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遊郭《一》

 それから七日が経ったある日、霊斬は千砂の隠れ家を訪れ、呑気に出されたお茶を飲んでいた。

「祭りに誘うだなんて、血迷ったんじゃないのかい?」

「俺はいたって冷静だが」

 千砂の毒舌に、霊斬は苦笑するしかない。

 一人でいってもつまらない。だから、声をかけたのだ。

 祭りまであと五日。

 それまでに依頼がこなければいいと思いつつ、霊斬は顔を出した。

「そんなこと言えるのは、前の依頼で怪我ひとつしなかったからだろう?」

「まあな。たまには、息抜きがいるだろうと思ってな」

「それには同意するけれど……」

 千砂は溜息を吐きながら、霊斬の誘いをどうしようか考えていた。

 祭りは嫌いではない。少し気持ちが沸き立つので、いきたくないと言えば嘘になる。

 一人でいくよりかは、厄介事が減るかもしれない。

「……分かったよ。それで、当日はどこで待ち合わせるんだい?」

「俺の店の前」

 霊斬の静かな声にうなずいた千砂は、こう言った。

「用はすんだろう。とっとと帰っておくれ」

「それから祭りの前日の夜、店にきてくれ」

「……え? 分かったよ」

「じゃあな」

 霊斬は苦笑して隠れ家を後にした。


 千砂は霊斬が帰った後、一着の着物を引っ張り出して眺めた。

 ――たまにはこういうのも、いいかもしれない。

 千砂は柄を見ながらそんなことを思い、着物を仕舞った。



 霊斬は店に戻ると、刀を作ったり、修理したりと、動き回った。

 戻ってからだいぶ経った日が暮れた時間、遠くで笛と太鼓の音が聞こえてきた。

 七日ほど前から、祭りでやるお囃子はやしの練習か、音が聞こえてきていた。

 それを内心で楽しみだと思っている霊斬は、思わず微笑んだ。



 数日後、祭りの前日、霊斬は店を閉め、いつもの恰好に紺の上着を着て、千砂を待った。非常時に備え、左の袖には短刀を隠し持っている。使わなければいいがと、霊斬は内心で思っていた。

「おまたせ。いったいどこに連れていこうって言うんだい?」

「ついてくれば分かる」

 霊斬は苦笑して、歩き始めた。

 千砂は不思議そうな顔をしながらも、後をついてきた。

 しばらく歩いた先の道を左に曲がると、大通りの端に出る。

 そこには大きな滑車つきの舞台が二台ほど並んでいる。舞台をく者達と、舞台の中でお囃子を奏でる者達と、別れていた。大通りはいつも以上に賑やかで、小さな屋台もなん軒か建っている。

「今晩は、宵祭りだ」

 霊斬が視線を舞台に向けながら言った。

「凄い活気……」

「驚いたか?」

 霊斬がどこか嬉しそうに尋ねてくる。

「まあね」

 千砂が苦笑する。

「ちょっと、待ってろ」

 霊斬は言うと近くの屋台に向かって歩いていった。

 千砂は賑やかな大通りに視線を向けながら、心が浮き立つのを感じていた。

 ――祭りに参加するのは、生まれて初めてだったから。

「そこのお嬢さん」

 なにやら良からぬ気配を感じ取った千砂は、突然あらわれた男に目を向けるも、一言も発さなかった。

 男が手を伸ばしてくる。それから逃れようと一歩身を引いた千砂だったが、近くの家の壁にぶつかってしまい、逃げ場を無くす。

 男の下卑た顔が見えた瞬間――それを止める声があった。

「そこまでにしてくれ」

 近づいてきた霊斬が言うと同時に、右足で男に向かって蹴りを入れた。

「ごふっ!」

 腹の痛みに呻いて地面に座り込んだ男を、霊斬は冷ややかな目で睨みつける。

「失せろ」

 霊斬が告げると、男が忌々しげに呟いた。

「男連れかよ、くそっ!」

 男が腹を押さえながら、去っていくのを見送っていた千砂に、霊斬が声をかけた。

「ほら、食べるといい」

 霊斬が小脇に抱えていた小さな包みを、千砂に渡してきた。

「あんたってさ、器用だね」

 それを受け取りながら、千砂は思う。

 中身を落とすことなく、あんな隙のない蹴りを繰り出せることに。

「これ、団子かい?」

 千砂が聞いた。

「ああ、とりあえず、三色団子にしてきたが」

 霊斬が言いながら、団子を頬張る。

「怒らないから心配しなくてもいいのに」

 微笑んで千砂が言い、団子を一本手に取り、口に運んだ。

「大丈夫か」

 霊斬は、唐突に尋ねた。

「さっきの男のことかい?」

 霊斬はうなずく。

「平気だよ、あたしもだいぶ気が緩んでいたようだね。……引き締めないと」

「今日のところは、そのままでいい。せっかくの祭りなんだ、心ゆくまで楽しめばいい。俺が危険をすべて引き受けるから、気にするな」

 普段より幾分か優しい口調で言う霊斬に、千砂は思わず微笑んだ。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

「お囃子が始まったぞ」

 その言葉の通り、二台の舞台が、それぞれに曲を奏で始めた。

「この舞台が弾いているのが、原曲だ」

「他にもあるのかい?」

 千砂の問いに霊斬がうなずく。

 その曲が終わるまで、二人は団子を食べながら、聴いていた。


 二人は通りの奥にある舞台へと歩き出す。

「ここの舞台は、編曲されている」

 霊斬の言うとおり、先ほど聞いた曲とは少し違っていた。

 法被はっぴ姿の子ども達が近くを駆け抜けていく。

 その様子を見送りながら、千砂は微笑んだ。

「詳しいじゃないか。何度かきたこと、あるのかい?」

「店が経つまでの間、祭りをやっていたから見にいった。……それだけだ」

「そうかい」

 千砂はうなずくと、お囃子の音色に耳を傾けた。

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