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遊郭《八》

 霊斬の額の汗を拭いながら、千砂は溜息を零す。

 そうっと握っていた手を離すと、ぴくりとも動かないことから、熟睡できているのかもしれないと思い、水分を含んで固くなった手拭いを桶に浸して、揉み出す。

 また汗をかいていたら拭こうと決めたものの、まぶたが自然と閉じるのには抗えなかった。



 それからだいぶ経った後――霊斬が目を開ける。

 ちゃんと寝れたかどうかは分からず、嫌な夢ばかり見ていた気がする。

 ゆっくり身体を起こすと、掌に激痛が走る。

 痛みに堪えた後、ふうっと息を吐くと、隣を見遣る。

 千砂が毛布もかけずに眠っていた。横向きの体勢で、手に手拭いを握っていることから、看病の途中だったのかもしれないと思い、霊斬は力のない笑みを浮かべた。

 痛む掌を庇いながら、千砂を起こさないように、静かに毛布をかける。

 身動きひとつしないことに安堵しつつ、霊斬は再び眠った。悪夢を見なければいいと願いつつ。



 もう空に日が上るころ、千砂は目を覚ました。

 寝てしまったのかと思い、溜息を零す。

 霊斬に視線を向けると、焦点の合わない目で天井を眺めていた。

「霊斬」

 名を呼ぶと目に光が戻った霊斬は顔を向けてくる。

「どうした?」

「大丈夫かい?」

「ああ、だいぶ楽になった」

 霊斬の言葉は的確で、そっけなかった。

「少しは寝れたか?」

 千砂が黙っていると、霊斬が声をかけてきた。

「寝るつもりはなかったんだけどね」

 千砂は苦笑する。

「無理はするなよ」

「あんたに言われたくない」

 今度は霊斬が苦笑した。

「あ、いけない!」

 千砂は慌てて、一階へと駆け下りていく。

 どうしたのかと霊斬が待っていると、風呂敷を抱えた千砂が戻ってくる。

「これ、返すよ」

 霊斬が風呂敷を受け取り、解くと以前千砂に貸した浴衣が綺麗に畳まれていた。

「そうか」

 霊斬は片手で浴衣を持つと一階へ降りていく。

 千砂も後に続いた。

 霊斬が浴衣を仕舞っている間、千砂は奥の部屋にいき座って待っていた。

「朝まで悪かったな、熱は引いたからもう帰れ」

 千砂の正面に胡坐をかいた霊斬が言った。無造作に置かれた左手が痛々しく見える。

「あんたが熱を出している間、うなされていたよ」

「そうか。……俺は夢の中で」

 霊斬は言葉を切り、ひとつ息を吐く。

「人を殺めようとしていた」

 淡々と告げるその声に怯えや震えはなく、聞いているこちらの方が、背筋が寒くなった。

 霊斬は左手に視線を落としながら、言葉を続けた。

「制止がなければ、俺は躊躇うことなく殺めていただろう。だがな、それを止めてくれた者がいた」

 ――お前だ。

 霊斬は千砂を正面から見つめ、言外に告げた。

 千砂は驚いたような顔をして、霊斬を見つめる。

「おかげで、苦しまずにすんだ」

 霊斬は頭を下げる。

「頭を上げておくれよ」

 千砂が慌てて言うと、霊斬は頭を上げた。

「なら、よかったよ。大したことはしていないけれどね」

 千砂はふっと笑う。

 霊斬もつられて笑った。



 数日後、依頼人の遊女が霊斬の店を訪れた。

「先日は、どうもありがとうございました」

「いえ、私は依頼を達成しただけにございます」

 霊斬は正座をしたまま苦笑する。

「報酬です」

 遊女は小判五両を差し出した。

 それを受け取り、袖に仕舞うと、霊斬は頭を下げて言った。

「またのお越しをお待ちしております」

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