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遊郭《五》

 霊斬は箱鞴の中身を確認し、まだ火種が燻っている炭を見つける。

 箱鞴の取っ手を動かして、火がつくまで、風を送り込む。何度かそれを繰り返しつつ、様子を見ると、赤々と燃えていた。

 取っ手から手を離し、燃えるそれを火箸で持ち上げる。

 開けっ放しの引き戸をそのままに、慣れた手つきで囲炉裏の真ん中に移す。

 何度か刀部屋との往復を繰り返すと、囲炉裏に火が灯る。

「もう少し待ってろ。蝋燭はもういいぞ」

 霊斬はそれだけ告げると、作業に戻る。

 千砂は蝋燭を床に置き、霊斬を見守った。

 霊斬は再び刀部屋に入ると、薪を三本抱えて、囲炉裏にくべた。

 蝋燭もいらないほど明るくなった。

 霊斬はその出来を確認し、階段椅子の左隣、天井近くにある格子窓を難なく開ける。

 ――あたしなら、届かないだろうなぁ。

 と呑気なことを思っていると、霊斬に呼ばれる。

「いつまでそんなところに突っ立っている? 早くこいよ」

 千砂は念のため、蝋燭を吹き消すと、囲炉裏の近くに腰を掛けた。

 それを見た霊斬は、なにを思ったのか、二階に上がっていく。

 どうしたのだろうと思いながら待っていると。

「ほらよ」

 という声とともに、なにかが置かれる。

 千砂は疑問に思いながらも、視線を落とすと、一着の浴衣と帯、上着が置かれていた。それと乾いた手拭いも。浴衣は千砂には大きいものの、落ち着いた薄青色のものだった。

「いいのかい?」

 確認のため、千砂が尋ねる。

「ああ。着たままよりは、乾くのが早いはずだ」

「なにからなにまで……。ありがとう」

「気にするな、俺はしばらく刀部屋にいる。終わったら声をかけてくれ」

 霊斬はその一言を最後に、刀部屋へと引っ込んだ。

 千砂は着替えを始めた。

 濡れて着心地が悪くなっていた、忍び装束を脱ぎ、霊斬から借りた浴衣に袖を通した。袖を何度も折って、ようやく出た自分の手に苦笑しながらも、慣れた手つきで丈を調節し帯を締める。手と同じく足が出るまで何度も裾を上げなくてはならなかった。

 長い髪を先の方で一つに結うと、上着を手に取る。

 千砂は上着を羽織ったが、手が出ない。一度たすきで袖を縛ると、手拭いで髪を拭き、手拭いを綺麗に畳む。濡れて重くなった忍び装束を囲炉裏の左側へ広げた。

 たすきを解くと霊斬を呼びにいった。

 戸を叩くと、霊斬が顔を出した。

「さすがに上着が大きかったか」

 霊斬は苦笑する。

「でも、暖かい」

 千砂は笑ってみせ、火にあたった。

「それはよかった。もしかして、下調べの帰りか?」

 その問いに、千砂はうなずく。

「どうだった?」

 囲炉裏を挟んだ正面に霊斬が腰を下ろして聞いた。近くに置いてあった徳利と盃を持ってきた。

「遊女の扱いは多分、慣れているんだろうね。あたしにはよく分からなかった。毎晩……なのか、分からないけれど、遊女を呼びつけては、楽しんでいるようだったよ。あ、それから」

「それから?」

「何者かの暗殺を企てていた」

「そうか……」

 酒を煽ると言った。

 霊斬は予想が外れていてくれと願いながら、言葉を発した。

「分かった。この酷い雨の中、大変だったな」

「気にしないでおくれ」

 千砂が苦笑する。

 霊斬は二階に向かった。

 しばらくして霊斬が戻ってくる。

 両手には布団を抱えていた。

 きょとんとする千砂の右隣に、布団を下ろす。

「今さらかもしれないが、少し眠れ」

 霊斬はそれだけ告げると、元いた場所に戻り、酒を呑み始めた。

 千砂が格子窓を見上げると、空が白んでいた。

 お言葉に甘えさせてもらい、千砂は布団を広げる。

「お休み」

 その言葉にうなずいた霊斬は、刀部屋に向かった。

 薪を三本ほど抱えて、囲炉裏にくべるとまた酒に手を伸ばした。



 それからしばらくして、霊斬は肩を叩かれて目を覚ます。

「なんだ?」

「おはよう、霊斬」

 霊斬は目を擦りながら顔を上げた。

「ああ。よく寝れたか?」

 千砂の顔を見て霊斬が尋ねた。

「おかげさまで」

「そうか」

「よく座ったまま寝れるね」

 千砂が笑う。

「そうだな」

 霊斬は苦笑するしかない。

「そろそろ帰るよ」

「浴衣は今度でいい」

「ありがとうね」

 千砂は礼を言った。

 上着を脱いで、丁寧に畳むと、広げていた忍び装束と頭巾を畳んで両手に持つ。

「じゃあ、あたしはこれで。しっかり寝るんだよ」

「お前もな」

 霊斬の言葉に苦笑した千砂は、店を去った。


 千砂が去った後、霊斬は立ち上がって伸びをし、凝りを解す。

 火が消えていることを確認すると、囲炉裏に床板を嵌めて元に戻す。

 布団を二階に持っていき、そのまま、この日は眠った。



 千砂はというと霊斬の店を出た後、休むことを告げにそば屋へ顔を出した。了解を得た千砂は、隠れ家へと戻り着替えると湯屋へ向かった。

 霊斬のおかげで、だいぶ身体の冷えが収まっていたが、風邪をひいても困るため、今日は休むことにした。

 しかし、いつもいく奥の部屋にあんな仕掛けがあったとは。驚いた。

 千砂は苦笑しながら、湯屋の暖簾をくぐった。



 霊斬が目覚めたのは、翌日の朝だった。

 ――よく寝たな。疲れが取れたから、よしとするか。

 苦笑しながら身体を起こし、一階へ向かうと店を開ける。

 刀部屋へいき、依頼人から預かった懐刀を手に取る。

 幾度か使われた形跡があるだけで、とくにこれといって、修理すべき部分が見当たらなかった。

 そんなときもあるかと思い、霊斬は懐刀を鞘に仕舞った。



 その日の夕方、依頼人が訪れた。

「いらっしゃいませ」

「なにか、分かりましたか?」

 遊女が尋ねる。

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