり休みなよ」

「そうさせてもらう」

 千砂はその言葉を聞くと、部屋を後にした。


 千砂が去った後、室内に重苦しい沈黙が下りる。

 その沈黙を破ったのは、四柳だった。

「……もし、血が止まらなかったら。最悪のことが頭をよぎった。意地でなんとかなったからよかったが、今回は運だろうな」

「そうか」

 霊斬は冷静に答えた。

 四柳は暗い顔をする。

 自分が死にかけた。なのに、そういう反応ができる。〝死〟に対して、無頓着なのだ。いや、無頓着すぎると言った方がいい。普通であれば〝死〟を身近に感じない。だが、霊斬は〝死〟を身近に感じすぎている。だから、受け容れられてしまうのだ。死んではいけないと思えるような、経験が霊斬にはない。

 霊斬の声で四柳は現実に引き戻された。

「どれくらいで治る?」

「抜糸で十四日。完治まで一月。仕事するなよ。裏稼業もだ」

 四柳は厳しい声で告げる。

 霊斬は溜息を吐く。

「分かった」

 霊斬は言いながら、その間、店を閉めようと決めていた。

「痛みが酷いだろうが、眠れるはずだ」

 四柳はそれだけ言うと、部屋を去った。



 ――長い一月になりそうだ。

 霊斬はぴくりとも動かせない身体を忌々しく思い、内心で言葉を続けた。

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