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時代の重鎮《二》

 武士が店を去った後、霊斬は預かった刀に視線を落とし、刀部屋へと足を運んだ。

 空いた空間に腰を下ろして、刀の状態を確認する。

 使い込まれており、切れ味が相当落ちていた。

 霊斬は目の粗い砥石を取り出して、力を込めて研ぎ始めた。



 それから時をかけて研いでいくと、霊斬は一度手を止める。抜き身の刀をその場に置くと、伸びをする。

「幻鷲! いるかあ?」

 聞こえてきた大声に、霊斬は溜息を吐く。相手がすぐに分かったからだ。動かそうとしていた手を止めて、表へと向かった。

 外はちょうど、日が傾き始めた時刻だった。

 霊斬は店の奥の部屋に立って、大声を出した張本人を睨みつけた。

「なにしにきた」

「別にいいだろうが」

 と突っ込みを入れるのは鍛冶屋仲間のすけだ。

「それで、なんの用だ?」

「そば屋のあの子……えっとなつちゃん! 知ってるだろ?」

 霊斬はしばし考えた後、声を出した。

「……知らん」

「嘘つけ」

「知らん」

 霊斬は再度口にした。

「あれだけ店に通ってて、知らないってどういうことだよ……」

 喜助が盛大な溜息を吐く。

「それを言われても困る」

 霊斬が苛立ちを込めて、言い返す。

「しょうがない! 他を当たるか」

「迷惑がられるだけだから、やめておけ」

 霊斬が水を差す。

「お前が知っていれば、こんなことにはならねぇんだよ!」

 喜助が笑いながら言う。

「勝手にしろ」

 霊斬はそう吐き捨てると、刀部屋へと戻った。

 喜助は片手を振って、店を後にした。



 それから数日後、霊斬は隠れ家に向かった。左手の晒し木綿は外れ、痛々しい傷跡を残すのみとなっていた。

「千砂、いるか?」

「なんの用だい?」

 千砂が戸を開けてそう尋ねた。相手が霊斬だと分かると黙って身を引いた。

 霊斬は隠れ家に入るや、草履を脱ぎ、床に胡坐をかいた。

「美津元也という男を調べてほしい」

「それなりに、名の知れた家だね。その男に関する情報、すべてをご所望かい?」

「ああ」

「三日おくれ」

「分かった」

 霊斬はそれだけ聞くと、そそくさと隠れ家を去った。


 霊斬は千砂が情報収集に当たっている間、刀の修繕をすることに決めた。決行日までそんなに日がないこともあり、霊斬は慣れた手つきで、作業をこなしていく。

 ようやく切れ味を回復させると、今度は目の細かい砥石を取り出し、仕上げ研ぎを始めた。



 三日後の夜、千砂が店を訪れた。

「幻鷲、いるかい?」

 表から聞こえてきた声に、霊斬は手を止め、立ち上がると刀部屋を後にした。

 奥の部屋へ出ると、商品の間を突っ切って、戸を開けた。

 千砂が店の中に入るのを見届け、戸を閉める。

 奥の部屋へ連れていき、霊斬は胡坐をかく。

 千砂はその正面に正座をして、霊斬と向き合う。

「それで、どうだった?」

 霊斬が本題を切り出す。

「いたって普通の武家だったよ。後ろ暗いこともなかったし。所帯は持ってなかったね」

「それから?」

 霊斬が先を促す。

「美津家の長男。厳格な父親の許、育てられた。なかなか見合い相手がいないことだけが難点で、他は完璧。だけど、親にも言っていない過去がある」

「過去?」

 霊斬が聞き返す。

「一時期、盗賊の連中と一緒にいたらしい。それで、襲った武家が」

「まさか、依頼人だったってことか?」

「いや、親しくしていた武家だったんだ」

 霊斬は驚いたような顔をして、千砂を見つめる。

「だから、あんなことを頼んできたのか」

 霊斬は合点がいったというような顔をして、うなずいた。

「当日は、邪魔が入ることを考えておいた方がいいねぇ」

「……むやみに傷つけたくはないんだが」

 霊斬がぽろっと本音を零す。

 ――相手がその気なら仕方がない。

 霊斬は内心で呟き、溜息を吐いた。

 千砂は霊斬の本音を聞いており、内心でこう思った。

 ――非情なところがあるけれど、霊斬はやっぱり優しい。

「話は分かった。じゃ、また決行日にな」

「あいよ」

 千砂は言うと、店を後にした。



 決行日当日、依頼人が店を訪れた。

「お預かりしていたものを、お返しいたします」

 霊斬は言いながら、依頼人の小太刀を差し出す。

「……うむ、よい出来だ」

 武士は小太刀を抜いて状態を確かめると、満足そうに言った。

「美津元也ですが、以前、あなた方と親しくしていた武家に、盗みに入ったのですね」

「そんなに昔のことを、よく調べましたね」

 武士は苦笑する。

「一人の男を精神的に使えなくしてくれなどという依頼を受ければ、徹底的に調べますよ」

 霊斬も苦笑しながら答えた。

「そうか」

 武士はうなずく。

「拷問まがいのことになるかと思います。確実に、精神的に殺せるかどうかは保証いたしかねます。それでも、よろしいですか?」

「構わぬ。どのみち壊れる武家だ」

「かしこまりました」

 霊斬は頭を下げた。



 その日の夜、黒の長着に同色の馬乗り袴、黒の足袋、同色の羽織を身に着ける。隠し棚から黒刀を取り出して腰に帯びる。黒の布を首に巻いて、顎から鼻まで引き上げる。草履を履いた霊斬は、店を出た。

 美津家までは遠かった。

 いくつもの屋根を飛び越え、駆け抜ける。路地裏に身を隠すこともあった。

 そうして誰にも姿が見られないよう、気を配りつつ、美津の上屋敷を目指した。

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