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遊郭《四》

「まあいい。ほれ、終わったぞ」

「感謝する」

「おう」

 霊斬が部屋を去ると、四柳もついてくる。

 なんとも思わず、霊斬は千砂の待つ部屋へいき、顔を出した。

「待たせたな。いくか」

 霊斬はそれだけ告げると、きたときと同じように両手をそれぞれの袖に入れ、歩き出した。

「嬢ちゃん」

 歩き出そうとした千砂を、四柳が引き留めた。

 それに気づいた霊斬が振り返るも、じきにくるだろうと思い、戸を閉めた。

「なんだい?」

 千砂が首をかしげる。

「祭り、楽しかったか?」

 四柳の優しい問いに、千砂は笑顔で答えた。

「もちろん。来年、またいけたらいいなと思ったよ」

 四柳はうなずくと奥の部屋へと戻っていった。

 千砂は笑顔をかき消すと、霊斬の後を追った。


 その帰り道、千砂が口を開いた。

「いつまでも祭り気分じゃいられないね」

「今日は、悪かったな」

「あんたが謝ることじゃない」

 霊斬の謝罪に、千砂が即答する。

「……そうか」

 霊斬はそれだけ答えると、口を噤んだ。

 千砂が立ち止まって聞いた。

「この後、ちょいといいかい?」

「あるが、どうし……」

 霊斬は振り返って、千砂を見るとその言葉を呑み込んだ。

 そんな彼女の掌には、先ほど読んだ文が置かれていた。

 二人はそのまま急ぎ足で、隠れ家へ向かった。


 もう日が傾き始めるころ、隠れ家に着いた。

 千砂は中に入るや、奥に引っ込み、霊斬はそれまで床に胡坐をかいて待つことにした。

 しばらくして、普段通りの恰好をした千砂が姿を見せる。

「お茶のひとつも出さずに、悪いね」

「気にするな」

 霊斬は軽く言う。

「それで、誰からの警告だと思う?」

 本題は昼間に打ち込まれた矢文について。

「射った人物が誰かは分からないものとして、考えよう。俺だけじゃなく、千砂のことも知っているとなると、武家の中でも力を持っている人物の仕業と考えていい」

 千砂は顎に人差し指を当てて考える。その仕草を見た霊斬は、どきっとしてしまう。

 ――可愛い。

 内心でそんなことを、素直に思ってしまった。軽く頭を振り、その思いを振り払うと、千砂が口を開いた。

「旗本とか……まさかお上、なんてことは……」

「あり得る話だろうな。候補に入れておいていいだろう」

 冷静な霊斬に対し、千砂は動揺を隠せない。

「目につけられないように、こっちで動いているのに……」

「忍びでも雇っている可能性だってあるだろう。あいつらは金に物言わせて、人を従える連中がほとんどだ」

 霊斬は、鼻で嗤う。

「そうだね」

 千砂は気持ちを切り替えて、呟いた。

「このくだりは、また俺から知らせる。とりあえず、備前家の情報を頼む」

 霊斬は千砂の手から、折り畳まれた文を受け取ると、告げて隠れ家を後にした。

 それを見送った千砂は、着替えるために奥の部屋へと消えた。



 千砂はその日の深夜、備前家に侵入した。

 屋根裏から、一番賑やかな場所を聞き分け、そこに向かう。

 聞こえてくる会話に耳を澄ませつつ、天井の板を外し、様子を見た。

 中は男二人に遊女が四人。

 男達は膳を前に大いに呑んでいる。

 ときおり遊女を抱き寄せては、なにごとかを囁いている。

 千砂は顔をしかめながらも、様子を見守った。せめて、どちらが対象者か見極めてからでないと帰れない。

 男らは四十くらいの者と、三十くらいの者がいた。どちらかというと、四十くらいの男がこの場を楽しんでいるように見えた。

 わざわざ遊女を店から呼びつけたのだろう。どれだけ羽振りがいいんだか。遊女の扱いも手慣れたものなのだろう。

 千砂は内心で呆れる他ない。

 そんな中、部屋の外から、声が聞こえてきた。

「備前様」

「なんだ?」

 四十くらいの男が答えた。

「死人を出すまでには至りませんでした」

 舌打ち混じりに備前が吐き捨てた。

「わしは、精鋭を集めて襲うべきだとあれほど進言したのに、あの方はお聞き届けくださらなかった。無傷、というわけではあるまいな?」

「は」

「ならば、よしとするか」

 備前はほくそ笑んだ。


 千砂はそこまでの会話を聞いて、天井の板を嵌め直すと、備前家を去った。



 その帰り道、土砂降りの雨の中、千砂は屋根を駆けた。

 すぐに装束はずぶ濡れになり、隠れ家まで身体の冷えが持ちそうになかった。

 仕方なく、そこから比較的近かった霊斬の店に向かった。もう日付が変わっている時刻だったが、彼が起きていることを祈って、戸を叩いた。

「誰だ?」

「あたしだよ」

 戸が開く。霊斬は少し眠そうな顔をしていたが、千砂のずぶ濡れの姿を見るなり、いつも通りの様子に戻った。

「入れ」

 霊斬はそう言うと身を引き、奥の部屋へ向かった。


 戸を閉めて向かうと、霊斬が聞いた。

「寒いか?」

 千砂はその言葉にうなずく。歯がかちかちと鳴りそうになるのを堪えるのに必死だった。

「持っていてくれ。できれば、俺のところを照らしてほしい」

 再度うなずいた千砂は、なにをするつもりなのか、疑問に思いながらも蝋燭で照らした。

 霊斬は床に転がっていた徳利と盃を片づけ、蝋燭に照らされた部屋の真ん中あたりの床を探る。

 かちっと音がしたと思うと、大きめの正方形くらいの床が外れる。

 千砂はぽかんとしながらその光景を眺めていると、床の下から現れたのは囲炉裏だった。

 霊斬はなんということもなく、板を壁に立てかけると、刀部屋に姿を消した。

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