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遊郭《二》

「中で弾いているのは、子ども達かい?」

 しばらくして千砂が口を開いた。

「ああ、まだ舞台が着いたばかりなんだろう。これが終われば交代のはずだが」

 霊斬の言うとおり、それまで舞台の周りで談笑していた男達が次々に舞台の中に入っていく。

 霊斬は千砂の肩を叩いて、傍にくるように示した。

 疑問に思いながらも、霊斬の後に続くと、舞台の中が少し見えた。中は床で、人でぎゅうぎゅう詰めになっている。男達は持っていた横笛を構えて曲を奏で始めた。

 太鼓と鐘の音、横笛の音が聴いていて心地よい。

 ――きてよかった。

 千砂はそう思いながら、お囃子に耳を傾けた。

 霊斬は千砂の横顔を見ながら、思う。

 ――少しは、楽しんでもらえただろうか。

「これからどうする? 舞台が引き上げるまで、最後まで見ていくか?」

「あたしは満足だよ。どちらでも構わないさ」

 千砂は微笑んで答えた。

「じゃあ、のんびりと帰るとするか」

 千砂と肩を並べて、霊斬は歩き出した。

「こういう夜も、いいもんだね」

 歩きながら、千砂が言う。

「そうだな」

 霊斬もうなずく。

 霊斬はのんびりとしたふうを装いながら、周囲を警戒していた。

 人通りが少なくなってくると、彼の中の警鐘が鳴り響く。

 霊斬は歩いていた千砂の肩に手をかけ、引き留めると、なにごとかと振り返った彼女を自分の背に回してから、声を出した。

「さっきからずっと俺達を見ているようだが、なに用か?」

 暗闇に向かって、霊斬が尋ねた。

「ばれてしまったのなら、仕方ありませんねぇ」

 言いながら、暗闇から姿を見せたのは、着物の胸元を大きく開いた、一人の遊女だった。

「あなた達に、ひとつお願いがありまして」

 女は言って妖艶な笑みを見せた。

 そのまま立ち話をするわけにもいかず、三人はひとまず霊斬の店へと向かった。



 奥の部屋に、霊斬と千砂は女と向き合うように座り、霊斬が口を開いた。

「俺達になにを頼もうって言うんだ?」

「その前に確認させてくださいませ。あなたが因縁引受人霊斬様で」

 女は霊斬に視線を向けた後、千砂に移した。

「あなたが、烏揚羽様で、よろしいですか?」

「いかにも」

 霊斬が言うと同時に、千砂もうなずく。

「端的に述べさせていただきます。遊女の扱いが上手すぎるお客様がいまして、その方がこれ以上つけ上がらないようにしてほしいのでございます」

 霊斬はしばらく考えた後、口を開いた。

「手は尽くしたがつけ上がる一方で、ここへ?」

「……はい」

「私達の名は、どこでお知りに?」

 霊斬は警戒しながら尋ねた。

「お客から……としか申し上げられません」

「そうですか。では、こちらからもひとつ、確かめたいことが」

 霊斬の静かな声でうなずいた女は、言葉を続けた。

「なんなりと」

「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」

「はい」

 遊女には似合わぬ……失礼。

 強い決意を感じ取り、霊斬は内心で溜息を零した。

「分かりました。では、その御方の名を」

備前びぜんさいと、申します」

「では、七日後、またお越しください」

「はい、それからこれを」

 女は言い、懐から小判五両と懐刀を取り出し、差し出した。

「確かに」

 霊斬は言いながら受け取ると、小判を袖に仕舞った。



 女が帰った後、千砂が口を開いた。

「備前家だね。明日にでも調べて……」

「明日は駄目だ」

 千砂の言葉を霊斬は遮った。

「どうしてだい?」

「まだ祭りの半分しか見ていない」

 千砂は嘘でしょ! というような顔をして、霊斬を見つめた。

「明日もなんかあるってのかい。あたしは今日で十分のように感じたけれど?」

 霊斬は苦笑する。

「そりゃあ、生まれて初めて祭りを見たってんなら、そうもなるな。明日の方がもっと、楽しめるぞ」

「じゃあ、期待しておこうかね」

「明日の朝、日が昇ったときに、店の前で」

「分かったよ」

 千砂は苦笑して、店を後にした。



 千砂が帰った後、霊斬は左袖から、短刀を取り出す。

 右手で弄びながら、考え込む。

 ――俺もまだ、怯えているのかもしれんな。……かつて人を殺め続けた過去に。

 素手で女一人守ることなど造作もない。だが、この時代、平穏だとはいえ、いつ危険が迫るか知れない。

 殴るだけで収まる相手ならいいが、大抵はそれで収まるとも思えない。祭りだからこそ、警戒は強いに越した方がいい。祭りに気をとられているうちに、目に見えぬ闇が暗躍していることも十分に考えられる。〝楽しむ〟という感情を斬り捨て、どこか他人事のように感じるようになった霊斬だからこそ、そう言ったことにまで心を砕けるのだ。それは悲しいことかもしれないが、当の本人はそんなふうに感じることすらない。

 霊斬は大きく溜息を吐くと、短刀を弄んでいた手を止めて、湯屋へと向かった。



 翌朝、日が昇るころ、千砂が霊斬の店の前にやってきた。

 しばらくすると、昨日と同じ恰好をした霊斬が、姿を見せる。

 千砂をまじまじと見つめた霊斬は、ふっと笑う。

「……似合うじゃないか」

 この日の千砂の恰好は、黄色い小袖ではなく、大きな紅葉が目を引く落ち着いた色合いの小袖だった。

 その変化に目ざとく気づいた霊斬の言葉に、千砂は内心で喜びながらも、平然を装った。

「ありがと」

 千砂はそれだけ口にすると、押し黙った。

「さて、いくか」

 霊斬の言葉にうなずくと、千砂は後に続いた。

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